2年前に神社の記事を書き始めたときに良く知っている三宮神社を紹介した。このとき三宮神社は生田裔神八社の一つであると(調べて)記した。 神戸の神社ーー三宮神社と速水神社
生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、生田神社を囲むように点在している裔神八社のことである。
その八社は以下の通り。
七宮神社
以上八社のうち三宮神社のみ記事にしている。その他は参拝をした覚えはあるのだが記事にはしていない。
それで折をみて残りの神社も写真取材しようと思っている。まづは手近な所から見て回ろうと考えている。 今回は、その手始めで中山手通りにある四宮神社である。
この神社は正しくビルの谷間にある。
神社前を道路が走っている。少し奥まったところに朱塗りの大鳥居がある。
四宮神社 よのみやじんじゃ の社碑
大鳥居
ここでWikipediaから基礎データを入手する。
四宮神社 (神戸市)
四宮神社 | |
---|---|
所在地 | 神戸市中央区中山手通5丁目2-13 |
位置 | 北緯34度41分27.8秒 東経135度10分54.2秒座標: 北緯34度41分27.8秒 東経135度10分54.2秒 |
主祭神 | 市杵島姫命 |
社格等 | 旧村社 |
別名 | 四の御前神 |
例祭 | 5月11日 |
四宮神社 (よのみやじんじゃ)
神戸市中央区中山手通に鎮座する神社で、生田裔神八社の1社。
ご祭神:
市杵島姫命 (イチキシマヒメ)
弁財天のことである。
四宮神社のホームページでは、ご祭神をこのように紹介している。 フェミニストの女性が読めばカチンにくるかもしれません。
弁天さま。
この神様はまさしく、七福神の一柱でございます。
現代では「えべっさん」「だいこくさん」が福の神と信じている人が多いのですが、「弁天さま」も福の神なのです。
女神であるが故に、男神より前に出ないで、男神を前に、女神である弁天さまは、一歩あとに引かれている。つつましやかで、おひとやかな女神さま。他の男神のみんなに尊敬され、もてられた、女神を代表する美しい神様であるといえるのです。
七福神が宝船に乗られて、「だいこくさん」のふるさと、出雲の国に向われるとき、又七福神が一堂に会されたときも、「弁天さま」はまん中で、男神に囲まれ ているのです。六柱の男神から慕われ、崇められ、愛されている女神「弁財天」こそ、絶世の美神、人間でいうなら男性が誰でも美しいという、 絶世の美人といえるでしょう。
美神であり、才たけて、芸能、文学、何んでも器用にこなす、女らしく、すなおで、やさしく、八百万(やおよろず)の神様に愛された、女性の しあわせの神「弁財天。」
この神様は、天照大神と素盞鳴尊の間に産まれた五男三女神の一柱であります、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」でございます。
四宮神社は「市杵島姫命」通称「弁財天」一柱を主神としておまつりしている、福の神、芸能の神、智徳、財宝、「えんむすび」 の神でございます。
この神様はまさしく、七福神の一柱でございます。
現代では「えべっさん」「だいこくさん」が福の神と信じている人が多いのですが、「弁天さま」も福の神なのです。
女神であるが故に、男神より前に出ないで、男神を前に、女神である弁天さまは、一歩あとに引かれている。つつましやかで、おひとやかな女神さま。他の男神のみんなに尊敬され、もてられた、女神を代表する美しい神様であるといえるのです。
七福神が宝船に乗られて、「だいこくさん」のふるさと、出雲の国に向われるとき、又七福神が一堂に会されたときも、「弁天さま」はまん中で、男神に囲まれ ているのです。六柱の男神から慕われ、崇められ、愛されている女神「弁財天」こそ、絶世の美神、人間でいうなら男性が誰でも美しいという、 絶世の美人といえるでしょう。
美神であり、才たけて、芸能、文学、何んでも器用にこなす、女らしく、すなおで、やさしく、八百万(やおよろず)の神様に愛された、女性の しあわせの神「弁財天。」
この神様は、天照大神と素盞鳴尊の間に産まれた五男三女神の一柱であります、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」でございます。
四宮神社は「市杵島姫命」通称「弁財天」一柱を主神としておまつりしている、福の神、芸能の神、智徳、財宝、「えんむすび」 の神でございます。
歴史:
神功皇后三韓征伐の帰途、生田神社の裔神八柱の神を8ヶ所に奉斎された内の一社で、四の御前神とも云う。以下箇条書きでその歴史を書く。
- 永禄10年(1567年)荒木村重が織田信長の命により花隈城を築くと、当社を鬼門鎮護の神として神宝幣帛を捧ぐ。
花隈城跡(花隈公園)
- 天正8年(1580年)7月2日、城代荒木村正が敵対すると、信長は怒って池田信輝に落城させた。この時の兵火で社殿悉くを焼失。
- 安政元年(1854年)9月現在地に移転するも、この後社頭大いに荒廃する。
- 明治38年(1905年)6月2日失火により焼亡。
- 明治43年(1910年)社殿を再建。
- 昭和2年(1927年)11月19日村社に列す。
- 昭和20年(1945年)6月5日の神戸大空襲で大破。
- 昭和38年(1963年)5月10日に再建。
- 平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災。
- 平成9年(1997年)に改築す。
大震災後2年で改築している。驚くほどの速さである。他の小神社は修理費不足でそういう訳にはいかなかった。
それでは境内の紹介。
拝殿
常夜燈
こちらは、屋根の部分は変わっている。 木製の場合このタイプは多いのだが、石製では珍らしいように思う。最近(平成9年ころ)作られたものである。
拝殿前 狛犬二基
手水鉢
拝殿中 柱から祭壇まで全部が見事な朱塗りです。
拝殿のしめ縄
脇社の巳神社
同じく八幡神社
拝殿前の狛犬二基 子犬サイズです。可愛く造られている。
脇社の稲荷神社
朱塗りの神明鳥居が3門連なっている。
その額束には、正一位 白獄稲荷大明神 三義稲荷大明神 武富稲荷大明神 とある。この三神を祀っている。
稲荷神社をお守するお狐様二匹。化粧済みで目元、口元はくっきりです。
御本尊を祀る社
木製の常夜燈 すでに灯りが入っていました。
社にもお狐様が二組いる。厳重にお守りしているのである。
弁財天は芸能の神なので、それにちなむ塚がある。
弁財天 芸能塚
「諸人よわが道つとめ花開らく恵みあたえん知恵と宝を」
題字坂井時忠兵庫県知事筆 中尾一艸書 昭和60年4月建立。
これでおしまい。
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