受賞理由は、
「ニュートリノに質量があることを示すニュートリノ振動の発見」
である。
日本のお家芸ともいえる素粒子理論の分野での受賞で、この分野では研究者の分厚い層があることの証だと言える。
素粒子論の標準理論では、ニュートリノは質量ゼロとして理論が組み立てられてきたが、それを覆す観測結果を得たことで、標準理論の見直しを求めたものといえる。実は古く、1962年に坂田昌一・牧二郎・中川昌美によって、質量存在の仮定の下でのニュートリノが振動する理論が提唱および定式化されている。
ニュートリノの研究で日本人が物理学賞を受けるのは、2002年の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授に続いて2回目になる。
産経新聞ニュースの記事、Wikipedia、林田のページ、その他の記事を基にして解説を試みる。
ニュートリノはほかの物質とほとんど反応せず、地球をも通り抜ける。素粒子物理学の「標準理論」ではいずれも重さがないとみなされていた。もし重さがあれば、長距離を飛ぶ間に違う型に変身する「振動」という現象が起こるはずだと理論的に予想されていた。
この事は、ニュートリノ振動と呼ばれているが、ニュートリノの変身を表している。ニュートリノが飛んでいるあいだにニュートリノの型が変わって、しばらくするとまた戻ったり別の型になったり、ニュートリノの種類が振動する。
ニュートリノには3つの型があって、それぞれ電子型、ミュー型、タウ型という。なぜこんな名前がついているかというと、ニュートリノが生まれるとき、電子、ミューオン、タウという素粒子のいずれかとペアでいっしょに生まれるからだ。そして、実際はそれらが複雑に混合している。
Wikipediaでは、このように解説されている:
ニュートリノ振動(ニュートリノしんどう)は、生成時に決定されたニュートリノのフレーバー(電子、ミューオン、タウ粒子のいずれか)が、後に別のフレーバーとして観測される素粒子物理学での現象。その存在確率はニュートリノが伝搬していく過程で周期的に変化(すなわち振動)する。これはニュートリノが質量を持つことにより起きるとされ、素粒子物理学の標準模型では説明できない。
このニュートリノ振動は、ニュートリノに重さがないとおこらない。60年代には、太陽の中でつくられる電子型ニュートリノの観測がさかんであったが、変身が起らないとした理論値と合わない。それで、ニュートリノに質量ありとした変身理論が受け入れられるようになった。
このニュートリノ振動の理論は、1962年に坂田昌一・牧二郎・中川昌美によって、フレーバー間で振動する理論が提唱および定式化された。あるフレーバーのニュートリノがニュートリノ振動により他のフレーバーに変換される混合の強さは、ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列(PMNS行列)によって特定することができる。
坂田 昌一 1949年 |
坂田は、惜しくもノーベル賞は受賞できなかった。
ニュートリノの観測は、加速器を用いて可能となったが、自然に発生したニュートリノを観測するのには巨大かつ精密な装置が必要になり、また超新星爆発を待たねならない。
そして、1987年、小柴昌俊氏は自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功した。その業績により、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。これは、皆さん周知のことである。
そして、ニュートリノ観測の新たな目標が与えられ、水の量16倍、検出器11倍に大型化したスーパーカミオカンデが建造された。その陣頭指揮をとったのが、小柴の弟子である、今は亡き戸塚洋二教授である。 がんと闘った科学者の記録 戸塚洋二
戸塚 洋二
彼は、ニュートリノ振動を、スーパーカミオカンデで観測している。この成果により、ノーベル賞確実と言われていた。 実に優れた宇宙物理学者で、2004年に文化勲章を受章している。
今回のノーベル受賞者の梶田隆章氏は、その弟弟子とも言える。彼らの仕事に立脚して、ノーベル賞に値する成果を成し遂げた。梶田氏たちが、1998年にニュートリノ振動の証拠を発表したのである。この観測分野は巨大科学なので、多くの研究者や技術者が集まって観測とがデータの処理を行わなければならない。その研究代表としての受賞だと考えられる。2001年のスーパーカミオカンデでの大きい事故を乗り越えての成果である。
朝日新聞デジタルニュースの記事より引用:
梶田さんは、岐阜県・神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデで、宇宙から降り注ぐ宇宙線が地球の空気にぶつかって生じる大気ニュートリノを観測。地球の裏側でできて地球を貫通してきたミュー型の大気ニュートリノの数が、神岡上空でできたものの半分であると突き止め、1998年に発表した。
大気ニュートリノはどこでもまんべんなく発生するので、「振動」がなければ同じ数だけ観測されるはず。このデータは、地球の裏側から来る間にミュー型から他の型へ変身している決定的な証拠になり、ニュートリノに重さがあることが確実になった。
その後、「振動」を世界中で精密に調べる実験が行われ、素粒子物理学の大きな流れをつくった。共同受賞者でカナダ・クイーンズ大名誉教授のアーサー・マクドナルド氏(72)は01年、同国にある観測装置で太陽から飛んでくる太陽ニュートリノでも「振動」があることを突き止めた。
この素粒子観測分野は巨大科学なので、多くの研究者や技術者が集まって観測とがデータの処理を行わなければならない。今回の受賞は、その研究代表としての受賞だととも考えられる。
と言っても、宇宙線が地球大気と衝突してできる「大気ニュートリノ」に着目し、それを観測すれば間接的にニュートリノ振動の存在を証明できるとしたのは梶田氏の独創的な発想である。そのために、1日に2個程度しか観測できない「大気ニュートリノ」を535日にわたるデータの集積により、精度をあげて世界に向けての発表にこぎつけたのは、梶田氏たちだったのである。
インタビュー記事より:
研究をすすめるきっかけとなったのは、ニュートリノの正体をつかむために1980年代につくられた巨大な観測施設「カミオカンデ」で得たデータの計算が、自身の予測とは異なる結果になったことだった。それまで別の研究のためにカミオカンデのデータを利用していたが、計算結果の違いに「何かあるんじゃないか」と感じてニュートリノの研究を真剣に始めたという。
「最初におかしいと思った瞬間を見逃さずに来れた」
と、梶田さんは話した。
しかし、このときから1998年にニュートリノの質量について発表するまで、約10年の期間があった。
「きちんと(研究を)やっていけば、何かに結びつくんじゃないかと思ってきちんとやった。自分の進んでいる道が正しいと思って頑張った」
などとコツコツ研究を続けたことを明かした。
しかし、研究の成果は決して自分だけのものではないと、梶田さんは言う。
「ニュートリノ研究というのは、一人でできるようなものではなく、スーパーカミオカンデですと100人を超えるチームが一つの目標に向かって共同で研究をして、成果を出していくというようなプロジェクト。ノーベル賞には、私の名前を出してはいただきましたが、スーパーカミオカンデ、そしてカミオカンデの研究グループが認められたということだと思う」
として、グループ全体の栄誉だとの考えを示した。
謙虚な人柄で、研究者の鏡のような方ですね。大村智氏のときも、同じようなことを書いたっけね。
受賞の理由は小柴氏の場合と全く同じである。ノーベル賞は個人に与えられるものではあるが、人類に貢献する偉大な発見の代表者としての意味もあるのだ。
スーパーカミオカンデの構造と内部
梶田隆章氏の言葉を幾つか引用したい。
「認められるまで、自分の道が正しいと思って頑張った」
「自然には、あるいは宇宙には、まだわからない、いろんなことがあります。このわからないことを、1つ1つ解き明かしていくのは、未来の研究者です。ですから、若い人には、ぜひ自然科学の研究の道を考えてもらいたいというふうに思います」
彼のような非常に優れた研究者が沢山いるということを、日本人として誇りに思っている。この様な人材をこれからも出し続けるためにも、文教予算は増やしていくべきである。日本の目指すべきは経済大国ではなく、教育大国ではないのだろうか。 これでおしまい。
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