ガウディは、このファサードでは装飾を排除し、イエスの受難の苦しみを表現しようとした。彼は、冷たい石の肌をあらわにした固いフォルムの構造にすることを考えていた。そしてこのテーマを受け継いで、1954年から建設が始まり、1986年からカタルーニャ人の彫刻家ジョゼップ•マリア•スビラックスが彫刻の制作を担当している。生誕のファサードの彫刻群とはうって変わって、現代的で斬新な彫刻になっている。角ばった平面や湾曲した曲面を用いて聖書の登場人物を造形している。
ジョゼップ•マリア•スビラックス
その入り口部分
斜め下からの天井の眺め。
中央部分 上段には磔にされたキリスト像がある。
その顔立ちは、内側にめり込むように表現されている。
受難のファサード全体の眺望
ファサード上部に見えるのが、4基の鐘楼である。全部で12基ある。十二使徒を表していて、その尖塔には、当たり前だが鐘が吊るされている。
ガイドブックによれば、「最後の晩餐」から「キリストの復活」まで、12の彫刻群がファサードの下から上へ、逆にS字を描いて時系列順に並べられているとある。
その彫刻群を紹介する。
ペテロの否認
ペテロの後方には、3名の女性がいて(2名しか見えぬが)彼が3度イエスを知らぬと否定したことを表している。
この人を見よ と イエスの裁判
右側に座しているのは、ローマ提督ピラト。中央が死刑判決を受けるイエス。
ピラトが、死刑判決は自分に責任がないことを示すために手を洗う場面。
右側がユダの接吻。 ユダは、師に接吻することにより兵士にイエスであることを伝えた。
その背後の数字板は、16の数字からなる一種の魔法陣で、縦、横、斜めの4つの数字の足し算が常に33というイエスが死去した年齢になる。1+14+14+1=1+7+10+15=・・・=33、成程その通りですね。
左下に見える像が最後の晩餐の一部。
ユダの接吻像の右下には、ユダの裏切りのシンボルである蛇の姿がある。
中央の馬に乗った兵が、ロンギヌス。十字に架けられたイエスの脇腹を槍で突いたとされる兵士。上段は、サイコロ遊びをする兵士たち。
最後の晩餐 中央横を向いて座っているのがイエスで、その後方横を向いているのがユダ。
鞭打ちの刑 ローマ兵から責め苦をうけた後、柱に縛りつけられたイエス。孤独に打ちひしがれるイエスの姿が描かれている。柱の4段目が外れていることに注意。古代社会の終焉を表現しているという。
鞭打ちの刑の柱の下にいる田舎者の日本人旅行者が私。ザグラダ・ファミリアにやって来たという証拠写真である。
上段右側にあるのが、磔を背負うイエス像と、それを見守る町の人々。その中央にあるのが、聖布に現れたイエス・キリストの顔。左端が、福音史家でガウディに似せて彫刻されたそうである。
写真に写っているのは私似の日本人ではなく、私そのものである。そうは見えぬが、イエスのように人々の苦しみを背負って、鞭打ちの刑に服しているのである。階段の2段目に置かれてあるのが、その鞭。
聖女ベロニカ(左側の目鼻立ちの表現されていない像=顔なし)と兵士像(中央)。左端は福音史家。
受難のファサード横の外壁。これもガウディらしい意匠である。
このファサードには、ブロンズ製の3つの扉がある。その中央にあるのが、福音の門である。高さが6mある2枚の巨大な扉板から構成されている。写真では、その下の部分が左右開かれている。
ご覧の様に、夥しい数の文字が彫刻され、イエスの生涯の最後の2日間にまつわる福音書の内容が記されている。
扉から聖堂内に入ったところ。
ワイフと3男らしき人物が写っているが、その正体はわからない。
入り口床のペインティング
この扉の左右に、イエスの受難をレリーフにより彫刻した2つの扉が配置されている。
向かって右側の茨の冠の門。
左側のゲッセマネの門。
受難のファサードの側面写真
その上部
更に上部にある建設中の鐘楼。
鐘楼の壁面には、紋様の如く祈祷句が記されている。
ファサード横の広場に展示されていた教会の模型。
受難のファサード横にある警備員の詰所のような建物。 ガウディ風ではある。
聖堂で最も重要なファサードが、栄光のファサードであるが未完成で公開されていない。太陽が輝く南側に位置している。従って2026年の完成時まで、見られないかもしれぬ。
完成すればこのような形態になっている。塔に架かっているのが雲を表現している。15本の柱によりポーチの屋根が支えられる。
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