出窓のある家。 2階の窓から女性が顔を出せば色町の通りみたいだね。
最早どの通りを歩いているのかさっぱり分からないが皆についていく。
小高い丘を少し登ったったところに休憩所がある。ここからは遺跡を見渡すことができる。
家屋の大部分は 外壁だけが残っているようである。
ここでトイレを済ませて通りに戻る。 ガイドのTさんから通りにある特徴的な設備の解説を受ける。
個人の邸宅の門跡 左右に見られる板切れのようなのが木製の門の一部でブロンズの鋲が打ち込まれている。 邸宅自体は埋もれたままにしてある。説明を受けないと何だか全くわからないね。
商店の引き戸 古代のシャッターです。
給水塔 水を循環するための塔である。
アッボンダンツァ通りに行きついたようだ。ここはポンペイ一の繁華街であった。
この先にスタビア-ネ浴場、そしてフォロ(公共広場)がある。
スタビア-ネ浴場中央にある運動場
ポンペイでも公衆浴場は大人気で、ローマ人たちはお風呂に入るだけでなく社交の場としても使用していた。政治について論じたり、ジムとして利用したり、サウナがあったりと日本でいえばスーパー銭湯のような施設であった。
男女別に分かれており、お湯も水からぬるま湯、熱いお湯と全て揃っていたそうである。このスタビアーネ浴場はポンペイで最も古い物として知られている。増改築が繰り返され幾つかの浴場跡が離れて存在している。
この建物も浴場の一部らしい。色は剥げているが壁面のレリーフは窓を模しているようだ。
運動場を囲むように列柱の並ぶ回廊がある。
回廊奥の風景 屋根のある湯槽らしき建物が見られる。
浴場につづく回廊 屋根付きの回廊で壁には壁画が描かれている。
浴場は男湯と女湯に別れている。
こちらは男湯の円形浴槽 ドーム型の天井には採光のための窓が開けられているので思いの他明るい。
その天井部分の装飾 沢山のフレスコ画が壁面にも描かれていて当時は色鮮やかであったでしょう。
脱衣所で壁面の四角い穴の開いているところに衣服を置くらしい。
お湯の出口
小浴場 女湯かもしれない。 天窓から採光できるようになっていて露天風呂みたいだね。
奥の壁にも窓が開けられている。
これは微温浴室らしい。床にもお湯が流されていたそうである。
別の浴場に通じる回廊 壁面にはポンペイレッドを用いた大きなフレスコ画が並んでいる。
回廊奥にある浴場の脱衣場
中浴場 高温浴室だそうである。こちら側は壁の装飾が剥げ落ちてしまっている。
対面方向には採光窓が開けられているので全体としては暗くない。こちら側の壁画は残っているが明瞭ではない。 中央に置かれているのは噴水のようだ。
スタビアーネ浴場の見学はこれ位にして、つぎは娼館に向かう。ポンペイでは性産業も盛んで確認されているだけでも売春宿(居酒屋も兼ねた)が25軒もあったそうである。
その宣伝も派手で、通路の壁にそれを連想させる絵や
街路の石に ち〇こで娼館の方向を示したものがある。
娼館 2階建てになっていて2階には窓が開けられている。大阪の飛田新地みたいにこの窓から娼婦がおいでおいでをしたのだろうか。人気の館であるのは言うまでもない。
この舘には1階に5部屋、2階にも5部屋の個室がある。
こんな小部屋に石のベッドがありその上にマットをしいて何を致すそうである。
この部屋でどんなことをサービスできるかを描いたメニューが壁に描かれている。
騎士のように馬乗りになってもらったり、
足を抱えたり、
バックから攻めたり、
お尻ぺんぺんしたり、
69の姿勢をとったり(だんだん露骨になってきた)、
お好みの技を披露してくれるのである。客はたとえ言葉が通じなくとも絵を指定して、それであれこれ欲望を満足できる。男性にとっては願ったり叶ったりのシステムである。でも知らないけど病気も蔓延していたのだろうね。
一方そんな元気のない老人に対しては、店のマダムが色んな個所をマッサージを施してくれる。 これまた極楽です。(勝手に絵を見て想像しただけです)
店には春画(と言って良いのかな?)だけではなく、客の金払いが良いように商業の神ジュピターを描いた壁画も残っている。売春は世界で最も古い真っ当な職業でした。
店外の通路の敷石にはお客の馬をつなぐ穴が開けられている。 商売は繁盛していた訳だ。
色染めの棟 この棟で衣類の染色が行われた。色素の漂白に小便が使われたので、尿は大切な資源でもあった。 壁の上段にトイレがありそこで尿を集めていた。
この棟の前にある水場 染色の水洗いに用いられた模様。 人の顔のレリーフがありその口が蛇口になっている。
通路のあちこちに水飲み場がある。
馬の手綱を繋ぐ置き石 馬の水飲み場にもなっていた。この奥が公共広場になる。
今回はこれでおしまい。ポンペイ遺跡(6)につづく。
0 件のコメント:
コメントを投稿