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2017年10月14日土曜日

伊豆 修善寺温泉散策 I

伊豆修善寺シリーズの3回目で、今回は修善寺温泉街散策の前篇である。修善寺日枝神社を参拝しおえてから、大型車両通行止めの通行路をそぞろ歩きする。

修善寺温泉駅  伊豆箱根バスのバス駅である。ここから高速バスが出ている。鉄道駅はずっと先にある。


湯回廊 菊屋 

駅の川向かいにある。レトロな宿で明治期のものだそうです。この旅館は創業360年という歴史をもち、昭和天皇が御幼少のころ宿泊され、また夏目漱石が泊まった部屋が残っているという老舗の旅館です。


菊屋 玄関口

現在の玄関口は大変モダンになっていて、ここから川越えの渡り廊下で古くからある客室に通されるという。新築の新しい客室も沢山あるそうです。




ここから元の道を戻り、指月殿竹林の小径桂川橋巡り河原湯とっこの湯を見て廻る予定である。

その前にどこか老舗の店で昼食をとることにした。ガイドブックを見て名物の禅寺そばを食べようと思ったのだが生憎その店は閉まっていた。それで代わりに前々回パンフで紹介した名物料理の店に入ったのであった。

この めし屋 みず である。



店内は懐古調で昭和初期の趣きがある。座敷席に通して貰った。


テーブル席もあり、こちらも懐古調である。


それではお待ちかね(誰も待ってなどいないが)のグルメ写真である。

花車弁当  1380円 
女性向きのお弁当で色とりどりの食材が使われている。京風の味付けだそうです。ワイフが注文。中々のお味だったそうです。



男組は 修善寺懐古そば 1180円

そばは本式でわさびも生わさびでした。美味です。黒米「古代米」の稲荷つきで、お惣菜の味付けも悪くはない。生野菜はフツーでした。



食事をおえて指月殿に向かう。石畳の遊歩道をしばし歩き脇の細い小径に入る。

石畳の坂道を登っていく。


歩くこと2分ほどで指月殿前にでる。 その前には幾つかの民家と思しき家屋がある。

手水舎のようだが正確にはわからない。


堂碑のようだがこれまた不明である。


指月殿の案内板

指月殿  歴史を感じさせる木造のお堂です。


この指月殿鎌倉時代初期の建築物で伊豆半島で最も古い木造建築物として知られている。歴史的には、源頼家の冥福を祈って母である北条政子が建て修禅寺に寄進されたと伝えられている。

堂額  指月殿 と書かれているはずだが最後の漢字が読めない。


ご本尊の 釈迦如来坐像 


資料によるとこのように説明されている。

静岡県指定文化財に指定されていて、高さ 203cm、膝張り 169cm というスギなどの寄木造りで、鎌倉時代の作とされ、蓮の花を手にした禅宗式という、とても珍しい坐像となっています。静岡県指定文化財に指定されている。

南想塔  太平洋戦争の慰霊碑である。



仮名垣 魯文句碑


谷川や 月のはこびも 九折

名称不明の小社  鳥居と社殿の形から稲荷社と思える。



小さいながら常夜燈もある。

源頼家の墓  



源頼家にまつわる歴史ヒストリアはつぎの記事に簡潔に記されている。

伊豆市観光ガイドより引用。 源頼家の墓


岡本綺堂」(おかもときどう)の「修禅寺物語」に登場し、数奇な運命をたどった武将として知られている人物の墓なのですが、今もひっそり、どこか寂しげに佇んでいるかのように見えるそのお墓が、『源頼家の墓』です。

源頼家は、1199年に、鎌倉幕府を開いたことで知られる、初代将軍「源頼朝」の後を受け、家督を継ぎ征夷大将軍として、鎌倉幕府二代将軍となりました。

父からすべてを譲り受け、鎌倉幕府の実権を握るはずだった頼家公でしたが、家督を継いでからというもの、北条氏を中心とした豪族たちの反発から、配下の武将を掌握することができずにいました。

そんな中、1203年に自らが病に伏せると、一気に家督相続問題が勃発し、その最中、鎌倉から遠く離れた、この修善寺の地に幽閉されることとなりました。

しだいに北条氏と袂を分かつこととなっていった頼家公は、北条氏をよく思っていなかった比企氏とともに復権を誓い試みたのですが、それも叶わず、逆に比企氏は「北条時政」により滅ぼされ、北条氏の逆鱗に触れた頼家公は、1204年7月18日、幽閉先の「修禅寺」の門前にあった「箱湯」にて、入浴中に暗殺されてしまいました。

享年23歳という短すぎる生涯を閉じることとなった頼家公の、不憫な一生を憐れみ、その冥福を祈り建てられたのが、実母でありながら自らの子を追い込むこととなった「北条政子」が建てた「指月殿」でした。

そしてその傍らに、ひっそりとこの「源頼家の墓」が築かれることとなりました。

という悲劇の物語です。

はこの石段の上にある。 賽銭箱もありますので寄進は忘れないように。


墓石


本当の墓は、大きな墓石の背後にある二基の小さな五輪石塔である。


はこのような玉垣で囲まれている。


石の祭壇 祭主はわからない。


源頼家の家臣 十三士の墓



源頼家をお守りした家臣ということだが、その十三士の名はわかっていない。



十三の仏塔が並ぶ。


これでおしまい。

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