ブログは内容が余程面白くない限り、知人以外誰も読まないそうです。考えてみればそのとうりですね。このブログを読んでくださる方は殆どいないと思いますが、私と似た境遇の方かそのような”迷惑な父親”を持ったかたは、結構おられるのでないかと推測します。そのような方々のために、個人データの一部を転載します。以下の文章は、KTCという神戸大工学部の同窓会誌に載せたものです。
今読み返してみると、自慢話や苦労話の多い嫌味な文章ですね。
定年退官の記念シンポジウムでの講演
定年退職にあたって
大学院システム情報学研究科
システム科学専攻 教授
中桐 信一
思えば長い間、神戸大学にお世話になりました。学生時代から換算すると実に46年間もの長さです。
結果的には一本道でありましたが、その途上では紆余曲折があり、何とか最後まで勤めることができたのは幸せな事です。
私は、神戸大の理学部数学科の修士課程を経て、学部共通講座の助手として1973年4月に採用され、村上温夫先生の下で教育研究生活のスタートをきりました。
助手生活の最初の4,5年は苦しいけど充実した研究生活を送りました。
その時期、元副学長の北村新三先生からは、分布系の制御逆問題など工学的な問題の理論的取り扱いの重要性を教えて頂きました。
北村先生との共同の研究発表を1976年イギリスCoventryで開催された第2回IFACシンポジウムで発表し、先生の紹介によりドイツの Stuttgart大学で短期研修を行えたのは、その後の研究の方向を決定する得がたい機会でした。
分布系制御理論の分野ではそれなりの成果は出しており、国際会議でも講演はしていたのですが、数学の出身者としては、私は応用数学を目指す異端者でした。
その事もあり学位取得がかなり難しい状況にありました。
一方、共通講座の教官としては理学博士の取得が望ましく、当時の私にとってはそのハードルは極めて高いものでした。
しかしその事が私の数学力を鍛えることになり、真の数学上の恩師に出会うことができました。1981年10月に学位未取得のまま講師に昇進。
そして学位取得を目指し、大阪大学の田邊研に毎週セミナーに参加し研究発表をおこなう日々が続きました。
偏微分方程式論や函数解析学などは、当時修士程度の一般的知識しかなかったのですが、田邊広城先生の著書を勉強し、また先生に接し様々なご教示を得ることにより、理解はより深まり武器として使いこなせるようになりました。
そして、先生の研究者としての凄さを知り、先生は私の心から尊敬する師になりました。
また当時のセミナーに出席していた若い先生方や修士や大学院の学生からも大きな鼓舞を受けました。今思えば、私が応用数学を志しその実現に向かい切磋琢磨する場がこのセミナーであったと思います。
7年後の1988年に大阪大学から理学博士の学位を授与されました。
内容は、Banach空間における函数微分方程式の構造的な性質に関するもので純粋な数学理論です。
田邊先生は、学位を容易には出さないので有名であっただけに学位取得の喜びは一入でした。
1989年1月に39歳で助教授に昇任し、3 年後の1991年に教授に昇任しました。
助教授の期間が異常に短いのは、前任者の小川枝郎教授が関西学院大に転職されたためです。
時期尚早とは思いましたが、村上先生の薦めに従いました。
それ以降は、遅くにやってきた疾風怒濤の時代でした。
初めてのドクターコースの学生として フィジー国の Jito Vanualailai君、翌年韓国の Ha Junhong 君を引き受けて、制御理論の研究指導を行いました。
研究テーマは、Jito君は非線形系の安定性理論、Ha君は減衰項をもつ双曲型偏微分方程式の最適制御理論でした。
2人ともこの分野を実によく勉強をし、セミナーでの討論をもとに得られた結果を論文に反映させ、水準の高い学位論文を仕上げる事ができました。
彼らの研究指導は、実に大変でしたが面白くもありました。
この時期彼らと共に、連日夜遅くまで議論をしていたのを思い起こします。
また当時助手であった服部元史さんや私の学生と共に花見や遠足をしたのも、実に楽しい思い出として残っています。
彼らは皆偉くなっており、Jito君は南太平洋大学の副研究所長、Ha 君は韓国技術教育大学校の学部長、服部さんは神奈川工科大の教授です。
一方、学内事情も大きな変化が起こり、工学部改革のため5学科の統合により共通講座は消滅し我々応用数学グループはシステム工学科、後の情報知能工学科に属すことになりました。
また旧教養部からの数学教官が工学部配属になり我々のグループと統合することになります。
その間の事務処理に、私は数学グループ責任者として当たり、毎日続く会議で睡眠不足も重なりへとへとになりました。
さらには移管教官群との軋轢や権力闘争があり心身ともにすり減らす月日を過ごしました。
しかし研究のほうは順調に進展し、非線形偏微分方程式の最適制御理論の枠組みをJ.L. Lionsの線形最適制御理論をモデルとして構築できました。
さらに非線形函数解析の手法に基づき、変分法および半群理論による立場から制御問題、安定化問題、パラメータ同定問題の理論的および数値解析的研究を行いました。
Jito君、Ha 君に加えて、エジプト人の Mahmoud Elgamal君、中国人の王全芳君、韓国人の Hwang Jinsoo君が私の研究室にドクターコースの学生として加わり、彼らもまた精力的に研究を続けてくれました。
彼らに研究テーマを与え、研究指導をするうちに方程式固有の様々な問題の発見があり、新しいアイデアを用いてその解決を図ることができました。
彼らの協力により多くの成果を挙げることができ、多数の学術論文を出版することができました。
教授昇進以来の21年間にギリシャ、韓国、スペイン、ポルトガル、台湾、ベトナム、イタリア、ポーランド、カナダ、チュニジア、インドで開かれた国際学会から招待講演の依頼があり様々な研究成果を発表させて頂きました。
特に2010年のインドでの国際学会Mathematics of Dateで、基調講演をさせて頂いたのは光栄でした。
これも途切れることなく科研費が採択されたお蔭だと喜んでいます。数学会においても、2回の特別講演と昨年の企画特別講演をさせて頂き、また函数解析分科会の評議員として活動させて頂いたのは名誉な事でした。
身体的には、心臓疾患、糖尿病、高血圧をかかえており体調不良ですが、幸いなことに研究すべきテーマは沢山あり、体調の許す限り退職後も何らかの形で研究は続けていきたいと願っています。
最後に長い間お世話になりましたシステム情報学研究科、工学研究科、そして工学部数学グループの教職員の皆様に、心よりお礼申し上げます。
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