始めはタイのアンコールワットと言われるピマーイ歴史公園である。 本物のアンコールワットについては、以前長い記事を書いた。
カンボジア旅行記 I
カンボジア旅行記 II
カンボジア旅行記 III
アンコールワットと同じくクメール遺跡である。 Wikipediaで確認しよう。
ピマーイ歴史公園 อุทยานประวัติศาสตร์พิมาย | |
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ピマーイ寺院 | |
所在地 | ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアン |
登録日時 | 1936年9月27日 |
歴史区分 | クメール王朝 |
公式サイト | 文化省芸術局ピマーイ歴史公園(タイ語) |
ピマーイ歴史公園(ピマーイれきしこうえん)
タイの歴史公園の一つ。ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアンにあり、クメール遺跡を保存している。
歴史公園の地図
ピマーイ遺跡は、アンコールへとつながるクメール古道の重要な終着点の一つ。
アンコール遺跡北西260kmに位置し、同じくナコーンラーチャシーマー郊外にあるパノ・ムルン遺跡と、タイ - カンボジア国境にあるプラウィハーン遺跡(プレアヴィヒア遺跡)と並び、タイ国内では屈指のクメール遺跡である。
アンコール王朝の主都アンコール・ワットの副都的な役割を担っていたと考えられている。
歴史:
多くの建築物は11世紀から12世紀の間、スーリヤヴァルマン1世(在位1011年 - 1050年)によって建てられたと見られている。その後、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181年 - 1218年)がピマーイ寺院を大乗仏教寺院に改宗した。
また、この遺跡がアンコール・ワットと同じ規模であることを考えると、当時ピマーイにクメール人による大きな勢力があったと考えられる。ジャヤーヴァルマン7世の治世の後、クメール王朝の影響が弱まり、スコータイ王朝が勃興すると、ピマーイの重要性は低下し、衰退した。
遺跡群は、外観はアンコールワットとよく似ていますね。
ナーガの橋
中央祀堂の踊るナーラーヤナ神
プラッププラー 内部の回廊
プラーン・ヒンデーン
バラモン祠
プラーン・プロマタット
経蔵
があるそうだが、写真は省略する。
つぎはパノムルン歴史公園の簡単な紹介。 段々と調べるのが疲れてきました。
パノムルン遺跡とは、山頂に建てられているクメールの大寺院の遺跡である。
パノムルン歴史公園 อุทยานประวัติศาสตร์พนมรุ้ง | |
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所在地 | ブリーラム県 |
登録日時 | 1988年 |
歴史区分 | クメール王朝 |
公式サイト | 文化省芸術局パノムルン歴史公園(タイ語) |
タイの歴史公園の一つ。
パノムルンとは、クメール語で「大きな丘」を意味する。タイ東北部ブリーラム県チャルームプラキアット郡タムボン・ターペックにある死火山の山頂(海抜400m)に位置するアンコール期のバプーオン様式寺院で砂岩とラテライトで建築されている。
1971年から1988年まで17年に及ぶ復旧作業の後、1988年5月21日に歴史公園として指定された。
歴史:
ピマーイ歴史公園と同時期の10世紀から13世紀あたりにかけて増築されてきたと見られる。さまざまな石碑を判読した結果によると、アンコール王朝のラジェンドラヴァルマン2世(AD944年-968年)が最初期に礼拝所をパノムルンの丘に建立し、シヴァ神に捧げたとみられる。
13世紀頃にパノムルン周辺を所領とするマヒンドラプラ家のナレーンドラティットが大規模な寺院を建立したという。
地図
中央祠堂に向かう参道
中央祠堂
ナーガの渡り橋 2つあるそうだ。 もう一つを調べる元気はない。
これでタイ国架空旅行記はおしまい。丸2日がかりで7回分一気に書き上げたのでとても疲れた。
次回はリアルのタイ国旅行記を書きたいものです。
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