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2018年1月11日木曜日

三田市 天満神社

今回は三田市にある三田天満神社の訪問記である。友人のIさんとの忘年会の前に訪づれた神社である。1か月近く前の古い取材で相済まぬが昨年の12月17日のことであった。
忘年会のぼたん鍋

久しぶりにJR福知山線に乗って三田駅まで出た。尼崎駅から三田駅までのローカル線電車の旅は小学生の遠足みたいで楽しいものでした。

特に武田尾駅近くと、道場からの行程が田舎っぽくっていいですね。


JR三田駅 プラットフォーム


改札   

三田観光案内図   この地図を見て天満神社の位置を再確認する。


クリスマスオレンジリボンキャンペーンのツリー


JR三田駅 NKビル

駅ビルの道路向かいにある キッピ―モール のビル。 阪急オアシスや色んな専門店が入っている。


武庫川(むこうがわ)  宝塚を経て尼崎に流入する河川。

その上に架かる 三田大橋

橋からの眺め


川を渡って信号を2つ越え、小路に入り三田小学校県立有馬高等学校を過ぎ道路を数分歩くと石垣の上に石鳥居が見えてくる。三田駅からは西へ1700mの距離にある。


一の石鳥居  新しく建造されたものである。



石製の社額


鳥居前 常夜燈

社碑  縣社 天満神社 とある。


天満神社は周りからみると高台にある。

 常夜燈三田市遠景


参道

二の石鳥居 こちらの方は苔が付着しており年代を感じさせる。以前からある鳥居であろう。

後方に見えるのが 随身門

年代物の常夜燈

菅相公千年祭 記念碑

随身門扁額 
 
春 萬 耀 徳 遣
徳を遣(のこ)し 萬春にかがやく     九鬼隆一 謹書



吊り灯籠

ここで神社の基礎データを紹介する。Wikipediaには記載がないので神社のパンフを参考にして記述する。

パンフ 6つ折り1枚もの

表面




裏面


三田天満神社

兵庫県三田市天神にある縣社。天神様すなわち菅原道真公を祀る。

ご祭神:

主祭神  菅原道真  


配祭神

大歳大神 伊弉諾尊 伊弉冊尊 
大己貴大神 少彦名命

(おおとしのおおかみ いざなぎのみこと いざなみのみこと 
おおむちのおおかみ すくなひこのみこと)

画像は省略する。


由緒: 神社のホームページより引用。 

三田天満神社は凡そ千数百年以前、三田神祠(じんじ)と号して、大歳大神(おおとしのおおかみ)をお祀りしてまいりました。
三田という地名も和銅六年(713)風土記編纂の折、大歳大神御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来ていると古書に記されており、延喜式以前の神社です。

当社はその昔、菅原道真公の神輿のお休み処であったという、ゆかりの 深い所と言い伝えられています。

明治四年南区より大歳宮を合祀 、西区より熊野宮を合祀 、明治四二年寺村区より山王宮を合祀 する。


明治六年、郷社に列せられる。明治七年(1874)、本殿屋根替。同十七年、幣殿拝殿を再建。同三十五年男爵九鬼隆一より随身門の奉額(遺徳耀萬春)及び一千年祭に因める詩と和歌とを奉納する。

全国に一万二千あります天神様のうちの二十五社天神の 一つとして京都・北野天満宮大阪の天満天神と並び称せられる神社です。



大阪の天満神社はすでに記事にしているが、京都・北野天満宮はまだである。そのうちに参拝しようと思っています。


手水舎





随身門 右大臣
右大臣

格子の硝子ごしなので反射して写りが悪い。ご容赦されたい。

境内  舞台拝殿

桜門

石版の上に結界が結ばれているが何を守護しているかは不明。学問の神様なので文机かもしれぬ。


舞台

収納庫

拝殿前 石鳥居

狛犬二基   胴長の狛犬君です。

愛嬌のある顔立ちをしている。

拝殿  垂れ幕が拝殿の覆いになっていていささか邪魔ですね。

天満宮因みの 狛牛二基



絵馬掛常夜燈

本年は犬年とあって、狛犬前にもフィギュアの犬が三匹。 ファミリーかな?

左から穴に潜り込む子犬、お澄ましの白犬、赤い振袖の茶犬というメンバーです。


横から見るとこんな風です。

拝殿前 石灯籠  

拝殿左側

拝殿中  扁額が掛っており、 右から 大歳宮天満宮熊野宮山王宮 とある。



ご神牛のブロンズ像  天神様のお使いのなで牛です。最近とみに頭が劣化しているので何度も頭を撫でました。


飛び梅

飛び梅の伝説はつぎの通り。

菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木桜の木松の木との別れを惜しんだ。その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌である。


東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな
                       拾遺和歌集』巻第十六 雑春。

現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。


伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところがは途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)。

これは板宿に取材して記事にしました。 その松を祀る飛松天神社板宿八幡神社内にあります。 神戸須磨区 板宿八幡神社

一方、ひとり残っただけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。

道真を慕う白太夫がその庭の梅を根分けしてこの地に持ってきたという。真偽不確かなれどその梅の子孫であります。

拝殿横 石灯籠   きけんですからさわってはいけません


拝殿(右)から本殿



本殿

本殿前には透明ケースに入れられた狛犬二基が祀られている。



これでは本殿を守るべき狛犬が逆に守られていることになるではないか。

本殿屋根



本殿右側面




連理(れんり)の枝

木の枝が一旦分かれ癒着結合したもので「縁結び」「夫婦和合」の象徴として信仰の対象になっている。


天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝


白居易の「長恨歌」の一節から採られた。

夫婦の情愛がきわめて深く、互いに離れがたいことのたとえ。「比翼の鳥」は雌雄ともに一つづつの目と翼をもち、常に一体となって飛ぶという伝説上の鳥。「連理の枝」は並んで生えた二本の木が枝のところで一体につながったという伝説上の樹木。いずれも仲睦まじい夫婦のたとえに使う。


願かけのハート型絵馬

この絵馬を掛けると運命の赤い糸で結ばれるのであった。


三田市内最古石灯籠  寛文二年(1662年)の刻字がある。


皇霊殿遙拝所


境内末社を紹介していこう。

境内右側玉垣前の石鳥居

稲荷神社朱鳥居

もう一つの三田市最古石灯籠 と 竃戸社社碑


竃社社殿(というより石柱)  台所火の神であり、奥津比古命奥津比咩命を祀る。


意志神社



この石は牛が座っている形に似ているとして昔ここに持ってこられた。菅公に対する牛車の牛の忠誠の「意志」とこの牛の姿の「」を重ねて意志神社と称せられる。ダジャレみたいな名前だが石が祀り神になっている。


この石は社殿外に祀られている。



意志神社社殿 お賽銭箱に屋根を付けただけ。 



素盞鳴尊社 社碑  健康を司り、病気平癒を祈る神様



社殿  名の通り素盞鳴尊を祀るが社殿としては少し貧弱。


扁額は新しく金地に朱で 素盞鳴尊社 とある。


稲荷神社千本朱鳥居 

拝殿前 狛狐二基


拝殿  五穀豊穣・商売繁盛の神様である、姫高大神倉稲魂命を祀る。


この古城姫高稲荷社の由来書


拝殿前に置かれている小振りのお狐様二体



淡島神社 社碑

祭り神は市杵島姫命で、安産・子授けの神とされる。それを祈願するよだれかけが社殿両柱にたくさん重ねて奉納されている。


これをよだれかけ奉納という。


境内左側玉垣前の石鳥居  

神明鳥居


境内にある明神鳥居  



木製鳥居  三種の異なる鳥居が縦に並んでいる。ウ~ム。違いの分かる神社と言う訳かな。



八幡神社 社碑

社殿  八幡さんで、祭り神応神天皇
厄除祈願の神様ですが、その他なんでもありの神様です。



金刀比羅宮 社碑

社殿 

祭り神大物主大神で五穀豊穣、人々の平安をお約束してくださる神様である。

境内の隅にある 石灯籠


脇参道から眺めた境内舞台

なかなか楽しい神社です。これでおしまい。

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