これだけある。全13社で調べてみてビックリである。
神戸市北区
二郎大歳神社 有野町二郎
東下大歳神社 神山田町東下
小河大歳神社 山田町小河
衝原大歳神社 山田町衝原
小部大歳神社 山田町小部
中大歳神社 山田町中
上津大歳神社 長尾町上津
市原豊歳神社 大沢町市原
萩原大歳神社 淡河町萩原
木津大歳社 淡河町木津
中山大歳社 淡河町中山
行原大歳社 神淡河町行原
野瀬大歳神社 淡河町野瀬
そういえば加西市には40社以上の大歳神社がある。 加西市 大歳神社と住吉神社
この神社は箱木千年家を見学した時に見つけたのだがその時は帰宅時間が迫っており、参拝を諦めた神社です。それであらためて取材しました。 神戸北区 箱木千年家と衝原湖
衝原湖から少し離れた道路脇に神社はある。箱木千年家の向かい側に当たる。
神社紹介の前に現在何故この地に神社があるかの理由について述べたい。
神社の境内横にある石碑
つくはらの郷 とあり、 衝原の開解村を記念して 宮崎辰雄 と石碑の説明がなされている。
宮崎辰雄さんは元神戸市長です。それは良いんだけど開解村って言葉の意味は不明ですね。広辞苑でも見つからなかった。そこで調べてみました。
惣山町・鈴蘭台周辺 北神戸 丹生山田の郷 より引用する。
昭和61年(1986年)、呑吐ダムが完成し、衝原の33戸の民家のうち、31戸は約90haの山田川流域の豊かな自然や田畑とともにつくはら湖の湖底に沈んだ。これに先立つ昭和53年(1978年)には、衝原の東部に新たに造成された住宅地で呑吐ダムが呑みこんだ村の解村と吐き出した村の開村のセレモニー「衝原地区開解村式」が行われた。水没する31戸のうち18戸と箱木千年家、大歳神社などは新たな造成地に移ったが若者を中心に他地区へ転出するものも多くいた。
呑吐ダムが呑みこんだ村を解村と言い、代わりに移築して出来た村を開村と呼んだわけですね。大歳神社はその水没する村の中にありました。
つくはら湖は呑吐ダムで川を堰き止めてできた細長い人造湖である。
呑吐(どんと)ダムって面白い名前だけどその由来がある。ダム建設前には志染川、山田川上流に大小の滝があり、それらが川の水を呑んで吐くことから「呑吐の滝」と呼ばれていた。その名を取って名付けられたという。
道路側から眺めたつくはら湖 右手後方に見えるのが呑吐ダム。
呑吐ダム概要図 正面図と断面図が描かれていてそのサイズが記されている。全長260mでかなり大きなダムです。
その航空写真
湖にはこの2本の橋(高速路の橋桁)が架かっている。
呑吐ダムの建設と共に移築されたのが、この大歳神社である。
衝原唯一の神社であるが、昭和53年(1978)に現在の場所に移築された。
それでは神社紹介を始める。
社碑 村社 大歳神社 とある。
石鳥居
由緒舎
ご祭神: 素戔嗚尊 (すさのおののみこと)
今回は刺子袢纏のスサノオです。
今回は刺子袢纏のスサノオです。
創立年月日は不詳であるが、明治6年(1873)8月、村社に列せられる。
永正十年(室町時代)の棟札があり、この衝原村の農耕守護神として鎮座された。
呑吐ダム建設で水没地になるため、昭和53年、字西ノ瀬にあった旧社地から、現在地に社殿を新築して移転した。
移転に際して、奈良県・丹生川上神社の中社より水波能売神を勧請して合祀した。五基の右灯籠のうち最も古いものは、社殿から向かって右端、延宝3年(1675)の銘がある。
真新しい常夜燈
玉垣の角にある常夜燈
社殿 社殿なのだが、正しくは銅板葺新明造の鞘社(RC製)である。
この中に銅板葺本殿は設けられてある。本殿前には旧社殿前にあった木彫りの狛犬を置いている。
社殿(拝殿)の鈴 装飾の類は一切なし。
鞘社屋根
中には入れないので隙間から撮影させて頂いた。
本殿 小さな木彫りの狛犬が見えている。
手水鉢 水枯れ状態でした。
社殿前狛犬二基
境内社
猿田彦神社・山王社・水神社 の三社なのだが記載がないので確定はできない。
鞘社裏に五基の古い石灯籠が並んでいる。一番古いものでは延宝三年(1675年)の銘がある。 どれかは確認していない。
脇参道の石鳥居 こちらが移築前の鳥居であったと思われる。
これでおしまい。
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