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2015年9月8日火曜日

マルタ騎士団国

世界には極小国があって、旅行の好きな方は、すぐに地図上でバチカン市国、モナコ、サンマリノなどを見つけると思う。さらにリヒテンシュタインを加える方もいるであろう。ところが、一応国家として認められながら(日本は認めていない)、領土のない独立国がある。それがマルタ騎士団国である。今回はその国を紹介したい。

建国以来900年以上の歴史を持つ国である。領土がないと、国民はどこに住んでいるんだとお思いだろうが、世界中に散らばっているのである。

 国旗

一応政府は存在する。イタリアの首都ローマに行政府をかまえ、現在104の国と外交関係を持ち、各国に在外公館を持っている。憲法、国会、裁判所も所有している。

Wikipedia により、基礎データを取得しよう。

ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会
Sovrano Militare Ordine Ospedaliero di San Giovanni di Gerusalemme di Rhodi e di Malta
マルタ騎士団の国旗Coat of arms of the Sovereign Military Order of Malta (variant).svg
(国旗)(国章)
国の標語:ラテン語:Tuitio Fidei et Obsequium Pauperum
国歌:Ave Crux Alba
マルタ騎士団の位置
公用語イタリア語
首都イタリア、ローマ・コンドッティ通り68(事務所)
最大の都市領土を持たない
政府
騎士団総長Matthew Festing
首相Jean-Pierre Mazery
面積
総計0.012(事務所)km2(暫定最下位位)
水面積率不明
人口
総計(2007年)11,000人(192位)
人口密度xxx人/km2


ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会
通称マルタ騎士団(マルタきしだん)

キリスト教カトリックの騎士修道会である。現在は国家ではないが、かつて領土を有していた経緯から「主権実体」として承認している国々がある。
軍事組織としての意味合いは既に失われて久しいが、医療団体としての活動はあり、イタリア共和国軍の軍医部隊としても運用されている。

事務所の広さが、国土の広さなのだから領土は無いに等しい。というより無い。

現在の79代総長


Fra’ Matthew Festing

国の歴史年表を引用する。

1050年 エルサレムでキリスト教巡礼者向けの宿舎兼療養所を開業
1113年 ローマ法王から騎士団として公認される
1291年 アッコン陥落によりパレスチナを追い出され、本部をキプロス島へ移す
1310年 ロードス島を占領
1522年 オスマントルコがロードス島を占領
1530年 スペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝カルロスからマルタ島を譲渡される
1798年 フランスがマルタ島を占領
1822年 ベロナ会議により、領土を失っても引き続き国家として認められる
1834年 ローマ市内に本部を設置
1869年 ローマの本部ビルに対して、イタリアが治外法権を認める
1961年 「ロードス及びマルタ、エルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」となる
1969年 イタリアによって、ローマの本部における自治が認められる
1994年 国連総会にオブザーバー加盟する


ローマ法王からの公認が建国時とすると、今年で902年の歴史を持つ訳である。そんじょそこらの新興国よりはずっと歴史がある。人口も、2007年時で11000人なので、バチカン市国の819人よりは遥かに多い。因みにモナコ36000人、サンマリノ32000人である。

政府はローマ市内のこの建物内にある。
 
 

入り口には国旗がはためいている。

国民はマルタ騎士団の団員だが、敬虔なカソリック教徒しか入れない事になっている。活動は主に医療活動などを行うことによる人道援助で、むしろNGOみたいな組織である

現在のような状況になったのは、歴史の変遷がある。参考書から適宜引用しよう。

十字軍騎士団 (講談社学術文庫) 文庫 – 1994/6/6                              
橋口 倫介 (著)         
 
聖地エルサレムをめざし、11世紀末から16世紀まで約500年にわたって、西欧キリスト教徒たる十字軍が、中近東各地への軍事遠征を繰り返した。
 
1099年、エルサレムに第一次十字軍が独立国を建てた頃、聖地巡礼者の救護所として、マルタ騎士団の前身であるヨハネ騎士団が設立された。
 
 
 
12世紀から13世紀にかけて、テンプル騎士団と共に十字軍国家における実質的な常備軍としての役割を果たした。
 
テンプル騎士団
 
 
団員は、十字軍戦士として活動したが、1291年の聖地エルサレム陥落後、キプロス島に撤退する。ここでは、病院を運営しながら、聖地奪還の機会を伺いつつ、イスラム教徒の船を襲撃し、積荷の略奪などを続けていた(海賊である)。 キプロス島はややこしい島で、現在もギリシャとトルコの間で紛争がある。
 
 
 
キプロス島では、あろうことか騎士団は海賊と手を結び、東ローマ帝国(ビサンティン帝国)の領土だったロードス島一帯を襲って占領し、ここを領土としてしまう。
 
1309年には、ロードス島に本拠を移す。ここでも似たような海賊行為を行うが、遂には、敵対するオスマン・トルコ軍率いるスレイマン大帝により島を追われる。
 
EmperorSuleiman.jpgスレイマン1世
 
彼は、「キリストの蛇の巣を海に落とす」ことを宣言し、実現したのである。
 
 
ロードス島
 
1522年にロードス島を奪われた後、スペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝カルロスから1530年にマルタ島を譲渡され、それ以降マルタ騎士団と呼ばれるようになる。
 
マルタ島
 
現在共和国になっている。マルタ騎士団国の領土ではない。
 
マルタ騎士団のパレード(マルタ島
 
ところが、1798年ナポレオン・ボナパルトの侵攻によりマルタ島を奪われ、領土を失ってしまう。戦わずして、島を明け渡したのである。
 
Ingres, Napoleon on his Imperial throne.jpg
『玉座のナポレオン1世』
(アングル画、1806年、軍事博物館蔵)
 
そしてマルタ騎士団は、シチリア島や北イタリアを転転とし、19世紀始めにローマに本部を置くようになり現在に至っている。
 
因みに、「国家」としての地位はナポレオン死後のベロナ会議で、ヨーロッパ主要国から承認された。領土なきマルタ騎士団はイタリアからローマの宮殿と本部ビルを与えられ、ここを拠点として現在でも世界各地で病院の運営や医療奉仕を続けている。
 
コレクター目当てだが、コインや切手を発行して、それらを国家の財源としている。
 
 
 
 
額面に3ユーロとあるので、EU内では使用できそうである。
 
バチカン市国同様に郵便局があり、マルタ騎士団独自の切手のほか、グッズを購入する事もできる。ただし、万国郵便連合(UPU)には加盟していないので、切手を貼って日本に送れるかどうかは定かではない。
 
 
これでおしまい。



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