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2018年10月26日金曜日

黒猫親子のタンゴ

君はかわいい僕の黒猫


黒猫のタンゴ タンゴ


君は ぼ~くを 狂わせる。


素敵な君が 町をあるけば 


悪い人が声をかける。  でも 僕は負けないの!


おしまい。

神戸垂水区 恋人岬

今回も神戸案内シリーズで垂水区の恋人岬である。一昨日息子が夜にワイフを自宅まで送ってきてくれた(息子の店の手伝いをしている)。そしてこの夜は、鳥一羽丸ごとロースト900円というコストコの超目玉とサーモンサラダ、焼き豚というカロリー過剰料理での夕食と相成った。結構美味しかったが満腹してなおかつ大量に残った。残りは今日からのおかずになる予定。

息子が食事後SuperSentoに連れて行ってくれることになった。とても嬉しい。ワイフは無理なので私ひとりで車に乗っけてもらい明石の龍の湯に向かった。久々のいいお湯でした。展望風呂から見る満月は最高でした。SuperSentoに行きまくっていた頃がなつかしい。




明石から自宅までは送るのは無理とのことで現在海外で語学研修をしている(別の)息子の部屋に泊まることになった。次男三男と垂水のマンション(安アパート)で暮らしてしている。それで宿賃はタダだが電気水道は止められている。まあ寝るだけである。

翌朝6時に目が覚めたので垂水漁港の魚釣りを見に行くことにした。それで福田川の河口までやってきた。福田川については以前記事を書いたことがある。


今回は逆方向である。

垂水 福田川河口


河口に設置されている監視塔

占用表示板 最初は何の施設かわかりませんでした。



見晴台に黒い鳥がいる。



黒鵜でした。 こんな所で羽を休めているんですね。



河口沿いに少し進んだところに 平磯緑地の案内図があった。 

 

緑地入り口


この地図を見てまづは恋人岬に行ってみようと決めた。

神戸市の広報によると次のように説明されている。

東に大阪湾、西には明石海峡大橋、その南には淡路島が見渡せる展望広場です。こちらの恋人岬は、ベンチが設置されているので、のんびりと美しい景色を楽しむ事が出来ます。


 まさしくその通りの場所でした。ということで恋人岬の周辺を写真で紹介する。

入り口を入ってすぐのところにビオトープがある。人工の池みたいなものを中心とした環境で、正確な意味は 「生物群集の生息空間」である。

垂水ビオトープ石碑



ビオトープの終端部  ハスの葉が浮かんでいる。


ハスの花


真っ赤な金魚の群れも泳いでいる。


ビオトープの一部  ここは小川のような感じで小さな川エビがいそうでした。


この流れは下水処理水を利用して作られている。 

ビオトープの生き物を獲ってはいけないが、ザリガニに関しては捕獲可能かつ排除すべきと掲示板に書かれてあった。ここでザリガニ釣りができるのだ。

遊歩道には背の高いヤシの木が植わっている。南国の雰囲気もある。


ブロック敷の遊歩道を少し歩くと丸太式ベンチなどが置かれている広場にでる。

ここが恋人岬である。朝早いので爺さんと婆さんだけで恋人は一組もいない。

恋人岬の標識

恋人たちの願掛け錠 海風でほとんどが錆びている。恋人たちの愛も・・・


垂水なぎさ街道  この通路の終点に恋人岬がある。(なぎさ街道は舞子までつづく。)


恋人岬全景

淡路島を望む


沖合浮かぶブイ

 大阪湾 淡路島世界平和大観音がかすかに見える。現在廃墟化している。



明石大橋 いつ見ても姿の良い橋です。


 これでおしまい。


2018年10月25日木曜日

神戸中央区 こうべ花時計

今回は神戸案内の極短記事である。神戸市役所の北側に設置されている花時計についてです。神戸ではよく知られているがこの花時計は日本で初めて設置された花時計である。


その歴史は60年以上前に遡る。

1950年代前半に、第13代神戸市長宮崎辰雄の提案に基づき、スイス・ジュネーヴイギリス公園に設置されていた花時計をモデルにした日本初の花時計が製作されることになった。神戸市民や神戸市内の企業から多額の寄付金が寄せられた。この寄付金を元に花時計の製作が進められ、市民有志から神戸市への寄贈という形で設置されることになった 

なぜ今回記事にするかといえば当分見られなくなるからである。

つまりこうべ花時計は庁舎の立替工事に伴ない移転するため、今回の「茜離宮」を最後に休止する。

茜離宮の解説版





茜離宮は昨年開園50周年を記念して、園芸コンサルタントの藤岡友宏氏より寄贈され、一般公募により名称決定された新種のバラで、須磨離宮公園のオリジナルローズとして育成されている。


しかし来年春にはまた復活する予定である。その時を楽しみにしている。

さようなら花時計と指さす私。腰痛の爺さんですがまだ生きてます。


今回はこれでおしまい。

2018年10月24日水曜日

奈良 興福寺 II

今回は興福寺訪問の後編である。1回で済ます積りだったがへたばってしまい、続けられなかった。ここで書くべきことではないが、早朝の高血圧がつづき先日は鼻血がドバーとでた。その日は主夫業をさぼって半日寝ていたが、それ以来あんまり体調がよくない。年寄の鼻血ブーは精力お盛んではないのだ。

ということで、殆ど自分のために書いているのだが、せっかくブログ書きを再開したのだけど手抜きをさせて頂きました。

北円堂  こちらも八角堂だが南円堂に比べると地味ですね。

この北円堂は、鎌倉時代前期・承元4年(1210年)に再建されたもの。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂である1897年(明治30年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定


柵がされてあるように現在は入堂禁止になっている。堂内には国宝の木造無著菩薩・世親菩薩立像が安置されている。

無著像 世親像
無著像
世親像


邪魔な柵を取っ払う(柵の間から撮影しただけ)と北円堂の美しいお姿が現れる。南円塔に比べると質素な佇まいである。


西金堂跡から眺めた南円堂


見学したかった 国宝 三重塔 である。

由緒版  細い文字は消えかかっていて読めなくなっている。




国宝 三重塔

この三重塔は、鎌倉時代前期の再建(正確な建立年次は不明)とされる。本瓦葺三間三重塔婆である。


優美なお姿ですね。近づいて屋根の構造を見る。飾りは少なく比較的シンプルである。



初層屋根部分の拡大



別角度から眺めた三重塔



素人ながら国宝の名に値する優美な建築物だと思います。

三重塔の向かいに置かれている

摩利支天石

由緒は次のようである。

隠れ身」の術に関わる神 摩利支天 をお祀りする巨石である。

巨石
は元々はこの場所ではなく、興福寺の子院であった宝蔵院にあり、そこで丁寧に祀られていたものである。現在の位置で言うと奈良国立博物館周辺に置かれていた。その後明治に入り興福寺が一気に荒廃を深める中で宝蔵院も無くなることになり、その廃寺となった敷地に巨石だけが放置されていた所を篤志家により引き取られ、その後長い期間を経て平成11年になって現在の興福寺の敷地内へと移転された。



引き取った篤志家は漢方医で医業の守り神として保管していたそうです。

再度南円堂のお姿を木々の隙間から拝んで



興福寺に別れを告げた。興福寺編はこれでおしまい。

2018年10月23日火曜日

奈良 興福寺 I

まづ 奈良公園 登大路園地での鹿の写真  単なる趣味の動物写真です。


ということで、奈良世界遺産シリーズに戻って今回は興福寺の紹介である。300年ぶりに中金堂が復元され特別拝観が20日から始まりました。この記事の取材時は14日なのでまだ公開はされていませんでした。

Wikiから興福寺の解説記事を引用する。


興福寺


五重塔と東金堂(共に国宝)


所在地  奈良県奈良市登大路町48番地

宗派  法相宗
寺格  大本山
本尊  釈迦如来
創建年  天智天皇8年(669年)
開基  藤原不比等
札所等  西国三十三所9番(南円堂)
南都七大寺2番
西国薬師四十九霊場4番(東金堂)
神仏霊場巡拝の道16番
大和北部八十八ヶ所霊場 第62番(菩提院)
文化財 五重塔、木造弥勒仏坐像、乾漆八部衆像ほか (国宝)
南円堂、木造薬王菩薩、薬上菩薩立像ほか(重要文化財)


世界遺産


興福寺(こうふくじ)

奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の仏教寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 

境内地図





バス停の県庁前で降りて五重塔をめざす。


垂れ幕の奥に姿を現わす 中金堂 
14日の時点ではまだ足組が残っていますね。


復元記念式典の準備は整いつつある。







目標としての五重塔に到着。


東金堂  秀麗で荘厳な感じの建築物ですね。勿論国宝で、室町時代中期の応永33年(1426年)に再建された建造物である。
堂内には国宝、重文クラスの仏像が祀られているが今回は時間の関係で拝観できない。



東金堂 側面



東金堂の敷地にある 花乃松石碑歌碑

弘法大師が永代の花として捧げた花の松を忍ぶよすがとして建立された。




国宝 興福寺 五重塔

現存するこの塔は、室町時代中期・応永33年(1426年)に再建された。本瓦葺の三間五重塔である。



初層の須弥壇に上記の仏像が安置されている。



たまたまだがそのうち薬師三尊像の画像を見つけたので引用する。引用元も引用で出典は不明。


五重塔前 石灯籠  室町時代後期に奉献されたとある。そんじょそこらにある石灯籠よりはるかに古いのです。


下から見上げる五重塔 

初層 屋根部分  複雑で手の込んだ組木構造になっている。


 南円堂

この現存する南円堂は、江戸時代中期 寛保元年(1741年)に再建されたもの。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂で、正面に拝所が付属する。1986年(昭和61年)12月20日 、文化財保護法に基づく重要文化財に指定された。 

由緒版


南円堂正面

南円堂前 石灯籠  これも室町時代のもの。

青銅製常夜灯  玉垣に囲まれて鎮座している。こちらは平成の新灯篭である。


玉垣の中に鋼板があり 作家の陳舜臣による 平成観音讃 読み下し文 が祀られている。

大いなるかな観世音菩薩
・・・・


南円堂 参拝門

西国三十三か所 第九番札所 でもある。 
札所額 

春の日は 南円堂にかがやきて
 三笠の山に 晴るるうす雲



側面


 賓頭盧尊者をまつる

南円堂横の 一言観音堂

 鐘撞堂


手水舎


不動明王を祀る

南円堂から猿沢の池に下る石段



石段横には赤い幟が立ち並んでいる。それには御本尊である 不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)の名が記されている。




石段横の芝生に祀られている地蔵尊  水かけ地蔵さんですね。私も手を合わせました。


小地蔵尊  私は堂内の秘仏よりこんな野仏が好きみたいです。


南円堂 堂碑


今回はこれでおしまい。次回は北円堂三重塔の紹介である。