ワイフの容態は、食事に関しては何でも食べられるようになった。水分もゆっくり気をつけて飲めば咽なくなった。声帯のほうも徐々にだが回復しているように思える。しかし、体力は以前とは比べものにならない位落ちている。証明書の取得のため役所などに行くと、帰ってくればクタクタである。夕ご飯を作る時も休み休みでないとできない。大手術だったので当たり前のことではある。血圧の上昇が致命的なので、出来るだけ無理をしないようにしなければならない。
一昨日に神戸中央市民病院で3ヶ月目の検診を受けた。CTの検査によると大動脈乖離の部分は心臓部の破れた個所から下肢まで及んでおり、手術後と同じ状態で癒着はまだしていないそうだ。通常状態への回復には相当の期間がかかる。3ヶ月で今の状態までこぎ着けたのは幸運の部類だろう。乖離が広がらないように血圧の制御が必須で、激しい運動は無論できない。といっても、温泉に入ったり旅行したりは可能と医師から伺ったので、8月ころにワイフは家族旅行を計画している。それまでに体力が少しでも回復して欲しいと願っている。
私については、家事見習いに降格したので家事負担が軽減するかと思えば、さにあらずであった。単身生活時と同じく忙しい。朝ご飯作りは私の分担で、洗濯物や皿洗いの分量は2人分に増えたので実質は作業量の増加であった。その上、杜撰な私の作業に対して厳しいチェックが入るので、私としては内心忸怩たるものがある。ワイフのように要領良く家事はできないのである。今だに食器の収納場所をはっきり覚えてないし、収納の仕方が拙い。私一人だと、食器皿は3枚で全てを賄い、食後は洗い場に置きっぱなしだったので収納なんか不必要だったのだ。
私の作っていた朝飯はワンパターンでいつもこんなのである。野菜はキュウリにトマト。レタスが入るときもある。トーストはピーナッツバター。コーヒーはインスタント。
夕食のメニューは、例えばこんなのでした。生野菜(レタス、キュウリ、トマト)、納豆、牛肉のタマネギとピーマン炒め、それと1週間飲み続けた野菜スープ(余っただし汁を加えたので真っ黒だが味はそんなに悪くない)である。この献立はマシなほうです。
単身生活時の私の作った料理を日々記録しようと思って写真に撮ったが、途中で馬鹿らしくなって止めてしまったその名残の献立がこの写真です。見るからに不味そうだもんね。
ワイフの退院後は、私の食生活は劇的に改善した。従って(良くないことだが)私の体重も70キロに戻った。食べているにも拘わらず、逆にワイフは36キロ台に落ちた。
夕食は以前のように美味しい料理を食べさせて頂いている。買い出しは私の担当なので、献立はなかなか思い浮かばないらしい。それでも有り合わせの材料を用いて短時間で作ってくれる。こんな具合である。
水菜とトマトのサラダ(チリメンジャコがかかっている)、生サーモンのアボガド和え、厚焼き玉子、鰆の竜田揚げで4品もある。
次男が自宅に来た時の夕食は更に手の込んだ料理になる。
ベビーリーフのサラダとほうれん草のバターコーン炒め。
マッシュドポテトのグリル。ポテトを下味を付けてからクリームでのばしたのをグリルで焼いて青のりをかけてある。
鶏肉のソテーで、ナスビやシメジ、ピーマンのケチャップソースをかけて、さらにたっぷりチーズがのっている。
その後作った本人は疲れてクターとしていました。美味しかったのですが、いつもはこんなにコッテリしたものは食べていません。普段はこんな具合です。念のため。
牛肉のしゃぶしゃぶ、西洋筑前煮、ブロッコリーといった三品です。忘れたが汁物は付いていたような気がする。
時々(私が料理の手伝いや皿洗い等面倒なので)お惣菜を買って来るが、不必要なものを買ったり品目のチョイスがまずくてワイフは不機嫌である。献立のバランスが悪く、ワイフの美的感覚に反するからだろうが、これは許して欲しい。
食料の買い出しは結構大仕事で、リックを背負ってJR六甲道のスーパーへ行く。行程は往復バスで、行きはよいよい(軽いが)帰りはこわい(重い)。野菜や果物、食材+お菓子を買うと両手も一杯になり、歩いて自宅にたどり着くとホントにヤレヤレである。これが2日おきの仕事になっている。
兎に角、料理一つにしても専業主婦は本当に大変だったんだねと今更ながらに思うのであった。そんなワイフに私は長年依存していた訳だ。今はその祟りを受けている。
ワイフの体調はまだまだである。買い出しには行けないし、所用で外出して帰ってくるとすっかり草臥れてしまっている。実を言うとワイフの見守りで、私も一緒になって草臥れてしまっている。私自身の体力もかなり落ちているのを自覚する。運動を殆どしていないので仕方がないが、この状態の改善を目指していかねばならない。ワイフの付き添いも結局体力勝負なのである。
バルセロナ旅行から半年たったが、その間旅行や遊行は一切していない。病院と介護施設、阪大への行き帰りだけで日々を過ごしている。講義を除いて非生産的な毎日である。情けない限りだが、生活をする最小限のことしかできないのが実情だ。しかし焦らずに旧に復せるように頑張っていきたいと思っている。
ワイフが入院するまでは、母親に介護施設で面会した後ブログ記事を書くため、時々神戸市内の各地に取材に行っていた。布引の滝、ハーブ園、有馬温泉などなどです。写真は撮ってきたが今だ記事化はしていない。
現在は記事を書くのが時間的に無理になっている。まとまった時間が取れない。趣味のブログ書きをするという気晴らしが出来ないのは意外に辛いものだ。今までは原則 疲れたら寝る であった。お蔭で身体疲労は取れているが脳味噌が腐り始めたようなので、それを阻止するべく無理をしてでも時間を見つけて頭の体操の1つとしてブログ記事を再開したいと思ってます。と書きつつ、全く出来てませんね!
久しぶりに書いたブログ記事でした。