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2016年1月30日土曜日

母の創作 II

ブログ書きを再開したいなどと書いていたくせに、再び間隔が空いてしまった。毎日病院に母の見舞いに行っている。容態の状況確認や必要物資の調達に加えて、病院や介護施設との連絡や介護認定の手続きなどがあり、走りまわっていると1日の大半が潰れてしまう。何分不慣れな作業なので、必要以上に神経を使ってしまい相当に疲れる。介護施設への入居は、介護認定が済まないかぎり難しく、事態はすんなりと思うようには運んでくれない。遅々としてしか、物事は進まないものだと痛感している。母の入院はまだ少なくともあと1ヶ月はつづく見込みである。入院時に比べ7㎏も痩せて、一層小さくなってしまったが、今のところ元気に歩行訓練のリハビリをやってくれている。

今日は、見舞いをお休みにしたので午前中に時間が取れる。それで、前回の記事のつづきを書くことにした。

今回は、母の作った押絵の紹介である。押絵ってなんだろうと思われるかも知れないので一応説明する。 Weblio辞書によると、

人物・花鳥などの絵を部分ごとに切り離し,綿で立体感を出し,美しい布地で包んで厚紙や板にはったもの。羽子板・壁飾りなどにする。押し絵細工。

と説明されている。その通りで、母の場合は人物専門の押絵である。見ていると、色紙の上に作ったものと、羽子板の上に作ったものと2種類ある。自分の気に入った作品は、額にいれて部屋の壁などに飾っている。

まづは額入りの押絵である。

御稚児さんだね。女の子の様子が可愛いね。


唐笠を持ついなせなお姉さん。  かって緋牡丹博徒を演じた藤純子がモデルと思われる。



鈴木春信の浮世絵から選んできたのだと思うが、オリジナルは不明である。


言わずと知れた写楽だが、東海道五十三次の色紙にイラスト風に貼りこんでいる。


男女対になっている押絵だが、こちらは春信風で妙に婀娜っぽい。


簪をもつ娘さん。 オリジナルは分からないのだが、母は上村松園の絵が好きなので、そこから選んで来たのでないかと思う。


おきゃんな町娘。オリジナルはあるんだろうけど、顔つきは母が好んで描くタイプである。


平安時代の旅衣裳ですね。 えらく福よかな女性です。 その当時はデブが美人だった。

 
因みに熊野古道では、こんな衣裳です。
 
 
木枯らしの中の少女 
 
 
手毬  てんてんてんまり てんてまり・・・
 

十二単を着た姫  金銀刺繍の端切れが使われていて、豪華な衣裳になっている。


源氏物語絵巻の次の絵がオリジナルと思うが、構図が違っている。

作品を見て、平安時代に口元を隠す風習があったのか、と疑問に思ったので調べてみた。押絵制作上の方便でないかと思ったのだ。しかし画像検索で虱潰しでみていくと見つかった。下の絵の左上に、袖で口元を隠した姫(女官?)が描かれていた。なるほどねと思ったのであった。


大正時代の訪問着を着た娘さん。




湯上り姿の婀娜な御姐さん。 肌を広げて見せているところが色っぽいですね。




額には入れずに、飾ってある押絵。額入りの作品と比べて遜色ないと思うが、要するに高価な額を買う余裕がなかったのであろう。カバーは、食品包装に使うラップである。どこまでも安上がりに作ってある。

小唄のお師匠さん
 
 
竹取り姫
 
 
落ち葉焚き
 
 
日本風美人画


夕涼み

花魁


現代風美人画
 

 
 

洋服より和服のほうが、押絵では見栄えがするようですね。



洋装の女性



 今回はこれでおしまい。
 
 

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