そもそも灘のけんか祭とは、松原八幡神宮の秋季例祭の俗称である。前回Wikiで引用したように、姫路市と兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されている。
灘のけんか祭りのホームページ の記事ではこう記述されている。
「灘のけんか祭り」は、また「灘まつり」とか、「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれ、古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事によって、天下の奇祭だとか、全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りであるといわれ、すでに戦前から播磨を代表する祭りとして知られていた。戦後は、この神輿練りのほか、絢爛たる屋台を盛大に練り競う勇壮豪華な屋台練りが人気を呼び、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになった。
「灘まつり」の祭礼地域は、兵庫県姫路市の南東部海岸地域のうち、現在の地名でいえば、東山(旧東山村)・八家(旧八家村)・木場(旧木場村)・白浜町(旧宇佐崎村・旧中村・旧松原村)・飾磨区妻鹿(旧妻鹿村)を合わせた地域で、一般に灘地域とか灘地区などと呼ばれている。
この旧七村が、松原八幡神社の氏子地区になるわけである。そして、お祭りでは旧各村から屋台が繰り出されるようになっている。
不十分な記事だが、Wikipediaから引用する。
松原八幡神社 | |
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所在地 | 兵庫県姫路市白浜町甲399 |
位置 | 北緯34度47分7.8秒 東経134度42分22.4秒 |
主祭神 | 品陀和気命、息長足姫命、比咩大神 |
社格等 | 県社 |
創建 | (伝)天平宝字7年(763年) |
例祭 | 10月14日・15日(秋季例大祭) |
松原八幡神社(まつばらはちまんじんじゃ)
兵庫県姫路市にある神社(八幡宮)。 旧社格は県社。秋季例大祭は灘のけんか祭りの通称で知られる。
ご祭神:
- 中殿 品陀和気命(ほんだわけのみこと) (応神天皇)
- 左殿 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) (神功皇后)
歌川豊国画
- 右殿 比咩大神(ひめおおかみ) (比咩三神)
由緒:
社伝によると、天平宝字7年(763年)4月11日、妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と書かれた霊木を拾い上げ、その霊木を祀ったことを起源とし、宇佐神宮の勧請としている。
平安時代には松原荘が石清水八幡宮の社領となり、その別宮となっていた。
弘安10年(1287年)春、遊行途中の一遍が参詣し、時衆たちに「別願和讃」を示した(『一遍聖絵』)。
「一遍聖絵」第7巻 四条釈迦堂
一遍上人と時宗については、兵庫 真光寺 を見てほしい。
それでは、写真紹介を始める。
大鳥居
松原八幡神社の由緒書き。
拡大すれば読めます。
楼門(随神門)- 延宝7年(1679年)建立 姫路市指定有形文化財である。
桜門の裏側
拝殿
狛犬二基
右殿、左殿、中殿に別れ衛る。中殿へは、横手から入る。
本殿
手水舎
絵馬殿
絵馬殿の由来を記すパネル板。
絵馬殿には、このような絵馬などの額が掲示されている。
特に、けんか祭の屋台で使われる各村の太鼓のバチが展示されている。
神楽殿
神輿庫
神具を保管する庫と思えるが、名称は不明。
この八幡神社には、摂社・末社がかなり沢山ある。
皆に一様に似た社の造りになっていて、全ての名称は分からなかったが、順次紹介する。
倶釣社
妻鹿の先人「倶釣」を祭っている「倶釣社」。この漁師「倶釣」が御神体となる霊木を松原の海中から拾い上げ、 松原八幡神社の創祀に大きく関わったとされている。
若宮社
宮白大明神
宮白稲荷社
お狐様二基
名称不明の社
高良社
日清日露戦没者慰霊堂
厳島社
春日社
若宮社
名称不明
神明社
住吉社
日躰社
左から、弁財天社・八坂社・地主社・天満社・恵美酒社。
もう一つの手水舎
脇門
ご神木のイチョウの木。
神社の紹介はこれでおしまい。
末社の名前を同定するのに、えらく時間がかかってしまった。
それでも全て分かった訳ではない。難しいものですね。
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