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2016年11月7日月曜日

タイ国架空旅行記 I バンコック

しばらく タイ架空旅行記事 を書く。といっても旅行日誌を書くのではなく、タイの各都市の名所を写真で案内するだけのお遊びである。 以前からバンコク暁の寺とかアユタヤ山田長政の作った日本人村などを一度は見てみたいと思っていたのです。

暁の寺





アユタヤ遺跡



山田長政




タイでは先月プミポン国王が逝去され、国民は深い悲しみの中にある。1年の服喪期間中は国王への敬意を含む行動を求められているそうだ。



タイ国王家とわが皇室とは長い友好関係があり、国王やシリキット王妃、その皇女であるシリントーン王女は、日本人にとっても近しい存在である。

若きシリキット王妃


シリントーン王女は、しばしば日本を訪問している日本通です。気の良いおばさんという感じで、国民の信頼は厚い。

この機会にタイ国への敬意を持ちつつ、昔から憧れていたタイの名所や伝統芸術などをネットで調べて各地をバーチャルに訪問したいと思う。いずれ行く機会があれば、そのときの予備知識とする積りである。

タイの第一の都市はバンコックである。首都であり、一大商業都市であり、同時に一大観光都市でもある。 

それで第1回目は、当然バンコックの案内である。とはいってもそれ程の知識がある訳ではないので、まづはWikipedia様に基礎データを教えてもらう。


バンコク都
กรุงเทพมหานคร
上から:シーロム通り付近の展望、ワット・シーラッタナーサーサダーラーム、ワット・アルンラーチャワラーラーム、戦勝記念塔、ジャイアント・スウィング


印章
座標: 北緯13度45分8秒 東経100度29分38秒 /
北緯13.75222度 東経100.49389度 / 13.75222; 100.49389
タイ王国の旗 タイ
建設不明
首都成立1782年4月21日
下位区分50 ケート
行政
 - 種別首都府
 - 首都圏政庁長官アサウィン・クワンムアン
面積
 - 総面積1,568.737km2 (605.7mi2)
 - 都市圏7,761.50km2 (2,996.7mi2)
人口 (2010年)
 - 総人口8,249,117人
 - 人口密度5,258.60人/km² (13,619.7人/mi²)
 - 都市圏14,565,520人
 - 都市圏人口密度1,876.64人/km² (4,860.5人/mi²)
等時帯タイ標準時 (UTC+7)
ISO 3166-2TH-10
ウェブサイトcity.bangkok.go.th/



バンコクBangkok

タイ王国の首都である。人口8,249,117人(2010年)、面積1568.737km²。都市圏人口は2016年時点で1500万人を超えており、世界有数の大都市圏を形成している。東南アジア屈指の世界都市でもある。

市内の名所


王宮

高層ビル群を背景としたルンピニー公園

バンコク中心部の高層ビル群


歴史:

バンコクの歴史は1782年、ラーマ1世タークシンを処刑しそれまでのトンブリーからチャオプラヤー川の対岸に首都を移したことに始まる。

バンコクの建設は6月10日午前6時45分にラックムアン(市の柱)が建てられ始まった。3年後に建設が終了した。アユタヤと同じく王宮や関連施設を含む土地の周囲には運河が掘られラッタナーコーシン島と呼ばれる人工の島を形成した。この島の中には王に許された者のみ住むことが出来た。

ラッタナーコーシン島の運河

ラッタナコーシン島は現王朝の初代国王ラマ1世が1782年にバンコクに遷都してできた”バンコク発祥の地”です。<br />当時は王族や僧侶など許された者だけが暮らしていました。島内には現在でも重要な王宮や寺院ーワット・プラケオなどーが残されています。<br /><br />バンコクの拡大に伴い運河は埋め立てられて”島”という感じではありませんが、島の入り口にはプラトゥーナムからの船が着く波止場があり、路地裏には昔ながらの風情が残っています。<br /><br />以前”サームプレーン”という古い町並みを歩きましたが(http://4travel.jp/traveler/muffin/album/10478090/)、こちらはバンコク市庁舎を挟んで島の西側にあたり、今回は島を囲む運河の外側にあるワット・プーカオトーンからスタートして島の東側を歩きました。

バンコクの拡大に伴い運河は埋め立てられて”島”という感じではありませんが、島の入り口にはプラトゥーナムからの船が着く波止場があり、路地裏には昔ながらの風情が残っています。

建国当初はラッタナコーシン島のみがバンコクの中心として機能していたが、タイの経済発展と共に市街地は東へ延びていった。またラーマ5世(チュラーロンコーン)の時代にすでにラッタナコーシン島の王宮のみでは妻や子供を十分に収容することが出来ないため北にドゥシット宮殿群を建設している。チュラーロンコーンの子供はさらに北にバーンクンプロム宮殿、スコータイタンマティベート宮殿などを建設している。

ラーマ5世



即位するとすぐに欧米に視察旅行をしてタイの立ち後れを実感し、チャクリー改革と呼ばれる数々の改革を行った。タイ三大王のうちの一人で今でも国民から人気が高く、肖像画が首飾りやポスターになったり、像が仏壇に置かれたりしている。

また、経済の中心もチャクリー王朝初期には当時ラッタナコーシン島から運河を挟んで東側のヤオワラートにあったが、20世紀後半にシーロム通りに中心が移った。そのためラッタナコーシン島周辺は現在、旧市街地と見なされることが多い。

建設からラーマ5世時代までは、バンコクチャクリー王朝の王による直轄地であった。しかしラーマ5世の以降市街地が拡大を始めたため、チャクリー改革によって、バンコクは畿内省という機関の管轄に置かれることになった。

1972年には、拡大が進みノンタブリー県、サムットプラーカーン県、パトゥムターニー県がバンコクから分離。一方で1975年にはバンコクと経済的に密な関係にあったトンブリー県がバンコクに吸収されている。その間にもさらにバンコクの市街地の拡大が進んだ。

とくに1980年代にはタイ国内の投資が拡大し、タイの経済の中心であるバンコクも必然的に発展する事になった。バンコクは特に目立って教育が普及しリベラルな住民が増えたため内務省の直接統治が難しくなった。このため1985年に『仏暦2528年バンコク首都府行政組織法』が国会で成立。これ以降、住民に選ばれた知事による自治が行われている。

そういう訳で、現在は知事がトップとなり自治を行い、同時に政治経済の要となっている。東京都のような形態だね。ちなみにバンコクは市ではなく、首都府になっている。

さてバンコクの観光である。タイ国政府観光庁のホームページから各種の観光写真を引用しよう。

バンコクの夜景



華やかな大都会の賑わいと、厳かな仏教文化が息づき、古今の歴史と文化が見事に調和した都市、バンコク。1782年、ラーマ1世によってこの地へ遷都されて以来、タイの政治・経済・教育・文化の中心であり続け、近年ではさらに「東南アジアのハブ」と称される先進的な国際都市へと成長を遂げました

バンコクの魅力は、そのようななかにあっても、そこかしこに人々の暮らしの息づかいを感じられるところにあります。モダンな高層ビル群や巨大なショッピングモールの足元には、屋台での買い物や食事を楽しみ、道すがらの小さな祠に手を合わせる人々の姿が見られます。

もちろん美しく荘厳な王宮や仏教寺院の数々が密集する旧市街のラッタナコーシン島でも、ひとたび路地へ足を踏み入れれば、昔ながらの静かで素朴な庶民の生活が広がっています。


言わずと知れた暁の寺(ワットアルン)




王宮(ワットプラケオ)



巨大なヤック(鬼)









ワット・ポー



寝釈迦仏

旧国会議事堂




YouTube で現在のバンコクを見学する。

この動画はバンコクの名所を要領よく解説しています。


25 Amazing Things To Do in Bangkok, Thailand

暁の寺の日本人による最新の観光ガイド動画。 3Dカメラで撮影されている。


バンコクの三島由紀夫 ワットアルンの暁の寺

バンコクからの旅行ガイド


Thailand travel guide 2016 HD

これでおしまい。


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