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2018年2月9日金曜日

ナポリ旅行記 XII エルコラーノ遺跡 (1)

今回からエルコラーノ遺跡編である。ポンペイ遺跡から車で15分位のところにある。当初の予定ではナポリ旧市街の観光であったが、遺跡好きの次男の要望でこのエルコラーノ遺跡も見学することになった。追加の見学になったが結果としては正解で興味深い観光ができました。

エルコラーノ遺跡
の入場門  高台の上にあり遺跡はこの下方にある。 左側にある通用門から入る。門は閉ざされていて車では中に入れないようになっている。

入場門から入るとそこは整備された広い公園になっている。


門から100m位先にあるこの建物がチケット売り場である。


入場料は11ユーロである。

その内部 いくつかの展示物があったが見学している時間はない。


ゲートから入場すると公園が延長されている感じで、山側にはエルコラーノの新市街の建物が見える。


一方海側はナポリ湾に面していて、この写真では逆光ではっきりしないのだが、のどかな田園風景が広がっている。


ここでエルコラーノ遺跡の基礎データを与える。Wikipediaでは都市(基礎自治体)としての記述がある。遺跡はその一部として記述するという事なのだろうね。

エルコラーノ

エルコラーノ
Ercolano
エルコラーノの風景
エルコラーノの街並み
行政
イタリアの旗 イタリア
カンパニア州の旗 カンパニア
Provincia di Napoli-Stemma.svg ナポリ
CAP(郵便番号)80056
市外局番081
ISTATコード063064
識別コードH243
分離集落San Vito
隣接コムーネ省略
公式サイトリンク
人口
人口53,972 人 (2015-01-01)
人口密度2752.3 人/km2
文化
住民の呼称ercolanesi
守護聖人Madonna Assunta
祝祭日8月15日
地理
座標
北緯40度48分0秒 東経14度21分0秒 / 
北緯40.80000度 東経14.35000度 / 40.80000; 14.35000座標: 北緯40度48分0秒 東経14度21分0秒 / 
北緯40.80000度 東経14.35000度 / 40.80000; 14.35000
標高44(0 - 1275) m
面積19.64 km2
エルコラーノの位置(イタリア内)
エルコラーノ
エルコラーノの位置
ナポリ県におけるコムーネの領域
ナポリ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア



エルコラーノ(イタリア語: Ercolano

イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある、人口約5万4000人の基礎自治体コムーネ)。
ヘルクラネウムの遺跡は、西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火により廃墟となったもので、近隣のポンペイやオプロンティス(英語版)(トッレ・アンヌンツィアータ)とともに世界遺産ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」に登録されている。

ということでこのエルコラーノ遺跡もまた世界遺産なのである。

ヴェスヴィオ火山西麓に位置するコムーネで、ナポリ中心部から南東へ8kmの距離にある。

歴史:

古代ローマ時代79年ポンペイと共にヴェズーヴィオ山の噴火により埋没した町、ヘルクラネウムの遺跡があることで有名。ポンペイとは異なり、エルコラーノ火山泥流に襲われた。当時の木製の階段や縄などが炭化した状態で保存されている。


高台から遺跡を眺めるとこのような風景が広がる。この小さなかっての港町がすっぽりと火山泥流に埋まっていたのである。その上に新たに町が建設されたのである。

遺跡の地図


エルコラーノは、流れてきた溶岩流により埋められたために、土は硬くて発掘は困難であった。ポンペイ遺跡と比較すると、失われやすい木材等が炭化されて残っていることと、および豊かで文化水準の高い邸宅があることが特徴となる。

ナポリを歩こうの解説より引用:

地下細い路地を掘ることによって、発掘してきたエルコラーノ遺跡は、1738年から長い中止期間を経ながらも1969年まで続けられた。ポンペイとの大きな違いはその立地にある。現在の地上地点古代ローマ時代の遺跡の地位だ。ベスビオ山から一気に流れて来た溶岩や、堆積層などで、地表がかなり上がっている
また、エルコラーノローマ貴族の邸宅が立ち並ぶバカンス地だった。なので、邸宅内の装飾や、建物の装飾が、商業の中規模な町だったポンペイよりも手が込んでいるとも言われている。
また、火山の堆積物で埋もれたポンペイに対し、エルコラーノ噴火の溶岩でうもれた町である。溶岩が高速で駆け抜けたエルコラーノ遺跡からは、一瞬にして炭になった有機物(木、縄、人口など)が多く発掘されている。 

中央が邸宅跡

中央下部に見られるトンネルの連なりが船の倉庫。 手前に見える鋼橋が対岸のトンネルからつづく。


船着き場からの高い壁  その壁際に街に通じる細い通路が架けられている。上部の石垣の向こう側には新市街が広がる。これら建物の地下にも遺跡が広がっているわけだが現在発掘はなされていない。だから新市街の地下をどんどん掘り進んでいくとお宝が発見されるかもしれない。しかし地下は溶岩なので硬くて発掘が大変で誰もそんなことはしない。


大邸宅跡


対岸の方からこのトンネルを通ってエルコーラ遺跡へと向かうのであった。


今回はこれでおしまい。次回 エルコラーノ遺跡 (2)につづく。

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