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2017年3月8日水曜日

エジプト旅行記 XXV

今回は、ギザの3大ピラミッド観光の中篇。 クフ王のピラミッドの内部見学をおえてから、9つのピラミッドが見えるというポイントへ向かった。

その途中、バスの窓から見えた景色。

中央がクフ王のピラミッドで、その右隣に見えるのが王妃のピラミッドとマスタバ古墳らしい。


ピラミッド鑑賞ポイントはいくつかあり、車窓から見えるこの場所では、沢山の観光客目当てのラクダ使いが待機している。


9つのピラミッドが見える絶景ポイントに到着。

ここは駐車場になっていて、コンクリートが敷かれている。

我々の乗って来たバス


周りの砂漠の砂   車の跡やラクダの足跡らしきものが幾つも残っている。


近くにあった小屋。男達が家の外に座っている。民家なのか監視員の詰所なのかは不明。



残念なことにピラミッドは霞んでいてはっきりとは見えない。

ここでは、メンカウラ―王、カフラー王、クフ王3大ピラミッドメンカウラ―王クフ王衛星ピラミッド3つづつで計9つのピラミッドが視界が良好ならば見えるそうである。

実際に見えたのは、以下のような薄ぼんやりとしたピラミッド像であった。


メンカウラ―王のピラミッドクフ王のピラミッドがぼんやりとみえている。

はっきり写っているは砂漠の車輪跡だね。


メンカウラ―王のピラミッドとその衛星ピラミッド。


ここまで来たのだという証拠写真は存在する。


つぎは3大ピラミッドが見えるという絶景ポイント。

土産物屋が並んでいる。


やはりこの写真ようにぼんやり霞んでいる。


カフラ―王のピラミッド  近くまでいくとこのようにしっかりと見える。



クフ王のピラミッドよりはやや小ぶりで高さ143mで、頭頂部には表層石が残っている。この様子からもかっては太陽に反射して光輝く姿だったと想像できる。

このピラミッドはエジプトで一番美しいと言われている。カフラー王のピラミッド正面には葬祭殿があり、ここからの参道が河岸神殿に通じている。

メンカウラ―王のピラミッド


 
3大ピラミッドの一番奥にあり、高さ65.5mと一番低い。その南側に3基の王妃のピラミッドがある。その一部が写真に写っている。

三大ピラミッドスフィンクスがギザ観光の目玉で、このようなポーズをするのが定番になっているそうだ。 4人ならこそできる技である。


ぼんやり写真が多くて少し不満が残るので、3大ピラミッドが鮮やかに見えている画像を引用しておく。


その後クフ王のピラミッドの南側にある太陽の船美術館に向かう。


この横長の建物が太陽の船美術館です。裏側に廻ればわかるのだが船の形をしている。


博物館の横にある女王のピラミッド。 三基が奥に向かってならんでいる。


博物館横にはこのような神殿跡らしきものがある。


その入り口部分  王もしくは神の座像が両脇にある。


南側から眺めたクフ王のピラミッド


やはり圧倒的な姿です。

これでギザの3大ピラミッド観光の中篇はおしまい。次回の後篇は太陽の船美術館の見学記です。

 

2017年3月6日月曜日

神戸駅前 みどりと彫刻のみち

久々の神戸案内シリーズです。 今回は神社でなく、彫刻である。神戸の野外彫刻は折に触れ幾つも紹介してきた。
美かえる カラフルプロジェクト

ブログを始めた頃に散歩シリーズをやっていて、その時に見つけた彫刻や銅像は写真を撮って記事にしたものでした。あの頃はほぼ毎日が日曜日で、つぎはどこへ散歩に行こうかと思っていた。2年ほどで私を取り巻く環境はえらく変わってしまったのである。

散歩シリーズ: 加古川散歩 早春の六甲近辺散歩 六甲アイランド散歩 
垂水界隈散歩 高砂市町散歩

散歩シリーズはそれ以来全くやっていなかった。そりゃそうだ。気儘な散歩が出来るような状況ではなかった。自由に動く時間はなく、母親の見舞いがてらに神戸案内の写真を撮る位しかできなかった。今も状況は変わっていないけど、できれば運動不足解消にためにも散歩シリーズを復活させたいと思っている。

と、いつもの日々の感想を書いてから記事を始める。

今回は、神戸駅前 みどりと彫刻のみちの紹介。 母親の施設に行く前に、神戸駅から湊川神社に立ち寄りその帰路に写真を写して、その後日を改めて(母親の見舞い日に)写真を撮り直したものである。 神戸兵庫区 湊川神社

写真を撮ったのは1月16日と1月19日で、かなり前だが記事にせずに放っていた。今回思い出しながら写真記事にする次第である。


後で調べて分かったのだが、神戸市の広報でこのみどりと彫刻のみちは紹介されている。




これによると、彫刻写真は上の広報ページを見てくださいで終わりになってしまうが、使用されている写真が意外と古い。それで一応は最新の写真ということでこの記事を書くことにした。

まあ、写して来た写真を無駄にするのが嫌なのと、あらためてこれらの彫刻をゆっくり見たいと思ったからです。思い付きのコメントを書き加えたいというのも理由の一つだ。


順番は、上の地図通りにする。写し忘れもあり、これらの他にも新しい彫像はあるがそれらは省略する。

1.石とパイプ

    


作者 河口 龍夫 

素材は丹波石とステンレススチール。

石の真ん中をパイプが突き抜けている。自転車がパイプの上に乗っかっている訳ではない。

 強い意志でもって硬い岩をも貫徹せよ!

  

2.そりとそぎのあるかたち



作者 澄川 喜一

私は噴水のほうに目が行ってしまい、彫刻のほうはお供えだと思ってしまった。

本体は写真左端にある作品です。市の広報ページにある拡大画像はこれです。



素材は、ブロンズ黒御影石。 

石の上に乗っかっているのはソリで、そのブロンズ板が反っているからなのでしょうか?
このソリにぶら下がってみたい。


3. 波状面上HIP



作者 今井 由緒子

素材は、ステンレス。インパクトのある作品です。 ここの多聞通りを歩いていてこのステンレス像を見つけて、他の彫刻も撮ろうという気になった。

タイトルはマンマですね。HIPってお尻だよね。 ワオッ! 波の上に胴体とお尻が乗っかかっている、と思ったがその通りでした。


4. リンゴのハ-ト

写し忘れていました。もう一度探して写真を撮るのは面倒なので、広報ページにある画像を引用する。


作者 山口 牧生

素材は、 黒御影石

切り口がハートになるようにリンゴを切るのは至難の技と思える。切ったあとは皮を剥きにくいしね。


5. 孤への回帰



作者 江口 週

素材は、 黄竜山岩

どういう作品の意図があるのでしょうね。組み合わさっていたはめ込みが外れ1個の個体へと戻ろうとしている風にも見える。

いずれにせよ、人はつまるところ弧であるしかない


6. 追憶



作者 新谷 英子

素材は、 ブロンズ


女性はなにを追憶しているのでしょう。上半身が粘土と同化しているのは、何らかの寓意があるのでしょうか。 新谷英子さんの作品は神戸には幾つも見られます。思い浮かぶのは、六甲ライナーの住吉駅構内の作品 オーロラ です。



7.若い女



作者 桜井 祐一

素材は、 ブロンズ
私が爺さんだからそう思うのかもしれぬが、下着姿の若い女性というのは余り頂けない。セーター姿を見せるのだったら、下半身はパンティーでなくパンツ姿で良かったのにと思う。芸術の分からん爺さん(私だけかも)ですね。



8.霧笛





作者 廣嶋 照道

素材は、 ブロンズ。 

タイトルの意味は分からんけど、少女の姿態がのびやかに表現されていてとても良いですね。


健やかな精神は、健やかな身体に宿る


9.大地のうた




作者 廣嶋 照道

素材は、 ブロンズ。 

大地に根差した強い女性のたおやかさが表現されている。自分の進むべき未来をしっかりと見据えている。将来の肝っ玉母さんですね。


10.天翔ける女神


作者 松本 雄治

素材は、 ブロンズ。 

肉感的な女神なんだけど、童女の純真さが現れている。髪が引っ張られるように伸びているのも面白い。私の好みの彫像です。気になるのはへそと性器の割れ目がモロに表現されている所。
この像は立ててみると、首のねじれが不自然なのが分る。

天空に寝そべる女神 が私の印象。

11. 子供




作者 佐藤 忠良

素材は、 ブロンズ。 

女優の佐藤オリエさんのお父さんである佐藤忠良さんの作品ですね。以前佐川美術館に行った時に彼の作品を沢山鑑賞しました。佐川美術館

子供なのに物思いに沈んでいる。生きることの困難さを、もうこの子は感じ取ってしまっている。

賢いことは辛いことでもあるんだよね。

佐藤忠良さんと佐藤オリエさん(勿論寅さんの映画シーンでの一場面)





12.あのね 







作品 廣嶋 照道

2体からなる作品です。 素材は、 ブロンズ・御影石

私が子供のころは、少女たちはこんな服を着てつっかけを履いて遊んでいた。あのね遊びやおままごと、おじゃみなんかをしていた。ゲーム機などの無い時代の話です。

み~つこちゃん あのね  な~あに としちゃんがね ころんだの ・・・
おまけの花の写真



13. シ-ホ-ス



作者 壺井 勘也

素材は、 黒御影石

シーホースって確か竜の落とし子と思ったが、これは違いました。伝説の生物 ヒッポカムポス の英名でした。



ヒッポカンポスの前半分は馬の姿であるが、たてがみが数本に割れて鰭状になり、また前脚に水掻きがついている。胴体の後半分が魚の尾になっている。(by Wikipedia)



それで馬とカバのあいの子みたいな容貌になっている。愛嬌がありますね。できれば胴体もあったほうが有難いのですが・・・。


14. 飛天


作者 菊池 一雄

素材は、ブロンズ

10. 天駆ける女神 と対称な銅像ですが、こちらはデフォルメされていない。その分面白さに欠ける。豊満だが端正な身体なので躍動美は存分に表現されている。

胸の部分がテカテカに光っているのは、触っていく人が少なからずいるからだろうね。私は紳士なのでそんなことはしません。


15.若き立像’85



作者 笹戸 千津子

素材は、ブロンズ

気の強いしっかりした若い女性の精神性が、その裸体を通して見事に表現されている。優れた作品だと思う。 このような女性を妻にすれば、尻にしかれることは請け合いです。


16. 森のシマウマ




作者 市川 明廣

素材は、黒御影石

最初見たときはどこにシマウマがいるのかと思った。下部で草を食んでいるのがシマウマでした。
森の様子がその上部で表現されている。私は脳の断面図かと思った。
作品の良さが理解できない私でした。

最後にみどりと彫刻のみちの石碑。


これでおしまい。

2017年3月5日日曜日

エジプト旅行記 XXIV

1月6日

待望のピラミッド見物である。人類史上最大の遺産といわれている。また世界七不思議の一つでである。  世界の七不思議  新世界の七不思議

虚心になって考えるとまったくその通りで、こんなドデカい建造物をどのようにして造ったかとか、何の目的でとか、不思議に思うのが当然である。これらのピラミッドまつわる謎は今だに完全には解決されていない。

私も御多分にもれず古代史の謎とか巨石建造物なんかが好きで、興味本位で色んな本を読みました。吉村作治さんの本だけでなく、ピラミッド関係の本も沢山読んだのだけど内容はすっかり忘れてしまっている。それでWikipedia、ガイドブック、手持ちの書籍、YouTubeの映像なんかを参照して、ピラミッドの見学記を書いていくことにする。

ピラミッドといってもエジプト全土には100基近くあり、最大のものがギザのクフ王のピラミッドである。その近くにカウラ―王メンカフラー王の2つのピラミッドがある。その3つを合せてギザの3大ピラミッドと称している。

今回はその3大ピラミッドの観光編の前篇である。

ホテルから5分位で、ギザピラミッド遺跡の入り口に着く。

平面地図 

北から南へクフ王カフラー王メンカウラ―王のピラミッドが並んでいる。



検問所


朝靄の中 クフ王のピラミッド  入場チケットの売り場


最初は目前のクフ王ピラミッドで、内部の見学ができる。 

バスを降りて舗装された石畳を、巨大なピラミッドを目の前にしつつその麓まで歩いていく。


隣にあるカフラー王ピラミッドが薄っすらと見えている。


ピラミッドの稜線。 ギザのピラミッドなのでギザギザである。必ず言われるダジャレ。

巨石が何層にも積まれてピラミッドが造られているのが実感としてわかる。
観光用の馬車がいる。法外な料金を要求される場合がある(多い)ので、乗らないのが無難とのこと。


反対方向の稜線。 逆光になるので暗くなってしまい靄もあり石段ははっきり見えない。


大ピラミッドの全体像  近づいてみると巨大で、整然と並べた瓦礫の山と言う気がする。


ここでWikiやガイドブックから基礎知識を習得しておく。


ギザの大ピラミッド

 / 29.9791750; 31.13435

ギザの大ピラミッド


ギザの大ピラミッド(ギザのだいピラミッド、英語: Great Pyramid of Giza

エジプトギザに建設された、世界の七不思議で唯一現存する建造物である。
紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』において、「クフ王のピラミッド」として報告されているが、この時点で建設から2000年以上経過していた。


ヘロドトスの胸像

その文章より:

ケオプス(クフ)王は50年間統治したと言われている。ケオプス王が崩御した後。兄弟のケフラン(カフラー)が王となった。ケフランもピラミッドを造った。それはケフランのピラミッドよりも12メートルほど低かった。だがそれ以外は同じような大きさのピラミッドだった。ケフラン王は56年間国を統治した。その後はケオプス王の息子ミケリノス(メンカウラー)が王位を継承した。ミケリノス王は父親よりも小さなピラミッドを残した。」

建築年代については諸説あり、一般的にエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2560年頃に20年前後かけて建築されたと考えられている。

4500年も前に建設された壮大な墳墓である、と書きたいところだがそうでないという説もある。

なお、19世紀のフランス人考古学者オーギュスト・マリエットによってギザで発見され、現在カイロ博物館にあるインベントリー石碑には、ピラミッドは「ピラミッドの女王女神イシスに捧げられたものであり、スフィンクス大ピラミッドも、クフ王が王位につくはるか昔から存在していたのであり、またクフ王の墓は東側の脇にある3つの補助的建造物の一つがそれであると書かれている(他の幾つかの遺跡も同じ)。


オギュスト・マリエット

インベントリー石碑

これによると神殿の1種だということになる。でも内部の構造を見れば石棺などがあり、王が死後に復活するための建造物と思えるので、やっぱり墓でしょうね。

完成時の高さ146.6mは、14世紀にリンカン大聖堂が完成するまで世界で最も高い建造物であった。


リンカン大聖堂

この聖堂は紀元後の建築なので、クフ王のピラミッドは4000年近く世界で最も高い石造りの建築物であったわけである。これだけでも凄いよね。

ここでギザの大ピラミッドのデータ:

クフ王が建設したギザの大ピラミッドは、ピラミッド建築の頂点とされ、最大規模を誇る。
現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺230.37m、勾配51度50分40、容積約235.2万m3で、平均2.5tの石灰岩を約270万-280万個積み上げたと計算される。

ほぼ真下から眺めたピラミッドの写真をアップする。


写真右中央に見えるのが本来の入り口で閉鎖されているらしい。


入り口は抉られたようになっていて、その下に観光客用の入り口がある。かっての盗掘口らしい。

この入り口からピラミッド内部に入れるようになっている。


建設当時のピラミッドはこのように凸凹した石積みではなく、その上に化粧板が置かれツルツルピカピカの状態であった。その化粧板は全て盗み取られてしまったのだ。


これがその化粧板の名残。




ピラミッド内部の構造



クフ王のピラミッド断面図
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔


内部は撮影禁止なので上図で説明すると、つぎの順序で見学をする。全てが見られる訳ではなく、王の間までの往復である。 画像を探してみるとあるもので、幾つか見つけたので断りなし(禁止撮影?)に引用する。

1) 1の入り口から3の上昇通路入り口に向かって狭いトンネルを降りていく。


2) そこから6の上昇通路を登り、さらに9の大回廊を登る。

大回廊 長さ46.7m、高さ8.7m、下の幅2m 

3) 11控えの間に到達すると、その奥が 10王の間になる。

王の間の通気口。このように王の間は堅牢な御影石により寸分の違いなく方形に設計されている。



王の間には石棺が置かれていて、天井には大きな重量拡散装置である巨大な花崗岩の積まれた空間がある。重量軽減の間と呼ばれるており、最上部にはクフ王の名前が残されている。

重量軽減の間


王の間の石棺

 
4) 王の間から逆のコースで入り口に戻る。なお女王の間は入れない。


王の間女王の間にはそれぞれ通気孔が存在する。これは「シャフト」の名で呼ばれ、部屋の温度を一定に保つためのものと考えられている。

ピラミッドは奴隷の使役により造られたと、私が中学生の時代に教わったが、この説は現在は否定されている。ナイル川の氾濫する時期の失業対策として建設事業が行われたというのが事実であるようだ。 Wikiの説明より:

ギザの大ピラミッドに使用された石灰岩は、ピラミッドの500メートル手前の石切り場由来とされる。すぐ近くに建設に関わった人々の街も築かれた。ナイル川の氾濫する7-9月に仕事を失った農民が集められて建設に動員され、4000人の作業員が建築に関わったとされる。
以前は奴隷がピラミッドを作ったとされていたが、街には二万人以上が生活した痕跡があり、作業員は家族とともに暮らし、報酬やパン、ビールも与えられていた。切り出された石灰岩は平均2.5t程度の重量があり、300万個が使用された。これとは別に1個60tを超える花崗岩の石材が王の間に多数使用されている。

さて、どのようにしてピラミッドが建設されたかは大きな謎だが3つの説が提唱されている。

建設法

1.直線傾斜路説

ピラミッドまで緩い斜面をもつ1本の直線の通路を作り、ソリで石材を引き揚げて建築する方法。斜ピラミッドが高くなるにつれて通路も長くなり、最終的にピラミッドと同じ容積の材料が通路を作るために必要となる欠点が指摘されている。一方、ピラミッドは高い部分になるにつれ必要な石材の量は減るので、建設が進行すればするほどピラミッドより通路の設置のほうが大変になることになる。斜面の傾斜を5度とするとピラミッドの頂上を作るときには長さ1.6kmの傾斜通路が必要となり、石切り場からピラミッドから逆の方向に1km運んでから直線傾斜通路に乗せることになる。またピラミッドが完成した後に、ピラミッドと同じ体積の石材をつかって作った通路を撤去する必要がある。

2.らせん傾斜路説

ピラミッドの外周に沿って、らせん状の細い傾斜通路を設けたという説。細い通路しか使用できず、通路自体によってピラミッドが隠されてしまい、建築中の測量が出来ずに稜線が曲がってしまう危険が指摘されている。

3.内部通路説

フランスの建築家が提唱した説。元々は同じ建築家だった父親が、ピラミッドの中にらせん状の通路があるはずだという発想から始まっている。この説を受けて現地の調査でも内部通路がふさがれた跡が見つかったり、1986-1987年のフランスのピラミッドの重力分析によって内部に15%のらせん状の空洞の存在が示唆されていたことが改めて着目されるなど、注目を浴びている説。内部の通路の傾斜は4度、総延長は1.6kmで内部の比較的浅い場所を4-5周まわって頂上近くにまで至っていると予想されている。下1/3の建築には直線傾斜路が使用されたとされる。これは前述の60tの花崗岩などを運ぶ必要があるため、内部トンネルだけでは建築できないためである。この時に大回廊にはバラストと搭載したソリが設置され、エレベーターの原理で石材の引き上げがおこなれていた。用が済んだ直線傾斜路は解体され、その石材はピラミッドの建設に転用された。崩壊したアブグラブ神殿でも同様の内部トンネルが確かに存在したことが確認されている

3の説が現在有力視されている。これについてはつぎの動画が詳しい。ピラミッド内部の映像もあり、大変面白い。


ピラミッドはこうして造られた 1/5



ピラミッドはこうして造られた 2/5



ピラミッドはこうして造られた 3/5



ピラミッドはこうして造られた 4/5



ピラミッドはこうして造られた 5/5

英語版だけど、ピラミッドの建造法だけでなく内部構造や周辺の建築物、さらにはミイラの作り方などの解説もある興味深い映像です。




The First Construction Of Pyramid - Geographic History


息子達はピラミッドの内部に入ることが出来て歓声をあげている。


私もまた巨大ピラミッドを目の当たりに見て、さらにその中にまで入ることができ甚く感動したのであった。


今回はこれでおしまい。