エルコラーノ遺跡の入場門 高台の上にあり遺跡はこの下方にある。 左側にある通用門から入る。門は閉ざされていて車では中に入れないようになっている。
入場門から入るとそこは整備された広い公園になっている。
門から100m位先にあるこの建物がチケット売り場である。
入場料は11ユーロである。
その内部 いくつかの展示物があったが見学している時間はない。
ゲートから入場すると公園が延長されている感じで、山側にはエルコラーノの新市街の建物が見える。
ここでエルコラーノ遺跡の基礎データを与える。Wikipediaでは都市(基礎自治体)としての記述がある。遺跡はその一部として記述するという事なのだろうね。
エルコラーノ
エルコラーノ Ercolano | |
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エルコラーノの街並み
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行政 | |
国 | イタリア |
州 | カンパニア |
県 | ナポリ |
CAP(郵便番号) | 80056 |
市外局番 | 081 |
ISTATコード | 063064 |
識別コード | H243 |
分離集落 | San Vito |
隣接コムーネ | 省略 |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 53,972 人 (2015-01-01) |
人口密度 | 2752.3 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | ercolanesi |
守護聖人 | Madonna Assunta |
祝祭日 | 8月15日 |
地理 | |
座標 |
北緯40度48分0秒 東経14度21分0秒 /
北緯40.80000度 東経14.35000度座標: 北緯40度48分0秒 東経14度21分0秒 /
北緯40.80000度 東経14.35000度
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標高 | 44(0 - 1275) m |
面積 | 19.64 km2 |
ナポリ県におけるコムーネの領域
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ポータル イタリア |
エルコラーノ(イタリア語: Ercolano)
イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある、人口約5万4000人の基礎自治体(コムーネ)。
ヘルクラネウムの遺跡は、西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火により廃墟となったもので、近隣のポンペイやオプロンティス(トッレ・アンヌンツィアータ)とともに世界遺産「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」に登録されている。
ということでこのエルコラーノ遺跡もまた世界遺産なのである。
ヴェスヴィオ火山の西麓に位置するコムーネで、ナポリ中心部から南東へ8kmの距離にある。
歴史:
古代ローマ時代の79年、ポンペイと共にヴェズーヴィオ山の噴火により埋没した町、ヘルクラネウムの遺跡があることで有名。ポンペイとは異なり、エルコラーノは火山泥流に襲われた。当時の木製の階段や縄などが炭化した状態で保存されている。
高台から遺跡を眺めるとこのような風景が広がる。この小さなかっての港町がすっぽりと火山泥流に埋まっていたのである。その上に新たに町が建設されたのである。
遺跡の地図
ナポリを歩こうの解説より引用:
地下に細い路地を掘ることによって、発掘してきたエルコラーノ遺跡は、1738年から長い中止期間を経ながらも1969年まで続けられた。ポンペイとの大きな違いはその立地にある。現在の地上地点と古代ローマ時代の遺跡の地位だ。ベスビオ山から一気に流れて来た溶岩や、堆積層などで、地表がかなり上がっている。
また、エルコラーノはローマ貴族の邸宅が立ち並ぶバカンス地だった。なので、邸宅内の装飾や、建物の装飾が、商業の中規模な町だったポンペイよりも手が込んでいるとも言われている。
また、火山の堆積物で埋もれたポンペイに対し、エルコラーノは噴火の溶岩でうもれた町である。溶岩が高速で駆け抜けたエルコラーノ遺跡からは、一瞬にして炭になった有機物(木、縄、人口など)が多く発掘されている。
中央が邸宅跡
船着き場からの高い壁 その壁際に街に通じる細い通路が架けられている。上部の石垣の向こう側には新市街が広がる。これら建物の地下にも遺跡が広がっているわけだが現在発掘はなされていない。だから新市街の地下をどんどん掘り進んでいくとお宝が発見されるかもしれない。しかし地下は溶岩なので硬くて発掘が大変で誰もそんなことはしない。
大邸宅跡
対岸の方からこのトンネルを通ってエルコーラ遺跡へと向かうのであった。
今回はこれでおしまい。次回 エルコラーノ遺跡 (2)につづく。
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