西岸の船着き場からバスに乗って10分足らずの場所にある。
その車窓風景
公団のような集合住宅。 見えにくいかもしれぬが、壁にはエジプト風絵画がペイントされている。
町にはナイル川からの用水路が引かれ緑はふんだんにある。
野菜畑と棗ヤシ。 子供を前に乗せたお父さんライダーが出現。日本では交通規則に違反してるが、エジプトではこのスタイルでOKなんでしょうね。
種付け前の畑
メムノンの巨像がある広場に到着。
エジプトの神々やオベリスク、王妃の頭部等、色んな彫像の置いてある土産物屋。興味ある方はこの画像を拡大して見て下さい。その他、スフィンクス、ツタンカーメンの仮面、象、🙈、🙉、🙊 なんてもあって面白い。私も拡大してみて初めて知った次第。
これがメムノンの巨像。 左右二体の座像が残されている。アメンホテプ3世の像である。赤花崗岩で造られている。野原にあり、拝観料は無料。
この巨像は記憶に残っている。現役時代、何も知らずパソコンのスクリーンセーバーに使っていたのです。
ここでWikipedia さんから、その解説をして頂く。 エジプト人ガイドのAさんから同様の話を聞いたが、その場限りの記憶で覚えていないので、Wikiさんに頼るしか他ないのである。
メムノンの巨像
メムノンの巨像
エジプト・ルクソールのナイル川西岸にある2体のアメンホテプ3世の像。高さ約18m。
呼び名はギリシアの伝説、トロイア戦争に登場するエチオピア王メムノーン(メムノンとも記す)に由来する。プトレマイオス朝時代にはギリシャ神殿のメムノンのものとされ、この名が付いたという。
元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿が控えており、その入口の部分であった。葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊した。
名前の由来となったメムノーンはギリシャ神話に登場する武将で、エチオピア軍を率いて、トロイアの援軍にやって来る。戦闘でアンティロコスを殺すが、復讐に燃えるアキレウスによって殺される。
同じくギリシャ神話の英雄であるアガメムノーンとは別人。思わず混同してしまった。
アメンホテプ3世の葬祭殿を破壊した罰当たりな王様(の一人)であるメルエンプタハ王。
メルエンプタハ(Merneptah、在位:紀元前1212年 - 紀元前1202年)
古代エジプト第19王朝第4代目のファラオ。ラムセス2世の第13王子。メルエンプタハは誕生名であり、即位名はバエンラー・メリネチェル(「ラーの魂、神々に愛されしもの」)。
メムノンの巨像の伝説
向かって右側の像は紀元前27年の地震によりヒビが入り、夜明けになると、おそらく温度差や朝露の蒸発のせいで、うめき声や口笛のような音を発していた。
メムノンの巨像が声を出す現象は当時のガイドによって脚色され、メムノンの死別した母への呼び声だとされた。
メムノンの巨像は声を聴こうと詰めかける人々で観光地化して、その中にはハドリアヌス帝と妻のサビナもいた。サビナは130年にメムノンの巨像を訪れ、「日の出後の最初の一時間のうちに、メムノンの声を二度聴いた」という証言を残している。
メムノンの巨像の解説パネル メムノンの巨像とアメンホテプ3世葬祭殿保存プロジェクトの解説である。かっての葬祭殿の復元図などが記載されている。興味ある方は拡大して見てください。
向かって左側の巨像
右側の巨像 こちら側の巨像の胸には穴が開いており、そこから叫び声が発せられたのである。現在は修復されているので、そのような音は発生しない。
下から見上げた巨像
葬祭殿跡を眺めていると、崩れてはいるが奥にもう2体のアメンホテプ3世の立像と座像があるのが見て取れる。
右側の巨像の背後の丘陵にハトシェプスト女王葬祭殿がうっすらと見える。
立像の向こうに見えるのが、かっての墓盗人の村(一部)。
右側の巨像の上体部 頼り甲斐があるらしく、鳩がアメンホテプ3世の頭や肩、穴の開いた胸に羽根を休めていた。糞害もあるでしょうね。
右巨像の下半身
左側の巨像 こちらも顔から胸の部分にかけて崩れ落ちており右腕が失われている。
横から見た左側の巨像
左側の巨像の台座に刻まれているレリーフ。きっとアメンホテプ3世でしょう(実は曖昧)。
2巨像を後ろから見た写真。右側の巨像はかなり修復されているのが良く見て取れる。ブロックで胸の穴が塞がれてしまっているので最早叫び声は出ないのである。
反対側からの写真。 左側の巨像のほうが破壊度は少ないといえよう。台座やレリーフなどはほぼ残されている。
今回はこれでおしまい。次回はハトシェプスト女王葬祭殿の見学。
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