ワイフに同行を断られたので、独りで花見をする。
缶ビールと当ての菓子パンを持って、歩いて5分の公園に行く。
緑の買い物バッグの中に、缶ビールとパンが入っている。
ここは、目的地の公園ではないが、櫻がきれいなので写真を撮ってみたのだ。
木の下から、櫻を眺めてみる。
公園は、この櫻並木の右横にある。 花見は、私一人だ。
公園周辺の満開の櫻だ。
公園の石でできたベンチにすわり、ビールを飲みソーセージパンを食べる。
あまり花見状況とは合わないが、それしか持ってきていないのだ。
酔いが回ってくる。 櫻は、なんと美しく物悲しいものだと再発見するような気になる。
酔いによる、気持ちの乱れにすぎないのだろうか。
櫻は、美ししく心を和ませるばかりでなく、心騒めかせるものがある。
連想ゲームみたいだが、西行法師 を思い浮かべる。
花と月をこよなく愛した漂泊の歌人ですね。
西行法師の和歌
願わくは
花のもとにて
春死なむ
その如月の望月の頃
如月という時期については同意しにくいですが、その気持ちが分かるような気がします。
また、梶井基次郎 の
桜の樹の下には
桜の樹の下には屍体 が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故 って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられない
これは信じていいことなんだよ。
ことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。
しかしいま、やっとわかるときが来た。
桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
(中略)
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ
一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。
それは、よく廻った独楽 が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまって
なにかの幻覚を伴うように、灼熱 した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。
それは人の心を撲 たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。
俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。
俺は反対に不安になり、憂鬱 になり、空虚な気持になった。
しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫 と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると
おまえ、この
想像してみるがいい。 何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
(後略)
これもまた、櫻の花の醸し出す妖しい美しさを表現しているのだ。
もう一人、櫻をめぐって思い出した作家を挙げる。
坂口安吾だ。
作品は、「桜の森の満開の下」。
そのさわりは、このようです。
もう一人、櫻をめぐって思い出した作家を挙げる。
坂口安吾だ。
作品は、「桜の森の満開の下」。
そのさわりは、このようです。
桜の森の満開の下
坂口安吾
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子 をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩 して、
これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、
絶景だなどとは誰も思いませんでした。
近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、
能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して
花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足 )という話もあり、
桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
(後略)
山賊が女をさらったが、その女に籠絡されて狂っていくというストーリです。
有名な小説ですので、ご存じの方も多いと思います。
櫻に酔いつつ、大学のキャンパス沿いに坂を登っていく。
日が沈み始める。
櫻の老木に咲いた数輪の花。
道路沿いに神戸大のキャンパスが広がっている。
経済経営学部の学舎の裏手には、 武道場(艱貞堂:かんていどう)がある。 由緒ある建物だ。
国登録有形文化財 に指定されています。 現在も道場として使われている。
時折、剣道部員のキエーとか、ツウェーとかいう声が聞こえてくる。
全貌は、このようになっています。
運よく道場内を撮影できました。
道場を出てバス道沿いに進むと、神戸薬科大の学舎にいたる。
ここの櫻は、まだ5分咲きだ。
ここから、自宅へは坂を降るだけ。 櫻遊歩は終わった。 夕食には間に合いそうだ。
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