境内入り口 境内の囲みは金網、鉄柵で、戸締りを強固にしないと盗難にあうからでしょう。神社を荒らすなどの罰当たり者が増えたせいです。嘆かわしい時代になりました。
社碑 式内 郷社 生根神社 とある。 金網が邪魔だね。
まづこの神社の基礎情報をWikipediaに教えて頂く。
生根神社 (大阪市住吉区)
生根神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目3-15 |
位置 | 北緯34度36分55.79秒 東経135度29分37.88秒座標: 北緯34度36分55.79秒 東経135度29分37.88秒 |
主祭神 | 少彦名命 |
社格等 | 式内社(大) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 奥の天神 |
例祭 | 10月9日 |
生根神社(いくねじんじゃ)
大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(大社)で、旧社格は郷社。
住吉大社元摂社である。通称は「奥の天神」・「奥天神」。
由緒:
創建は不詳。社伝では住吉大社の創建以前から鎮座するというが、『住吉大社神代記』に当社に関する記述は見えない。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「生根神」には神戸として大和国から1戸が充てられていた。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では摂津国住吉郡に「生根神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。
文明14年(1482年)には境内に天満宮が祀られ、この天満宮が信仰を集めたため生根神社自体も「奥の天神」と通称されるようになっていた(「奥」は、住吉大社から見て大海神社のさらに奥に鎮座したことによる)。
慶長年間(1596年-1615年)頃には、現在の本殿が造営された。江戸時代は住吉大社の摂社として推移しており、『住吉松葉大記』には摂末部に「奥天神社」として、住吉神宮寺の社僧が奉仕する旨とともに記されている。
明治維新後、明治5年(1872年)に住吉大社から分離独立のうえ、近代社格制度において郷社に列した。
それでは境内の参拝である。
境内 社務所
由緒板
生根神社本殿は大阪府指定有形文化財に指定されている。その重要美術品と刻されている石碑。
拝殿 青銅葺の立派な拝殿です。
社殿側面
手水舎
拝殿前 狛犬二基 ブロンズ製で親しみの湧く表情をしている。
常夜燈 火袋の笠が社風に作られている。
拝殿前の鈴
拝殿の吊るし燈籠
拝殿屋根
拝殿中 ピンボケでした。
大阪市の名木として指定されている。
もう1本社務所前にもご神木があります。 こちらはクスノキのようです。
本殿 朱塗りで屋根は檜皮葺である。 この本殿は、慶長年間(1596年-1615年)頃の造営である。流造で、正面には千鳥唐破風を付している。
拝殿から見た本殿
境内社として次の五社がある。
末社の稲荷社
社殿にかかる神額(扁額)
末社の種貸神社
石鳥居に掛る社額
社殿 小さな社です。
社殿前のミニ狛犬二基
末社の塞神社
石鳥居にかかる神額
社殿
塞神社由緒碑
末社の竜王社
朱鳥居と石鳥居の二基が社殿前にある。
朱鳥居にかかる神額
朱塗りの社殿
摂社の天満宮
石鳥居 この鳥居から短いけれど参道が社殿へとつづく。
鳥居にかかる神額
天満宮(菅原神社) 社殿
学問の神 菅原大神 を祀る。
社殿扉中にはご神体の木造天神坐像が祀られている。これは文明14年(1482年)の作で、大阪市指定有形文化財に指定されているそうだが、閉鎖されていて像を拝むことはできない。
この様な座像ではないかと推測される。
「木造縄敷天神坐像」台東区 梅林寺蔵
社殿前狛犬二基 これは真新しい狛犬さんである。
境内の朱門
この朱門に至る石段 七五三詣での幟がかけられている。
こちら側の参拝道の石鳥居
稲荷社の社殿はもう一つ境内にある。末社なのかどうかは不明。
稲荷社の石鳥居と多連の稲荷鳥居
石鳥居にかかる神額 石製で 天浄大神 とある。
数え間違えがあるかもしれぬが12連の稲荷鳥居
社殿
神額には 天浄稲荷大神 とある。
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