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2017年3月15日水曜日

エジプト旅行記 XXVI

ブログを書く時間がなく又もや開店休業状態になってしまった。諸々の事情があり、私としては致し方の無いことでした。この旅行記を中途半端で終わらすことなく、気力をふり絞ってつづけることにします。

今回はギザの3大ピラミッド観光の後篇で、太陽の船博物館の見学記である。博物館はクフ王のピラミッドの南側にある。



上の写真ではわかりづらいが、建物は船の形をしており、つぎの写真のようにピラミッド側はガラス窓が張り巡られている。斬新なデザインです。




太陽の船は通称で、 通常はクフ王の船と呼ばれている。 Wikipediaでは、このように解説されている。


クフ王の船(クフおうのふね、通称「太陽の船」)

1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船である。クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされている。


復元されたクフ王第一の船(正面)

クフ王第一の船は全長42.32m、全幅5.66mもの大きさで、古代の、最も古く、大きく、保存状態の良い船の1つである。主にレバノン杉板で作られていた。

発見の歴史はこのようになっている。

1954年にクフ王ピラミッド南側で発見される。第一の船は、649の断片に分解された状態で、台地に掘られた石坑に封をされていた。そのため、船は発見されるまで全く乱されていなかった。エジプト考古庁により、28年の歳月をかけ再現され、特にエジプト人のアフメッド・ユーセフはこれらの断片を14年かけて組み立てた。

アフメッド・ユーセフ

同様に第二の船についても、石杭が見つけられその存在は予想されていた。吉村作治の率いる
早稲田大学エジプト学研究所が1988年電磁波レーダーを用いた地中探査を行い木材反応を確認、翌1988年アメリカ隊が石坑内部を小型機器で視認、もう1隻の別の船体が発見された。




世間で流布されている吉村作治が、第一の船の発見に触発され第二の船の存在を確信してそれを探り当てた(同様にクフ王のピラミッドの秘密の地下室も発見)というのは正確には正しくない。ハイテクの機器を用いて、予想されていた存在を確認したというのが実情のようです。

勿論それでも日本人としての吉村作治と早稲田グループの貢献は素晴らしいと思っている。

こちらは「クフ王第二の船」と呼ばれ、発掘・保存・復元はエジプト考古庁早稲田大学エジプト学研究所が共同で行うこととなり、2011年6月23日より約5年間の予定で発掘が進められている。2012年2月20日より埋設現場から木製部材の採取を開始しており、600以上の木片を回収し木造船を復元する予定。

ということで現在復元中のようです。復元が完成されれば、新しく建造中の新考古学博物館に展示される予定である。日本からは484億円を供与する手はずになっている。

太陽の船博物館では、第一の船の資料展示がなされている。

館内に入るには、砂が入るのを防ぐため大きな靴カバーを付ける。

館内の1階部分



展示品を見ていく。

発見された石杭が積まれている様子。実際はもっとびっちりと被せられていた。


この石杭の下の船が断片に分解されて埋め込まれていた。


発見された当時の、木材が積み込まれている様子の写真。


王の船室の屋根(二重にカバーされている)


船を組み立てるのに使われたロープ。ハルファという草から作られたロープである。


船の主要部を結びつけるのに用いられた、複雑に組み合わされたロープ。


発掘当時の写真

並列する石杭


 全石杭の並んでいる様子と、それらを持ち上げて船が現れてきた状態を示した写真。


発見された組みひもの山


発見された当時の船の分解断片が収納された状態


当時のナセル大統領も視察に来たようです。


第一の船を再現する当時の作業状況を示した写真


第一の船の復元模型

中央に王の船室があり、その後部にオールが並んでいる。


館は中央部分が吹き抜けになっており、そこに復元された太陽の船が展示されている。船の周囲を取り巻くように通路が付けられていて、船の全貌が様々な方向から見学できるようになっている。

それでは、実物のクフ王の船を後部から見ていこう。





王の船室

舳先 


舳先部分からの眺め





クフ王の船を見てご満悦の爺さん


階上の少し離れた所から見ると、王の船室は空っぽで豪華という気はあまりしない。


吉村作治の著作では、太陽神ラーの元、復活する王を運ぶ儀式の船と断定的に書かれている。そのためこのクフ王の船太陽の船と呼んでいる。しかし、実際は水で使用されたと見られる跡があった。

現在の研究では、クフ王が死んだ際、メンフィスからギーザまで王の防腐処置を施した死体を運ぶために使用されたか、クフ王自身が巡礼地を訪問するのに「巡礼の旅船」として使用されたのではないかとされている。

当時の豪華絢爛たるクフ王の船がナイル川を曳航する様子を見たかったものです。

今回はこれでおしまい。

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