それで神戸港にはこんなのもあるぞ、ということでその紹介をしたい。
PORT OF KOBE
カモメ 中央部分に陶板のパネルがあり、帆船の日本丸の写真が焼き付けられている。
イルカ ロイヤル カリビアン号 の停泊している姿がパネルになっている。
汽船 カモメ イルカ(神戸港でイルカは見たことがない!)
神戸空港
お馴染みの ポートタワーと海洋博物館
北野異人館 風見鶏の館
神戸市立みなと保育所の子供達の作品をもとにして作成された。
その3作品 クジラやイルカは神戸港には来ないってば・・・、と大人は考えるが、子供の空想力はそんな事とは無関係に羽ばたく。空飛ぶ潜水艦もある。
ネットで検索しても全部はでてこないという、メリケンパーク入り口通路壁タイル絵のコンプリートでした。
これで今回の目的は達したのだが、ついでに、メリケンパーク入り口前にある港公園の史蹟を紹介しておく。プチ神戸の歴史勉強です。
海軍営之碑(左側で複製)と 陸奥宗光の顕彰碑(右側)
海軍営之碑の篆額部分
徳川家16代当主徳川家達の書
御三卿の一つである田安徳川家の慶頼の三男、幼名は亀之助。明治元年(1868)徳川宗家を相続。名を家達に改め、駿河国府中七十万石に封ぜられた。2年の版籍奉還により静岡藩知事となったが、廃藩置県により免ぜられる。10年から15年にかけて英国留学。17年公爵。23年帝国議会開設とともに貴族院議員となり、36年から昭和8年(1933)まで貴族院議長をつとめる。
碑文
勝海舟直筆の海軍営之碑です。
勝海舟は、かねてより欧米列強と対等の関係に立つためには、場合によっては戦争を覚悟しなければならない。そのためには、なによりも海軍を充実させる必要があると考えていた。勝海舟は、神戸に海軍操練所の設置を家茂に進言して許可を得たのである。
建物や附属の設備が完成して神戸海軍操練所の運営が開始されたのは1864年である。
勝海舟がつくった神戸海軍操練所跡が京橋筋南詰にある神戸海軍操練所跡碑
元治元年(1864)5月から幕府派・反幕府派を問わず、 全国から生徒を募集した。集まったのは志の高い青年ばかり。約200人がここで学んだ。 しかし、一部の塾生が、7月に起きた蛤御門事件に反幕府派として参加、海舟は幕府の嫌疑を受け、元治2(1865)年3月、海軍操練所は閉鎖。 1年足らずの間であったが、坂本龍馬、伊藤祐享(伊藤博文)、陸奥宗光など、新しい時代を担う人々を輩出し、海軍の歴史にも大きな影響を残した。 神戸水上警察署横の「みなと公園」内には、これらの人々の功績を称えた顕彰碑が建てられている。
陸奥宗光の顕彰碑 碑文
「陸奥宗光は海軍操練所で学び、第4代兵庫県知事となり、 また後年には伊藤博文内閣の外務大臣となり活躍しました…」
もう一つは「明治維新に活躍した大人物が多数輩出されました。この浜は新しい日本の発祥の地である」 幕末散歩の記事より引用
その裏側
陸奥宗光
TVドラマ 坂の上の雲 では 大杉漣が演じていた。
これでおしまい。
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