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2015年5月14日木曜日

信貴山朝護孫子寺 II

信貴山朝護孫子寺 のつづき。

世界一大福寅、日本一大地蔵、巨大灯籠と、でかいのが揃っているお寺であるが、本堂もまたでかくて立派である。


近くからでは、門構え位しか写せない。(上の写真は、探してきたもの。著作権には反しない。)

本堂入り口。


信貴山朝護孫子寺の額。
 


こちらは、その本尊の毘沙門天王の額。


本堂の舞台。朱塗りの欄干と雨にけぶる後方の山の緑とが、マッチしている。

 
境内の眺め。三重塔、石塔、地蔵尊 などが見える。
 
 
この舞台からは、大和平野を一望することができる。生憎雨ではっきり見えない。
 
 
そんな展望写真がないかと探してみると、ありました。
ネットの威力はこういう所に如実に現れる。
 
 
 
本堂の外からの様子。内部は、写真厳禁です。
 
 
本堂では、このような信貴山三像が祀られている。
 
信貴山三像写真
信貴山三像(左より善膩師童子像、毘沙門天王像、吉祥天像)

 
(注:この画像は、公開されているので問題はない。)

 本堂に掲げられていた毘沙門天王の額。


この写真は、ピントが合っていないが、このように文字の脇には百足が描かれている。


百足(ムカデ)は、毘沙門天の神使なのである。


百足が描かれている毘沙門天の掛け軸。

その云われを、神使い巡りのページから引用する。 十二支の神使 も参照。

百足は、「毘沙門天の教え」だともいわれます。「たくさんの足(百足)のうち、たった一足の歩調や歩く方向が違っても前に進むのに支障がでる。困難や問題に向かうには皆が心を一つにして当るようにとの教えである」とのことです(寺の説明)。

絵馬にも、張り子の寅と共に描かれている。

このような百足の描かれている毘沙門天王の幟もあった。


本堂の中に戒壇めぐりというのあったので、100円の入壇料を支払って入ってみました。


真っ暗で何も見えない。右手を壁に当てつつ歩いて一周する訳である。途中、灯りのついている所があり、仏様が祀られている。ははあ、胎内めぐりだな、と思ったのだが、後で調べてみると違っていた。修業の場であったのだ。

朝護孫子寺の公式サイトから引用する。

この「戒壇巡り」は、心願成就を祈る修行の道場で、本堂真下の暗闇の回廊です。
長さ九間四面三十六間、暗い部分で約60メートル、約5分間でお詣りができます。
階段を下りたら、右手を右の壁に当てながら廻り、二番目の角を曲がってください。
すると見えてくる灯明の場所には、皆様方の十二支生まれ年の守本尊、即ち千手観音阿弥陀如来など八体の仏像がお祀りしてあります。
ここで、ご自分の守本尊に身体健全、家内安全をお祈りください。
次にまた、右手を右の壁に当てながら進んでください。
次の角を曲って少し行きますと、又木の格子が手に当たります。
その胸の高さに大きな鉄の錠前が掛っております。
この錠前に触れますと如意宝珠に触れたと同じ功徳が与えられると言い伝えられ一願成就のご利益が授かります。

周り終わってから、そうなのかと納得する。何も拝んでいないので、ご利益は授からない。これまた迂闊な話ですな。

さて、朝護孫子寺訪問のハイライトである。多宝塔から、20分以上をかけて山頂にある空鉢護法堂に登ってきた。老骨にこたえるきつい山道でした。その経過写真をお見せしようという算段です。

お寺の公式サイトには、こう記載されている。

空鉢護法堂

命蓮上人竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻 「飛倉の巻」の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。

飛倉の巻



山頂に竜王の祠を建てて以来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されております。

山道は険しいものの、途中に信貴山城址と行者の篭堂星祭り本尊があり、また空鉢護法堂からの眺めはたいへん素晴らしいものです。




この二重の塔が、多宝塔


行者堂

本来ならば、この水屋にて中央に見えるポットにお水をいれて、空鉢護法堂へと運び、お供えするのである。そういえば、参拝者は、このポットを持参しておりました。


この場所から、鳥居のつづく、石段の参道を登っていく。


 昼なお暗きという山道です。LDライトが点いている。

 
 
こんな具合で、かなり急な坂である。

山道の途中にあった祠。


参道が急な坂道なので、ねぎらってくれている。

ようおまいり

こんな鳥居のある参道が更につづく。


ようやく星祭り本尊にたどりつく。全部で八体ある。


空鉢護法堂前の鳥居群。京都の伏見稲荷を思いださせるね。


信貴山山頂近くに信貴山城跡の石碑が建っている。かってここに山城があったのだ。やはり、織田信長が滅ぼしたのである。




標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、奈良県下最大規模を有する中世城郭です。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡です。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間篭城、10月10日に落城。その後、廃城となりました。

空鉢護法堂



 
 お堂からの眺め。



お堂の裏手には、様々な鳥居と小社がある。水や龍の神様に因んだ社が多いようだ。

空龍大神


天竜

このような石灯籠も並んでいる。

 
 
 
白玉竜神

こちらは、弘法大師を祀る社。
 


空鉢護法堂の参拝を終えて、参道を下る途中で見つけた小社。
 



雨が降っているにも拘わらず、汗をかきました。キツイ坂でした。

後は、境内の堂などを紹介しよう。

鐘楼堂


多宝塔

石塔だが、面倒なので正確な名前は調べていない。


 
経蔵堂



柵に入れられている、虎のファミリー。親子の虎の石像は、珍らしいように思う。



千手院厄除観音


千体地蔵 数えなかったが、実際に千体ある。全部写しきれん。

駐車場の付近に設置してあった白虎の像。 西方守護白虎 とある。


 
その他にも、境内には寺院やお堂があるが、実際に見ていないので省略する。興味のある方は、朝護孫子寺の公式サイトを参照されたい。

見ごたえのあるお寺でした。これでおしまい。
 

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