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2016年12月29日木曜日

タイ国リアル旅行記 XXVIII

今回は、タイのアンコールワットと言われるピマーイ遺跡の見学である。我々の到着したのは、ピマーイ歴史公園の管理事務所前である。

公園碑


公園入り口付近の風景  城外の一部は市街地になっている。 それで地元の家族連れの人が散歩に来ていたりして大変のどかです。


ピマーイ遺跡は1000年ほど前のクメール帝国の時代に建てられたものである。11世紀アンコール王朝スーリヤヴァルマン1世の治世に完成したと言われる。

タイにおけるクメール遺跡の一つである。

アンコールワットと言えば本物のアンコールワットについては、2年前に記事を書いた。

カンボジア旅行記 I  カンボジア旅行記 II カンボジア旅行記 III 

世界遺産に相応しい遺跡群でした。 再見してみてあらためて凄い遺跡だと確認しました。グルメ記事もあるので良かったらこの記事を読んでみてください。

アンコールワットの記事は、架空旅行記でも宣伝した覚えがある。調べてみると、やっぱり宣伝していました。2か月近く前なので記憶が曖昧でした。年のせいにしておこう。
タイ国架空旅行記 VII ピマーイ歴史公園とパノムルン歴史公園 

Wikipediaによる解説は上記事でなされているが、ページの移動は面倒なので再録(コピペ)する。


ピマーイ歴史公園
อุทยานประวัติศาสตร์พิมาย
寺院の本堂
ピマーイ寺院
所在地ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアン
登録日時1936年9月27日 
歴史区分クメール王朝
公式サイト文化省芸術局ピマーイ歴史公園(タイ語)
ピマーイ歴史公園(ピマーイれきしこうえん)


タイの歴史公園の一つ。ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアンにあり、クメール遺跡を保存している。


歴史公園の地図
Phimaihistparkmap.png






ピマーイ遺跡は、アンコールへとつながるクメール古道の重要な終着点の一つ。
アンコール遺跡北西260kmに位置し、同じくナコーンラーチャシーマー郊外にあるパノ・ムルン遺跡と、タイ - カンボジア国境にあるプラウィハーン遺跡(プレアヴィヒア遺跡)と並び、タイ国内では屈指のクメール遺跡である。
アンコール王朝の主都アンコール・ワット副都的な役割を担っていたと考えられている。

歴史:

多くの建築物は11世紀から12世紀の間、スーリヤヴァルマン1世(在位1011年 - 1050年)によって建てられたと見られている。その後、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181年 - 1218年)がピマーイ寺院大乗仏教寺院に改宗した。
また、この遺跡がアンコール・ワット同じ規模であることを考えると、当時ピマーイにクメール人による大きな勢力があったと考えられる。ジャヤーヴァルマン7世の治世の後、クメール王朝の影響が弱まり、スコータイ王朝が勃興すると、ピマーイの重要性は低下し、衰退した。

スコータイ王朝の前のクメール人による寺院跡です。タイ国旅行記を長く書き続けていると、にわか勉強に過ぎないが何となく歴史の流れがわかってきたような気がする。


スーリヤヴァルマン2世   ゲームで用いられた真偽不明の画像


スーリヤヴァルマンは、クメール王朝の君主の名前で、1世2世がよく知られている。ヴァルマンは、偉大な王と言う意味である。王は世襲制ではなく権力闘争の勝者がなった。
1世の記事も画像も見つからなかった。2世のほうは、アンコール・ワットを建設したことで有名である。副王時代にはピマーイ遺跡も建設している。


ジャヤーヴァルマン7世  今回は横顔  


ジャヤーヴァルマン7世(1125年- 1218年?/1220年?)

クメール王朝の国王(在位: 1181年 - 1218年/1220年)。クメール王朝初の仏教徒の国王であり、仏法で国を統治する転輪聖王となることを志して、戦乱で荒廃した国の復興を目標としていた。
彼が行った慈善事業は高く評価され、また数々の軍事遠征を実施する好戦的な性格も持ち合わせていた。彼の在位中に王国の版図はチャイヤービルマ南支那海沿岸部ラオス中央に拡大した。

公園公開の経緯

1901年にフランス人の冒険家・地理学者エティエンヌ・エイモニエによって発見された。後の1936年9月27日にはタイ政府がこの遺跡を保存することを決定。1964年から1969年の修復作業にはフランスの専門家チームも参加。1989年4月12日にはプーミポン国王の娘、シリントーン内親王を迎えて開会式が行われ一般に公開されることになった。


パンフ 日本語版が作成されている。 6つ折り12ページで、解説するにはとても有難い資料でした。




ピマーイ遺跡公園の地図



さてピマーイ遺跡群の写真見学を始めよう。

遺跡(歴史)公園に入る。城内に入ると言おうか。


遺跡の説明がなされている小屋がある。 その展示パネル。


プラップラ  この建築物は、王や貴族が寺院内で宗教儀式を執り行う際の「控えの間」であったと考えられている。


サバン・ナカラート(龍王橋)  砂岩でできた石橋で幅4m、長さ31.7mで、石橋の欄干は十字型をしている。



その正面。 2頭の獅子(シンハ)と7頭のナーガ(蛇)が橋の守り神になる。


横からの写真


神社シリーズでやっている狛犬撮影をつい思い出してしまう。こちらは狛犬でなく獅子ですが。

左手の獅子  後方がナーガ


右手の獅子と後方のナーガ


日本の狛犬と違って左右対称である。

塔門周壁

写真左手が塔門とで中央部分が外周壁になる。塔門は4辺の外周壁の各中央部分に建てられている。


塔門の屋根部分に彫られたレリーフ。ヒンドゥーのナーラーヤナ神風ですが、全員シェ―をやっています。イヤミのシェ―の起源はここにあったのです。




ナーガの背中  


親父の背中を見て子は育つ。 

塔門内の回廊は田の字に巡らされている。

回廊



回廊をくぐりけたところからが参道になる。 

そしてピマーイ遺跡群が現れる。アンコール・ワットと様子が似ていますね。

写真真ん中の高い建造物が中央祠堂である。


上空にはドローンがいて遺跡の撮影をしている。写真を拡大すれば確認できます。


プラン・ヒン・デーン中央祠堂


ピマーイ遺跡と爺さん  ここまでやって来たという証拠写真。


遺跡群を見て廻ろう。


正方形のテラス跡  2か所ある。


プラン・ブラマタット ラテライトを山積みにして作られた塔である。



別の方向から



プラン・ブラマタットと若き僧侶
 回廊入り口


 内周壁

 内周壁はこのように回廊になっている。屋根部分は失われている。



回廊巡りを始める。  天井の付けられた回廊に入る。 仏像が光の中に見える。

壁のレリーフ

ナーガを背にした仏像でした。


回廊の外で佇む学生さん


回廊の中で写生をする学生さん


天井の失われた回廊への入り口   


修復中の回廊もある。

 回廊の外にでる。

回廊出口部分の門上にあるレリーフ  ナーラーヤナ神でしょう。 見事な彫刻です。


回廊の外観





中央祠堂の全貌







中央祠堂の入り口


壁面の踊るナーラーヤナ神




ピマーイ遺跡の上空を飛ぶ鳥 カケスと思われる。 右側は中央祠堂の入り口部分。




プラン・ヒン・デ―ン 紅色の石塔の意味である。


その中に安置されていたトルソーの仏像


学生さん達が城内のあちこちでスケッチをしていた。

ピマイ城外では絵画展が開かれているようで、プミポン国王を描いた絵が沢山展示されていた。
(注:拡大して解ったが、全ての絵画がプミポン国王でした。)
絵画をゆっくり見る時間がなかったのは残念でした。


ナーガ橋のテラス

ナーガ像が4体ある。逆方向から2体はすでに写した。残りの2体の写真。


変化は見られないので最後の1匹は小さく写す。

大木があるとご神木だと思いつい写したくなる私でした。 石碑があるのでそうかもしれない。 乳母車があるのは全く気が付かなかったなあ。


これでピマーイ歴史公園の紹介はおわる。 今回も長い記事でしたね、でおしまい。


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