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2018年4月23日月曜日

ナポリ旅行記 XLI 

ナポリ旅行記のつづきです。日にちが開くとどこまで進めていたか忘れてしまいますね。相変わらずの健忘症です。

ナポリ大聖堂(ドゥオモ)の見学をおわってからの話でした。聖堂の内部の絵画や彫刻をたっぷり鑑賞してからメトロでホテルに戻ることにした。

夕方 通りのイルミネーションが灯り始める。この通りは天使オアシスの電飾である。


メトロのSt.Carlo 駅で乗車してToledo駅で下車。

メトロ駅構内 

ナポリ旅行記 XXXIII で紹介しましたが地下に向かうエスカレーターの画像です。



トレド通りのケバブの店でケバブ、チキンサモサ、ドリンクなどを購入してホテルの部屋で夕食をとった。日誌にはそう書いてあるがそのケバブ写真は存在しない。疲れていたので食後すぐに寝るとも記されているので、長い1日だったのでへたばったんでしょうね。


そして翌1月8日。ナポリ観光の最終日である。

ホテルのエレベーターの側面に取り付けられているディスプレイ。ホテルの部屋やフロント、レストランの画像が動画のように次々と現れる。面白かったので写してみた。




ホテルでの朝食  

私の食した料理プレート

ハム、サラミ、チーズ各種、ピーマン、パプリカ、ナスの焼き野菜、ミニトマト




そういえばデザートには洋梨がありました。これにコーヒーである。たっぷり腹ごしらえしました。


この日は終日フリーでナポリ市内主要観光地を見尽くす計画である。

ホテルの部屋からの眺め


8時30分にホテルを出発。王宮の方角に歩いて行く。最初の見学場所はヌーボ城である。
盗難の被害に遭わないように気をつけて4人集団となって歩く。

街の風景写真

大きな砦のようなビル 
 

主要道路の1つであるトレド通り


街路樹 写真をとるのに熱心で3人のグループから遅れがちの私。


通りの交差する場所にある小広場 騎士像のモニュメントが立っている。


ヌーボ城が通りの奥に見えてきた。


山側の通り こちらは随分とすっきりしている。


新しい住宅地なのでしょうか。


ヌーボ城の周辺は修復工事中のようでした。

ナポリも地下を掘ればどこからでも遺跡が出てくるという土地柄のようです。


ようやくヌーボ城に到着。

ヌーボ城の横が王宮になる。 ここはナポリ市内観光の拠点の一つで2階建ての観光バスが何台も駐車している。 


王宮  道路際で婦人警官が挙動不審人物を尋問していました。

ヌーボ城 アルフォンソの凱旋門



アントニオ リガブエ の展覧会が城内で行われていたようです。


この画家は知らなかったのですが、サン・ピエトロ美術館のホームページでは次のように紹介されている。アントニオ・リガブエ展~Antonio Ligabue Antologica~

アントニオ・リガブエ(1899~1965)



ナイーフ派の画家、悲劇の印象派画家とも呼ばれています。
1899年、チューリッヒで父のいない子供として生まれ、ドイツ系スイス人のもとで育てられます。1913年には母と異母兄弟3人を亡くし、障害児施設へ。そこも2年で追い出され、農家で働きながら流浪生活をはじめます。18歳の時に継母との口論の末、精神科病院に入れられ、1919年にはスイスを追放されます。母の結婚相手の故郷グアルティエリに渡り、その頃絵を始めました。1928年には画家マッザクラーティと知り合い、絵に専念するようになります。1937年に自虐行為により精神病院に送られますが、1941年彫刻家マッツォーリがレッジョ・エミリア近郊の彼の家に引き取ります。戦争中はドイツ軍の通訳として働くものの、兵士を殴ったとして再び精神病院で3年間を過ごします。彼の評価が高まるのはその後。賞を獲り、絵が売れるようになり、彼の人生が映画化されるなど人生は好転していきます。1962年には軽度麻痺に襲われますが、絵は描きつづけ、1965年にその波乱の人生を閉じました。

彼の作品の一部






ゴッホのような芸術家気質の持ち主ですね。作風はアンリ・ルソーにどことなく似ている。



アルフォンソの凱旋門   塔の間にある白門は列柱と見事なレリーフで装飾されている。


凱旋門天井部のレリーフ  花紋と人頭が八角形と四角形の組み合わせたフレーム枠内に彫刻されている。


城内入場口

城構内

の内部は礼拝堂市立美術館になっている。内部見学は次回から始めよう。今回はこれでおしまい。


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