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2015年9月23日水曜日

工樂松右衛門 

昔は、普通の人よりは物知りだと思っていたのだが、退職してみると自分が如何に一般常識に欠けた無知な人間だと悟らされる。学校の教科書で習ったような事は比較的良く知っているが、生活に密着した知識なんてのはてんでダメである。在職時は、学者馬鹿(変人)で済んでいたことが、ただの馬鹿(ヤバイ人)になってしまっている。それで世故知を身に付けようと頑張っているのだが、なかなか難しい。何事も学習と訓練が大事なのだなと、思っている昨今である。

今回は、無知を承知で云うが、本当に知らなかった工樂松右衛門の記事である。たかさご万灯祭申義堂でのアトラクションで初めてその人物を知った。たかさご万灯祭 I

知らないことは恥ではない、知ろうとしないことが恥なのだ。

赤っ恥をかきながら不必要な言い訳をしておく。

取材で高砂神社を再度訪づれたときに、工樂松右衛門の銅像を写した。


彼は、知る人ぞ知る著名人であった。勿論Wikipediaにもその記載がある。俄か勉強であるが、彼の人となりをWiki、ひろかずのブログ等を利用して解説したい。

工楽松右衛門


工楽 松右衛門(くらく まつえもん、寛保3年(1743年) - 文化9年8月21日(1812年9月26日))

日本の江戸時代における発明家、実業家。
現在の兵庫県高砂市に生まれ、兵庫(現在の神戸市兵庫区)で廻船業を経営するかたわら、帆布(松右衛門帆)を発明し、築港工事法を考案して、択捉島埠頭箱館のドックを築造した。これらの業績によって、日本の海運を支えた。高砂城址に松右衛門の銅像が建てられている。

年譜:
  • 1743年(寛保3年) - 播州高砂(現在の兵庫県高砂市高砂町東宮町)の漁師の長男として生まれる。
  • 1758年(宝暦8年) - この頃兵庫に出て、佐比絵町にある「御影屋」という船主のもとで船乗りになる。その後、兵庫の廻船問屋北風荘右衛門に知己を得て、その斡旋で佐比絵町に店を構え、船持ち船頭として独立。
  • 1785年(天明5年) - 木綿を使った厚手で大幅な新型帆布の織り上げに成功。「松右衛門帆」として全国に普及。
  • 1790年(寛政2年) - 江戸幕府より択捉島に船着場を建設することを命じられ着手する。
  • 1791年(寛政3年) - この年の夏、択捉島の埠頭が竣工。
  • 1802年(享和2年) - 幕府から功績を賞され、「工楽」の姓を与えられる。
  • 1804年(文化元年) - 箱館にドックを築造。その後、択捉開発蝦夷地交易に使った函館の地所を、高田屋嘉兵衛に譲る。
  • 1812年(文化9年) - 死去。墓所は現在の神戸市兵庫区にある。
 
 
高田屋嘉兵衛は、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』を読んで知っていたが、その作中に出ていたのだ。情けないが全く憶えていませんでした。
 
その生涯の業績は、つぎの3つに要約される。
 
1.「松右衛門帆」の作成
 
松右衛門は、当時の帆の帆布が丈夫でなかったことに不満を感じ、帆布改良の研究に着手する。42歳のとき、播州の特産である太い木綿糸を用いて、厚く巨大な平織りの丈夫な帆布の開発に成功した。「松右衛門帆」と名付けられた新型帆布はすぐに全国に普及し、北前船をはじめとする大型和船の航海術は飛躍的に向上した。
 
 
2.北方領土の保全
 
松右衛門は、幕府より択捉島での埠頭建設の命令を受け、同年5月に準備を整え出航する。ロシア帝国の南下政策から領土保全をはかる目的であった。厳寒での危険な作業を経て、1791年(寛政3年)10月に埠頭建設が竣工した。高田屋嘉兵衛の航路の寄港地となる。
 
 
 
松右衛門は上記の業績から、1802年(享和2年)に幕府より「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」という意味の「工楽」の姓をたまわった。
 
 
3.海運業の基礎作り
 
 
65歳のころ、故郷の高砂に戻る。高砂の港作り、箱館でのドック建設、石鈴船・石救捲き上げ装置の発明、防波堤工事などを手がける。
 
高砂湊
 
 
高砂湊の修築
 
 
松右衛門の発明
加古川松右衛門の作った石橋
 
 
 
Wikiにあるエピソードを2つ。
  • 松右衛門は自らの信念を次のように言い残したとされる。
「人として天下の益ならん事を計らず、碌碌(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣(きんじゅう)にも劣るべし」
 
(人として世の中の役立つことをせずに、ただ一生を漠然と送るのは鳥や獣に劣る)
耳に痛い言葉です。私は世の役に立っていないしね。 
どこかで何度も聞いたことのある言葉だが、工樂松右衛門の言葉とは知らんかった。
  • 新巻鮭(荒巻鮭)を考案したと伝えられる

工楽松右衛門については、実に詳細な記事がある。私は全部読んでいないが、78もの記事が書かれている。興味のある方は、このブログを参照して欲しい。 「ひろかずのブログ」 工楽松右衛門(78)

さて、「松右衛門帆」であるが、この布を使って色んな製品が作られている。ショルダーバッグとかトートバッグなどである。





現代でも、松右衛門は生きているのである。 これでおしまい。

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