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2017年3月5日日曜日

久々の雑感

1か月もブログを更新していませんでした。ワイフと10日間の小笠原旅行をした後、見果てぬ夢の数学の計算ばかりしていました。旅行中に浮かんだ理論の疑問点を理解したいと思ったからです。日常の仕事として朝食の支度や洗濯掃除があり、それを済ませてからの神経と能力を使う仕事だったので頭の疲労が大きく、遊びの旅行記事を書く元気が無くなってしまったのです。

同じような計算を何度も繰り返し、捗々しい進展はなく、結局新しい理論(完成しても大したことはない)の基礎になる結果が条件付きでしか成り立たない事が確認された。相当煩雑な計算でしたが無駄に終わったわけです。
その条件は数学的には不自然ではないが、扱う方程式のクラスが不自然に制限されてしまい理論の有難さが半減されてしまう。それでは理論でなく特別な場合の話になってしまう。色々とあがいてみたが、この条件を取り除くことは今の私の力では不可能としか思えない。資料が手に入りづらいのと、そもそも打開のアイデアが思い浮かばない。能力の低下は歴然としている。自分でも情けないけどこれが年を取るという実態だと言える。断定的にいうと頭がポンコツ化しているのを認識しました。

その理論の制御理論への応用を考えていたのだけど、結局は砂上の楼閣のようなものになってしまう。実体(を支える証明)が無いものね。今はかげろうみたいなものだ。

こんな悲しい結論に到達して、まあ年だから仕方ないよと自分を慰めていました。別の残された問題も幾つかあるのだが、それは落穂拾いみたいな問題で自分としては本心から考えたい問題ではない。やりたいことが無くなって空虚な気持ちが広がっている。そうです。そんなに気分は苦しくないのだけど、老人性の鬱病になっている。昨年は母の入院とワイフの大病など余りに沢山のことが起ったので、日々生きることだけで精一杯だった。ほっとした今、その反動が出てきている。研究能力の低下もしくは消失を考えに入れてなかった訳だ。

それでも社会的存在として周りに迷惑をかける人はいないので、精神的には苦しくない。今の所は貧困老人ではないので、日々を楽しんで生きていこうと思っている。ここから先は、どうすれば建設的に生きていく支えを得るのかの考えが纏まらない。・・・

小笠原父島で写した趣味の黄昏写真を3葉アップする。







写真のような日の沈む前の輝きが今の私の気持ちにはない。

今回はこれでおしまい。





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