瀞峡めぐりを終えて、次なる目的地に向かう。
ジェット乗り場から、国道168号線を熊野川沿いに登った 赤丸 で囲った熊野本宮大社である。
ここについては、前回の記事
熊野本宮大社と世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」登録10周年
に解説したので、ここでは 熊野三山 についてのお勉強をしたい。
日本史や世界遺産に詳しい人にとっては、周知の事実であろうが、そうでない人(含む私)にとっては、絵入りの解説があれば便利である。
そこで、またもや Wikipedia である。
熊野三山(くまのさんざん)
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。
熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。
日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。熊野権現も参照のこと。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。
私は、3神社ともお参りしています。 時間の都合で、今回参拝は熊野本宮大社だけでした。
熊野本宮大社は、前回説明したので略。
・熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を
主祭神とする。
・熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。
熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社
などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。
近くに有名な 那智滝がある。
熊野神社というのは、まこと至る所にあります。
調べてみてびっくりしたのですが、3000社あると Wikiでは書いてありますが、実際関連寺社は4000社以上あるらしい。 また、奇特な方がおられ全国の熊野 という名前のついた神社の写真をアップしています。大変な労力であったろうと思います。 ご夫婦で全国の神社を探訪され、その関連サイトを運営しているそうです。
熊野神社のリスト by tetsuyosie
神戸市にも来てくださっています。ひとつだけ、ご夫婦推選の狛犬をアップします。
保久良神社の狛犬です。
という具合で、脱線ばかりしているが、熊野本宮大社 見学を終え、近くにある
道の駅 奥熊野古道 ほんぐう に入る。 昼食を取るためである。
周辺は、このような景色である。
ここで、シールと道の駅スタンプをゲットしたので、アップする。
それで、地元グルメの昼食メニューである。 私は注文したのは、ざるそば定食。
左側に見えているのが、新宮を代表する郷土料理である めはりずし である。つけものの高菜の葉を広げて、ごはんを包み込んだ大きなおにぎりだ。 これは小さいが、本物はでかくて、口を大きく開けて食べるとき目を見張ることからその名がついたそうだ。
そばは、申し分なく美味しい。
ワイフは、ヒスイそばを注文した。2種類のつけ汁が付いている。ドレッシング味とゴマダレ味。
色は変わっているが、普通のおそばの味である。美味しい。
息子はこれ。焼肉定食ですな。食べてないので、味については不明。
昼食を終え、つぎの目的地である 十津川村 玉置神社 へ向かう。
ここで、またもや脱線するが十津川村について説明する。
十津川村観光協会のホームページ から、必要事項を要約する。
十津川村
グリーンの場所です。相当に広いのが分かる。
奈良県の最南端にある日本で一番大きく広い村である。
電車が通っておらず、交通手段は車または、バスでの移動となります。
バスの移動は奈良県は近鉄八木駅から、また和歌山県はJR新宮駅から奈良交通が運行されています。
路線バスでは日本一長い距離を走り、八木〜新宮間を約6時間かけて走行しています。
村内では村営バスが運行されています。
という訳で山の中なので、非常に交通の便の悪い所にある。
我々は、道の駅 奥熊野古道 ほんぐう 青四角 □ から、下の青線のようなコース(国道168号線から169号線に乗り換える)をたどって 青丸 〇 で示した玉置神社に到達した。
ややこしい道のりで、迷ってしまいそうになったのだ。
ここで、例により Wikipedia を用いて玉置神社 の説明をする。
玉置神社
奈良県吉野郡十津川村にある神社。大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂直下の9合目に位置し、大峯奥駈道の靡(なびき)のひとつである。
社務所および台所、梵鐘は国の重要文化財。境内地の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物。2004年7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。
であります。 さらに詳しい説明は、 玉置神社 にあります。
駐車場から、少し歩いたところに玉置神社の鳥居があります。
この時は、小雨が降っており、かなりの靄が一帯にたちこめていました。
千古の霊場 世界遺産 玉置神社
地理的には、かなり特異な環境にあるらしい。見えにくいが、このようなパネルが参道に掲示されていた。
調べて見ると、つぎのようなことである。長いが引用してみる。
玉置山山頂の南側斜面には枕状溶岩の顕著な露頭が見られ、場所によっては枕状溶岩が重なり合っている。玉置山の標高800メートル以上の植生はブナ林帯であるにかかわらず、山頂付近のみはスギ、ヒノキ、モミ、ツガなどの針葉樹と、ブナ、ミズナラ、アカシデといった落葉広葉樹が混在する植生を示しているが、これは溶岩性の地質によるものである。また、枕状溶岩の重なり合いのなかには、「玉木」あるいは「玉置(玉を重ねて置いた)」ように見える箇所があって宿や山の名の由来と解され、こうした地質と植生の特異がもたらす景観こそが、玉置山を霊地とし、宿を成立せしめた根元であると考えられている。
ともあれ、参道を歩く。
しばらく歩くと、本社本殿の鳥居の前に着く。 鳥居の前には、わらで編まれた輪っかが埋め込まれてあり、その輪を右から1回左から1回くぐってから、お参りするのが規則になっている。
私もワイフも傘をさしながら、そのしきたりに従いました。
これが、本堂ですが3人のお遍路さんが熱心に経をあげていました。
境内には、このような社がある。
杉の巨木が林立している。
- 奈良県指定天然記念物(1956年〈昭和34年〉2月5日指定)。3万平方メートルの玉置神社境内は永らく聖域として伐採が禁じられていたため、温暖多雨の気候と土壌に恵まれ、樹齢3000年と言われる神代(じんだい)杉や、常立(とこたち)杉、磐余(いわれ)杉などの巨樹を含む杉の巨樹林が成立した。
夫婦杉、常立杉 の写真は撮ったのである。
ここは、三柱社である。
参拝を済ませて、もやで霞んだ参道を歩き(駐車場までであるが)帰途につくのである。
なかなか、幻想的な散策で良かったですね。
さて、車に戻り最終の見学目的地である、谷瀬の吊り橋(たにぜのつりばし)に向かう。
行路に 道の駅 十津川卿 があり、そこで一休み。
誰がが、足湯で旅の疲れをいやしておる。
ここで、十津川温泉エリアのマップとスタンプをゲットする。 パンフは、珍しいことに英語表記もある。外国人観光者のためでもあろう。
こんな温泉である。 機会があれば、のんびりとこの温泉につかってみたいものである。
十津川村観光協会のホームページ より引用。
ここでは、熊野川は十津川と名を変えている。
谷瀬の吊り橋(たにぜのつりばし)
日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル 高さ54メートル。
そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景!
最高のロケーション。
キャチコピーはこれ。
スリル満天! 空中散歩「谷瀬つり橋」
であります。 満天の字が違うだろうと思ったが、わざとそう書いているらしい。
歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!
まるで空中を散歩している気分。
十津川村NO.1の観光スポットです。
橋を渡りましたが、板張りの上を一歩一歩あるくたびに橋が揺れて、
結構怖くてスリル満点でした。 お勧めです。
地元のお婆さんによる説明
今では十津川村を代表する観光名所になった「谷瀬つり橋」はもともとは生活用のためのつり橋としてかけられたんじゃよ。今から約60年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期のことじゃ。
谷瀬の人々らは川に丸木橋を架けて行き来しておったんじゃが、洪水のたびに流されとった。
そこで谷瀬集落の人々は1戸当たり20~30万円という、大金をだしあい当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させたんじゃのら。
当時の教員の初任給が7800円で米10キロが765円の時代じゃよ。
今のように物が豊かでなかった時代じゃが、
私財を投じた先人はお互いを助け合いとても心は豊かじゃった。
今ではみなに無料で渡ってもろうとるこのつり橋、
先人の「まごごろ」がどれほどであったかみなの衆忘れんでおくれよ。
このつり橋を渡ったカップルはアツアツ仲良しになれるんじゃあよ。
ほうら、いつのまにかお互いの手、強く握りあっとるじゃろう。
うふふのふ。
無料で渡れますが、一時に20人までしか通行できません。
係員の方が、制限人数を見張っていて通行の許可をだします。向かい側もそうです。
床板はこんなのです。厚くない。2~3㎝位だろう。歩くとしなる。
眼下は、これ。
こんな具合で歩く。
向かい岸はもうすぐだ。 先に着いていたワイフが写真を撮ってくれた。
向こう岸の たにせばし の標石である。
そこから、少し歩くと、このように橋の全貌を写せる場所にでる。
そうして、今度は出来るだけ横桟のある部分に足をおいて歩くことにして、
ようやく戻りついたのだ。
橋の散策の後、山の駅 吊り橋の郷 でゆずこんにゃくを食した。
結構いける味であった。お土産で、ゆずの刺身こんにゃくを購入。
この店の店主は、気さくな人柄のよさそうな方であった。
雨が本降りになり始めた。
これで、全ての観光目的地を制覇したので、後は帰るだけ。
五条市を抜けて南阪奈道を通って近畿自動車道にはいり自宅へと帰っていったのである。
夕食は、スシローで食べたのであるが、特に書くほどのことはない。
今回も長かったが、これでようやく 紀伊半島山越え一周旅行シリーズ はおしまい。
いやあ疲れた。
番外編(スピンオフですな)は、時々掲載します。
それでは、ごきげんよう。 さようなら。
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