さて神社記事を始める。
魚崎八幡宮は阪神高速神戸線の横にある。南魚崎駅からは却って遠回りのようで、魚崎駅から徒歩で行くのが正解らしい。実際兵庫県神社庁の記事にも
六甲ライナー・阪神電鉄「魚崎駅」より東南東へ600m徒歩8分
と記載されている。地図を見てより近いだろうと判断するのは間違いですね。
すっかり忘れていたがこの神社は3年ほど前に灘の酒蔵を取材した時に偶然見つけて簡単に紹介していた。 灘の酒蔵
上の記事ではおまけ紹介で、きちんと神社案内はしていない。それで今回は神社シリーズとして基準通りの案内として再紹介したい。
西の大鳥居
現在のお姿
3年前 微妙に変わっていますね。 ご神木の足元に石垣がありましたね。
神社のお隣はマンションになっている。梅の開花時期でした。
後鳥羽院天皇御神霊通御御小休奮跡 石碑
全く定かではないが、後鳥羽天皇の御霊がこの魚崎の地で一休みされたのを祭られた石碑のようである。
梅と常夜燈
鳥居横の常夜燈 こちらのほうは新品です。酒家中との銘がある。酒造業者の寄進だと思われる。魚崎は灘の酒処ですからね。
由緒舎と思いきや神社の掲示板であった。神社検定の案内ポスターでしした。
当神社は魚崎の八幡さんと呼ばれていて地元民に親しまれている。魚崎の氏神さまである。
それでは神社の基礎データを記述する。Wikipediaには記載がないのでいつものように兵庫県神社庁と神戸の空の下で。~街角の歴史発見~の記事を参考にさせて頂く。
魚崎八幡宮神社 (うおざきはちまんぐうじんじゃ)
ご祭神:
主祭神 八幡大神 (はちまんおおかみ)
配祀神
春日大神 (かすがのおおかみ) 八衢比古神 (やちまたひこのかみ)
八衢比売神 (やちまたひめのかみ) 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
久那戸大神 (くなどのおおかみ)
何度も同じで相済まぬが他の画像を見つけるのは困難。その他の神の画像は省略する。
由緒:
神社の由緒ではないが「魚崎」の名称の由来はこれである。
新羅遠征に向かうために軍勢を整えていた神功皇后が軍船をあつめさせたところ、魚崎の浜に各地から500隻もの船が集結した。その故事からこの地を五百崎(いおざき)と呼ぶようになったという言い伝えがある。また、不漁続きで困った漁民たちが領主に願い出て、豊漁を祈願して「五百崎」を同音の「魚崎」に改めたという話も伝えられている。
また、社伝によると、「往古神功皇后三韓を征し給ひ、御凱旋の途次御船此浦の沖より進むこと能はず。乃ち此地に軍船を止め、磯辺にありし大樹の松に艦綱を繋ぎて御占ひありしに、御船に斎き祭らせ給へる神の御誨あり。皇后其の神誨に随ひ給へば御船平安に海を航するを得たり」とある。
三韓征伐後の凱旋の途中で船が進まなくなったのでこの地に軍船を止め、磯辺にあった大松に艦の舳先を繋ぎ占ったところご神託がありそれに従って航海の安全を得たとされる。
「其御船を繋ぎ給ひし松は、其後久しく立栄えしかば里人皇后の大御形見として仰ぎ奉りしが、何れの頃にか枯果て枯株のみ残りしを後世之に雨覆を造れり」その枯株と伝わるもの、現在社殿の東方境内にあって「神依松」という。
その松が後で紹介する神依松なのである。
手水舎 その背後には寄進された酒樽が並んでいる。松竹梅、菊正宗、瀧鯉、桜正宗の4銘柄である。
奉納された立派な手水鉢でしたが実際には使われていない状態でした。酒樽業者からの寄進だそうです。
百度石
境内の常夜燈二基
境内には猫が沢山集まっていて、そのうちの1匹が常夜燈の足元に置かれたペットフードを食べていた。
手水鉢 こちらが実際に使用されている手洗い場。
拝殿 比較的小さい社殿である。阪神淡路大震災で倒壊したものを再建した。
やはり酒造郷の魚崎らしく酒樽が奉納されている。浜福鶴と桜正宗である。
拝殿前 狛犬二基 とても愛嬌のある可愛いい狛犬です。
八幡宮の社額
いつもの儀礼だが 二礼 二拍手 一礼 を忘れずに。
拝殿横常夜燈
拝殿側面
本殿屋根部分
由緒記にある 神依松の縁起碑
神依松の子孫(とされる)
遺跡 神依松 の石碑
神依松の何代目かの切株
神社の御神木となる老松
松の幹の中空部は洞になっているが新たな枝を延ばしている。
境内社の白髭稲荷神社
祭神は白髭稲荷大明神以下七柱の稲荷大明神。白髭稲荷大明神は祈願成就の神様
社碑
稲荷鳥居連
拝殿
狛狐二基
境内社の稲荷神社にもお神酒は欠かせない。ということで寄進された桜正宗と瀧鯉の
酒樽。
稲荷社を取り囲む玉垣
境内を我が物顔で徘徊するニャンコ
石鳥居
末社 名称は不明
トラ猫君
厄除けの解説板 おみくじが数珠つなぎ。
これでおしまい。