最近では、伊坂幸太郎による推理小説『オーデュボンの祈り』でもよけいに知られるようになった。
小説の中で、オーデュボン描くところのリョコウバトの話が何度もでてくる。
絶滅した旅行バト
私は古い人間ゆえ、ずっと前からオーデュボンを知っていた。
健忘症なのではっきりしないが、大学かどこかの図書館で図鑑を見てこの画家を知ったのだ。そういえば当時片っ端から、美術全集を眺めていました。昔は、1年半の教養課程があり単位を揃えてしまえば専門課程に上がるまで暇でした。その間、映画を見たり漫画を読んだり、画集の絵画を眺めていたわけです。全く遊んでた訳だが、その2年後に大学紛争に巻き込まれる。その話は鬱陶しいのでここではしない。
当時は趣味でアメリカ切手を集めていたので、その後この鳥切手が発行されていたのを知りました。
また彼の肖像切手も発行されている。
今は、アニメまで切手になるのでそれ程有難味はないが、かっては切手の図案に描かれるのは偉人に決まっていたのである。
彼の人物紹介。画像は、アメリカ版 Wikipedia より。 John James Audubon
オーデュボン
ジョン・ジェームズ・オーデュボン
ジョン・ジェームズ・オーデュボン(John James Audubon, 1785年4月26日 - 1851年1月27日)
はアメリカ合衆国の画家・鳥類研究家。北アメリカの鳥類を自然の生息環境の中で極めて写実的に描いた博物画集の傑作『アメリカの鳥類』(Birds of America, 1838年)によって知られる。
Wikipediaと西洋美術辞典(東京堂出版)をもとにして、彼の生涯の概略をのべる。
・西インド諸島のフランス領サント・ドミンゴ島(現ハイチ)生れる。まもなく母と死別し、フランス人船長オーデュボンの養子となる。
・4歳のとき父とともにフランスに渡り、7歳から絵を習う。フランス革命の最中である。
・18歳でアメリカに渡り、フィラデルフィアの近くにあった父の農場で仕事をしながら鳥の絵を描いた。アメリカ各地を旅して鳥の観察を続けた。
・1819年に借金のために債務者監獄に入れられ、破産を余儀なくされる。
・北米およびカナダを旅行し、鳥獣をノートしてこれを科学的な正確さで水彩画に描いた。
・1826年にイギリスに渡り、1827年から1838年にかけてイギリスで出版された『アメリカの鳥類』により名前をあげる。
ここには、オーデュボンの水彩画を元にした435枚の彩色銅版画が収められた。
・1831年 - 1839年に、博物学者ウイリアム・マックジルヴレーとの共著『鳥類の生態(Ornithological Biography)を出版する。
・1839年にアメリカ合衆国に戻り、アメリカ版の『アメリカの鳥類』を出版する。
特徴:
標本を元にして描かれることの多かったそれまでの博物画と違い、画集では生きた鳥が自然の生息環境の中で躍動的に描かれている。一羽一羽の鳥が実物大の大きさで描かれている。
商売に熱心でなく、道楽の鳥の精密絵ばっかりを描いていて、妻に食わしてもらっていました。
その奥様です。
それでも、絵自体に大きな価値があったのでイギリスでは売れました。それで、波及効果で本国のアメリカでも売れて(バカ売れ)、経済的にも成り立つようになった。
ケンタッキー州の彼の屋敷です。
その奥様です。
それでも、絵自体に大きな価値があったのでイギリスでは売れました。それで、波及効果で本国のアメリカでも売れて(バカ売れ)、経済的にも成り立つようになった。
ケンタッキー州の彼の屋敷です。
今回は、これでおしまい。
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