約45分走り三嶋大社に到着。
社碑 見上げるような巨大な社碑である。旧社格で言うと官幣大社で、国から厚く保護されている大神社である。
石の大鳥居
参道から撮影した大鳥居
常夜燈 立派な木造屋根つきの常夜燈である。三嶋大社の社紋まで入っている。
石の常夜燈 こちらは標準タイプである。
ここから先が社殿へとつづく参道である。
その参道脇に末社の厳島神社がある。いつもだと末社は本社紹介の後になるよう編集するのだが、今回は参拝の時系列で紹介する。できれば再編集したいと思うが、この所の業務過多で時間をかけられずお許しください。
厳島神社の由緒板
ご祭神: 市杵嶋姫命 (イチキシマヒメ)
由緒: 北条政子の勧請と伝えられている。
由緒: 北条政子の勧請と伝えられている。
神池の鯉 源頼朝がこの池で放生会を行なったと伝わっている。
社殿 神池内の中の島に鎮座する。 厳島神社特有の朱塗りの社殿です。
総門 出雲神社ほどではないが大しめ縄が立派。姿の美しい門構えである。
大しめ縄
本殿境内に入る前に三嶋神社の基礎データをWikipediaにより確認しておく。
三嶋大社
三嶋大社 (三島大社) | |
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舞殿(手前)と拝殿(左奥) | |
所在地 | 静岡県三島市大宮町二丁目1番5号 |
位置 | 北緯35度7分20.66秒 東経138度55分7.79秒座標: 北緯35度7分20.66秒 東経138度55分7.79秒 |
主祭神 | 大山祇命 積羽八重事代主神 |
社格等 | 式内社(名神大) 伊豆国一宮 伊豆国総社 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 8月16日 |
主な神事 | お田打ち神事(1月7日) 粥占神事(1月15日) 奉射神事(1月17日) 鳴弦式(節分の日) 流鏑馬神事(8月17日) |
地図 |
三嶋大社
伊古奈比咩命神社
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三嶋大社(みしまたいしゃ、三島大社)
静岡県三島市大宮町にある神社。式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
静岡県東部の伊豆半島基部、三島市の中心部に鎮座する。周辺は伊豆国の中心部として国府のあった地で、のちに三嶋大社の鳥居前町として発達、いつしか地名も大社に由来して「三島」と称されるようになったとされる。
三島の地名は三嶋大社から来ているとは知らなかった。
社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。
中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
境内では本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、キンモクセイが国の天然記念物に指定されている。また社宝では、北条政子の奉納と伝わる国宝の「梅蒔絵手箱」を始めとして、多数の所蔵品が国の重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。
梅蒔絵手箱
ご祭神:
大山祇命 (おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)
大国主と神屋楯比売との間に生まれた神とされるが適当な画像が見つからない。見つけたのは事代主神のこのイラスト画像のみです。
主要社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造の複合社殿である。大社側ではこれらを「御殿(ごてん)」と総称する。
いずれも江戸時代末期の嘉永7年(安政元年、1854年)の安政東海地震後に再建されたもので、慶応2年(1866年)9月9日に落成した。境内にある主な建造物も、同時期の明治元年(1868年)にかけての再建である。
それでは境内の参拝である。
手水舎 その名に相応しいどっしりとした造りの手水舎である。
神門
本殿等と同時期の慶応3年(1867年)8月10日に再建された。御殿同様に総欅造である。三島市指定文化財に指定されている。
神馬舎
御神馬 神馬は毎朝神様を乗せて箱根山を登るという伝説がある。
石灯籠
舞殿
これも本殿等と同時期の慶応2年(1866年)12月18日に再建される。古くは「祓殿」と呼ばれる神楽祈祷を行う場であったが、のちに舞の奉納が主となったので「舞殿」と称されるようになったという。
拝殿 さすが伊豆の国随一とあって立派な拝殿である。拝殿は銅瓦葺である。総欅素木造で、国内有数の規模の社殿だそうである。
拝殿前
拝殿中 青銅の狛犬二基が内部のお守りをしている。
社殿は後方で拝殿の後方で本殿、幣殿と繋がっていて複合している。
本殿(左)・拝殿(中間の小屋根は神饌所)
本殿屋根部分
拝殿横
時間の関係で今回はこれでおしまい。残りは次回にまわす。
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