一宮神社は、神戸市バスのバス停加納町3丁目から歩いて2,3分のところにある。一昨日母の施設に行った帰りの取材で、5月半ばというのに気温は30度近くあり夏日であった。暑い最中の撮影でした。
一宮(いちのみや)とは、通常ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。しかしながら、調べてみると元村社でそれ程格式が高いとは思われない。境内はそれなりの規模を持っている。
石鳥居 額束には一宮神社とある。 真新しく、確か平成13年度に建立されていた。
社碑
ここでWikipediaによる基礎データを与える。
一宮神社
一宮神社 | |
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所在地 | 神戸市中央区山本通1丁目3-5 |
位置 | 北緯34度41分55.7秒 東経135度11分32.2秒座標: 北緯34度41分55.7秒 東経135度11分32.2秒 |
主祭神 | 田心姫命 |
本殿の様式 | 春日造り |
別名 | 市の宮 |
例祭 | 4月10・11日(春祭) 10月第3または第4土・日(秋祭) |
一宮神社(いちのみやじんじゃ)
神戸市中央区山本通に鎮座する神社。生田裔神八社の1社。
ご祭神
田心姫命 (タゴリヒメノミコト)
日本神話に登場する宗像三女神の一柱である。
中央が田心姫命。
大国主命の后で、生成発展・航海交通安全・厄除けの守護神であり、旧北野村の鎮守である。
大国主命の后で、生成発展・航海交通安全・厄除けの守護神であり、旧北野村の鎮守である。
ご祭神は福岡県宗像郡沖ノ島の宗像大社より勧請したといわれる。
歴史:
神功皇后が三韓からの帰途巡拝された一社である。
四宮神社、五宮神社と同様である。
- 創建年代は不詳、一説には4世紀ともいわれている北野村の鎮守社。
- 元禄3年(1690年)の調書に「市の宮」とある。
- 昭和22年(1947年)山口神社(奈良県大柳生村)の境内社戸隠神社を模して社殿を再建。
- 昭和30年(1955年)本殿再建。
新しい大鳥居をくぐり駐車場を抜けると石垣が築かれていて、そこが神社の境内入り口になる。
境内入り口にある石鳥居
社碑
鳥居横の常夜燈 一基は境内の緑の中に立っている。
もう一基の常夜燈 坂下は神戸中心部のビル街で背景の緑は極小である。
境内の様子 嬉しいことにこの神社は緑で一杯である。 五宮神社とは対称的。 石段を上った処は拝殿である。
社務所はモダンな建築で、境内にある庭はイングリッシュガーデンという風情である。個人の邸宅と何ら変わりはない。
犬槙 故ダイエー社長の中内功が寄贈した木である。
ダイエーもイオングループに吸収され、今や店舗名もなくなりつつある。栄枯盛衰は人の世の常である。
手水舎 元大和郡山城主 本多忠直公の御門(1710年築)を再移築したものである。道理で最近の神社らしからぬ立派な造りだと思った。
拝殿前の常夜燈と石段
なぜか石段前に賽銭箱が置かれている。不思議だと思ったがその理由はすぐにわかった。右側の常夜燈の傘石が妙に白いのは震災後に取り替えたためである。
拝殿 木が茂り過ぎて写真撮影の邪魔をしている。 拝殿前にお賽銭箱は置かれていない。1次的に移動したのでしょう。
拝殿の社屋は冬季にはこんな風情です。
本殿屋根
拝殿前 狛犬二基
拝殿の扁額と鈴
拝殿中
拝殿からの境内の眺め
摂社の熊高稲荷神社
宇迦之御魂神 (ウカノミタマ) をご祭神とする。ご覧のように女神様である。
こちらは朱塗りの明神鳥居
熊高稲荷神社
扁額 熊高稲荷 とある。 正一位 とかは無くてシンプル。
同じく摂社の伊久波神社 である。
ご祭神は伊久波戸田宿禰命(イクハトダスクネノミコト)で、的戸田宿禰命とも記す。
古代(3~4世紀)この辺りに栄えた一族の布敷首により、この土地が開発された事等を敬って、その子孫達により当社に祭られていると伝えられている。 (神奈備より:伊久波神社 )
伊久波神社 拝殿と呼びたいがそれ程の規模ではない。
扁額
社
「焦げた松の木」の切株
過っては境内に植えられており、三宮駅からもこの松の木が望まれたそうで、神社の目印になっていた。
石灯籠の台座とも異なる見慣れない石の造形があった。
何だろうと思ったが彫刻作品であった。
陽として依然輝く マガラ作
題名の如く太陽を表現したもので、阪神大震災で倒壊した鳥居の石を素材にした作品です。
その説明板。
道路に面した側にある渡し鳥居。
これでおしまい。
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