今や研究業績競争からは、完全脱落した退職元教授であるが、趣味の数学研究は細々とやっている。 新しい結果も幾つか得ている。 しかし、そんなのに大きな価値はないし、結果を纏めて論文を発表する気は失せてしまっている。 この意欲喪失が鬱を招いたのである。 困ったことである。
それで、鬱解消のためブログ書きを始めたのだが、趣味の雑記事だけでなく、これからは数学の記事をもっと書こうと思い至った。
台風11号のせいで、宿舎に2日間閉じこめられたのだが、その際に古本市場で買った
戸塚洋二 著 立花隆 編 がんと闘った科学者の記録 文藝春秋社
を読んで、生きている間に自分ができることは、結果とかを考えずにやるべきだと思ったのである。 相変わらず私は、悟りの悪い人間である。そういう理由で、これから時々数学的な専門記事が混じる予定である。(追記:面倒になり、数学的な記事は以降殆ど書いていない。トホホ)
私は、この本をのめり込むようにして読んだ。 少なからぬ感動を覚えたので、詳しく紹介したい。
知らない人はいないと思えるが、Wikipedia より、著者の紹介。 戸塚 洋二
この本は、雑誌文藝春秋の2008年9月号に掲載された、「あと3ヶ月 死への準備日記」 の単行本化である。 著者は、ニュートリノに質量があるということを、奥飛騨にある「スーパーカミオカンデ」で観測した研究者です。この成果により、ノーベル賞確実と言われていた。 実に優れた宇宙物理学者で、2004年に文化勲章を受章している。
当時この記事を読んだが、著者のブログに書かれた闘病記を中心に纏められたという認識は薄く、大腸がん治療の詳細な経緯やその著者による分析がすごいという意識が強かった。 それと、
このような優れた学者が早くにガンで亡くなるのは、痛ましいことだという月並みな感想しか持てなった。
しかし、今回単行本で読み直してみて、激しく感動した箇所がいくつもあった。 読了後、ブログページを探してみた。 ありました。 これです。 The Fourth Three-months
匿名で作ったページらしく、著者は、
落ちこぼれ研究者の年金生活
by FewMoreMonths |
となっています。 これは、病気のため止むを得ず年金生活に入った研究者といういみです。 科学入門というカテゴリの記事を読めば、一辺に著者が並外れて優秀な研究者だということがわかります。
戸塚洋二の科学入門
ブログの最初のタイトルは、A Few More Months であり、三ケ月生き抜くたびにタイトルは、
The Second Three-Months、 The Third Three-Months とつづき、The Fourth Three-Months を終える前に亡くなった。
カテゴリは、人生、奥飛騨、我が家の庭に咲く花、大腸ガン治療経過、抗ガン剤ショートノート、
科学政策、科学入門、教育、環境・災害、その他 に分けられている。
ここでは、本のページを繰りつつ感動した箇所を紹介していきたい(特に人生のカテゴリ)。
人生(2007年8月5日) 自分の痕跡
・・・・私が働いていた痕跡はなく、自分が過ごした20年は、跡形もなく消え去る運命にあると、改めて実感しました。ちょうど、人間の死に対応していますね。
言い忘れましたが、ひとつ私の痕跡が残っていました。職場を去る2,3年前に、自宅にあるヒメシャラの木の種をまいて苗を育て、10本ほど職場の片隅に植えました。厳しい気候の中、1本だけが生き残り、3メートルほどに成長したのを見て、大いに感激しました。孫を見たような気がしました(右写真)。
しかし、昔の職場を訪問し、一緒に仕事をしてきた若い諸君が大変活躍しているのを見たとき、大切なことに気がつきました。
家族、さらには生物の進化と同じように、仕事も世代交代によって進化を遂げる、ということです。
古い世代は自己の痕跡を残さずに消え去るべきなのです。
しかし、ほんの少しですが、自分のDNAが次の世代に受け継がれているのを感じ、大いに満足しました。
ダグラス・マッカーサーがアメリカ下院で述べた演説の一部を紹介します。私はこれがちょっと好きですね。
In MacArthur’s 1951 farewell address at the Congress,
he mused: "Old soldiers never die, they just fade away." 'And like the old soldier of that ballad, I now close my military career and just fade away--an old soldier who tried to do his duty as God gave him the light to see that duty. Good-bye.'
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
深い思索に基づくとても良い文章ですね。同感します。彼のような潔い人物になりたいものです。しかし、彼もまた家庭よりも仕事を優先する人物でした。
人生(2007年8月8日) ガンジー、家庭か国家か
ガンジーの息子が主人公の映画評を読んでの感想です。彼はホームレスにまで身を落として死んだ。父ガンジーは彼の死の5ヵ月後凶弾に倒れ、長男の後を追った。
マハトマ・ガンディー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)
「ガンジーは息子や家族を愛した。しかし、彼はそれ以上に国家を愛した。」が、批評の結論のようです。
・・・
私は、企業戦士の皆さんと同じように、仕事にほとんどの時間を使い、家庭を顧みませんでした。息子や娘は、父をほとんど見ない家庭に愛想を尽かし、18歳で大学に入学と同時に家を出て行きました。現在、彼らが人様のご厄介にならない生活をしているのが唯一の慰めです。妻と時々話をするようになったのも、病気のために仕事をやめてからです。
インドの国父とうたわれ神のごとく慕われたガンジーでさえ、国家に全身全霊をささげるためには、家庭を犠牲にしなければならなかった。まして、私などに家庭と仕事の両立なぞできるはずがなかった、というのが、このページを読んだ私なりの結論です。
と、書いてあります。彼は、この時点では既に文化勲章を授けられ、東大の特別栄誉教授として、学振の仕事もしていました。実績、功労のある大学者です。年金生活といっても、病気のため致し方なくです。 病気以前は、単身赴任という事もあって、妻と無駄話をする暇もないほど、忙しかったようですね。 でも、周囲も家族も仕事で大変だという事を理解しています。 きっと奥様も、旦那が研究者として実に優れており、そのサポート役に徹しようと思っていたに違いない。 さらには、親父が偉すぎたというだけで、彼の息子や娘も実際は人並み以上に優れた社会人です。 それは、記事 一家全員勢ぞろい を読めば明らかです。 戸塚教授の謙遜ですね。
私は、本当の年金生活者であり、それに、彼ほど優秀でもなく、重要な地位についていた訳でもないが、同様に仕事にほとんどの時間を使っていた。家庭を顧みないとまでは、行かないが、仕事優先は間違いのない事実である。 今となっては、懺悔しても始まらぬが、息子達よ、すまなかった、とは密かに思っている。それで、その結果どうなったかと言われると、返す言葉はなく、偉くも大金持ちになった訳でもなく、ただの爺ブロガーになり下がってしまったのだ。 私にとっての真実とは、こんなもんである。
人生(2007年8月14日)
死について、千の風になって、 岡本喜八がん闘病記、個人的感想
テノール歌手の秋川雅史氏の歌う「千の風になって」の歌詞
わたしのお墓に佇み泣かないでください
わたしはそこにはいませんし、わたしは眠ってはいません
わたしはふきわたる千の風
わたしは雪上のダイヤモンドのきらめき
わたしは豊穣の穀物にそそぐ陽光
わたしはおだやかな秋雨
あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき
わたしは翔け昇る上昇気流となって
弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます
わたしは夜に輝くやさしい星々
わたしのお墓に佇み泣かないでください
わたしはそこにはいません、わたしは死んでいないのです
秋川 雅史(あきかわ まさふみ、1967年10月11日 - )
についての、説明があって、
大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。
この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。
あきらかに、お葬式は生者のためのものである。お墓に骨が入っていても、その人の思いは生者の記憶の中にしかなく、往々にしてその記憶も事実と異なる。その思いも、生者と共に変化し、やがては消え去ってしまう。 死なない精霊として、その死んだ人が昇華するという考え、この歌はそのような生きている人のスピリットから書かれている。 私は嫌いではない。 このような考えは、毛頭正しいとは思えないが、そうあってほしいという意味で生者の心を慰めるからだ。
著者が書いているように、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず というのは厳密に正しい。そこには、死者はいない。
引き続き、NHKで放映された「岡本喜八がん闘病記」も見て、つぎのように呟く。
岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)
・・・奥様が、喜八監督がタバコをうまそうに吸ったあと奥様の腕の中で眠るように亡くなった、と語っていました。このシーンも生者から見たものですね。喜八監督は、妻の腕での中で最後に何を見、何を考えたのか、ぜひ知りたい、なぜそのような記録を死者は残せないのだろうか、と痛切に思いました。
実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。
あるいは私一人だけかな。
私は、今死病をかかえている訳ではない。しかし、著者の気持ちは分かるような気がする。死に行く者が、なにを感じ考えるのかを、その本人から聞きたい知りたいということだ。それは、生者から見た死にゆく者の思いとは当然異なるわけで、死にゆく当事者として、先例がどのように感じたかを痛切に知りたいという、むしろ科学者としての知識欲のようなものではないか。 そして、そんな知識は不要だと思う。 死にゆくものが、残されたものを慮って、「感謝している。ありがとう。」という言葉を遺したとして、それが本心からでなくったって構わないのでないか。
逆に、その人の本当の思いが「私の人生は、苦しみの連続であった。皆あなたのせいだ。」などであったら、当たっていたとしても、遺された者は堪ったものではない。事実はどうあれ、死に行く者の記録は、生者にとって都合のよい記録で充分でないだろうか。生者を慰めることこそ、死にゆくものの務めであると、私は思う。
マザー・テレサ(Mother Teresa、、1910年8月26日 -1997年9月5日)
マザー・テレサの記事を読んで、衝撃を受けたことが書かれてある。この記事は、全部引用したい位であるが、短か目に紹介する。
私は骨の髄まで無神論者ですので、私の紹介が正確かどうかは自信がありません。あくまでも私個人が衝撃を受けた印象として受け取っていただきたいと思います。
・・・
記事の一部を引用します。
「マザー・テレサは、過去100年で最も偉大な聖者といわれ、彼女の驚嘆すべき行為は神へ近づこうとする信仰に支えられ、いつも心静かに祈っている人物である。しかし、神が消え去ってしまった砂漠のような光景の中に埋もれて生きてきた孤独な人物、という一面が浮かび上がってきた。」
マザー・テレサの書いた文章です。
「マザー・テレサは、過去100年で最も偉大な聖者といわれ、彼女の驚嘆すべき行為は神へ近づこうとする信仰に支えられ、いつも心静かに祈っている人物である。しかし、神が消え去ってしまった砂漠のような光景の中に埋もれて生きてきた孤独な人物、という一面が浮かび上がってきた。」
マザー・テレサの書いた文章です。
「What do I labour for? If there be no God — there can be no soul — if there is no Soul then Jesus — You also are not true.」
私は何のために働いているのでしょう。もし神が実在しないのなら、霊魂もない。もし霊魂がないのなら、キリストよ、あなた様も本当はいなかったのでは。
マザー・テレサはミッションを始めた直後から死ぬまで、「神がそばにいない」という懐疑の念を持ち続けていた、と書かれています。
それでは、彼女の40年以上にわたる困難なミッションを支えてきた精神的支柱は何だったのか。ざんねんながら記事だけでは分かりません。
私は何のために働いているのでしょう。もし神が実在しないのなら、霊魂もない。もし霊魂がないのなら、キリストよ、あなた様も本当はいなかったのでは。
マザー・テレサはミッションを始めた直後から死ぬまで、「神がそばにいない」という懐疑の念を持ち続けていた、と書かれています。
それでは、彼女の40年以上にわたる困難なミッションを支えてきた精神的支柱は何だったのか。ざんねんながら記事だけでは分かりません。
彼女の信仰の原点は、キリストが十字架の上で叫んだ言葉、「My God, My God, why have you forsaken me?」(おお神よ、なぜあなたは私を見捨て給うのか)にある、という記事を見ると、スケールの違いはあれ、マザー・テレサも同じ困難に直面し続けた、と言えなくもありません。
その中にあっても、40年以上にわたってミッションを継続してきた彼女の強固な精神に深い敬意を払わざるを得ません。
聖者とまでたたえられた人物の精神にこのような葛藤があったとは、無神論者の私にとっても大変意外でした。
Heaven(天国)は本当にないのか。誰もが死に行くとき、それが真実かどうかを実体験します。私も最後の科学的作業としてそれを観察できるでしょう。残念なのは観察結果をあなたに伝えることが不可能なことです。
と、このように書いている。最期の文章はJokeだろうが、神は存在しないついでに天国も、という事を気軽に言える私のような無神論者が、実は救い難いのかもしれぬ。神の信仰に、ひいては神の存在自体に疑問を持ち、その苦悩が死によってようやく解放されたというマザー・テレサの痛ましい記事を読んで、衝撃を感じるという著者の精神こそが、人間に寄り添う精神(キリスト教に通じる)なのだろう。優れた思想であり、精神の発現であれは、神の存在なんてなくても構わぬのでないか、と八百万の神の住んでいる国の住民は思ってしまうのだ。
人生(2007年8月27日) 生活設計、パソコンの不具合、酷暑最後の日
本当に尊敬すべき偉い学者だなあと思うのは、つぎの文章に接したときです。自然体の文章です。
・・・
私は別にがん克服を人生目標にしているのではありません。がんを単なる病気の一種と捉え、その治療を行っているに過ぎません。
研究活動が不可能になった今、お国のためになることで私にできることがあれば最後まで貢献したいと思っています。
当面は、今週2日間ある会議にぜひ出席して有意義な貢献ができればいいなと思っています。
世の中は得てして、こういう偉人が早死に(でもないが)して、世間に害悪をたらす人物が長生きをするのである。あとパソコンの不具合で、交換のためUtility soft のインスツールが時間がかかってかなわんと書いてある。私の場合は、不具合が起こったら終わりである。別のパソコンを買わねばならぬ。 だからそんなことのない様に、ひたすら祈るのみである。
人生(2007年10月6日)
読む本が多すぎる:ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、グリーンスパン、・・・
この2,3日だいぶ難しいブログを書きましたので、閑話休題。
近頃、急に有名な本や偉人の書いた古典を読みたくなりました。
で始まります。歴史書や生物学、物理の本の紹介があって、病気の最中にも色んな本を楽しんで読んでいるのがわかる。高級な本を幾つか挙げたのち、この文章が続きます。
急いで付け加えますが、この手の本のほかにチャンバラ本と歴史書を寝るときなどに乱読しています。この話題は後日に。
生きられる時間が限られているのに無謀だ、と思わないで下さい。
本などに没頭していると、限られた有限の時間が無限のように感じるのです。
このような時間を感じることのできる著者は、素晴らしい! 実際、読書や何かのアイデアに夢中になっていると、時間が無限のように感じる時がある。 最近は殆どないが・・・。
また、花園大教授(当時)の佐々木閑の朝日新聞の連載記事に関する感想文も面白いのですが、割愛します。 ブログのカテゴリー(人生)にありますので、ぜひ読んでください。
人生(2008年2月9日) ブログを始めて6か月経ちました
ブログとは、Web LogがなまってBlogになったそうです。Logは科学者にとってなじみのある言葉です。実験記録や計算記録は、年月日をつけて必ずノートに記録します。それらのノートをログブック(Logbook)と呼びます。
そうなのか。ブログの語源までは、調べていなかった。 私にも膨大なログブックがある。
今や何の価値もないゴミでしかない代物だが、捨てられないでいる。
・・・
2年前に仕事をやめ現場を離れてから、今でも未練がましい思い出にふけることがあります。人様に迷惑をかけないため、病気治療のため、年もとったし、ということでさっさと辞職しました。もし本格的抗がん剤治療を受けつつも、そのまま仕事を続けていたらどうなっていただろうか。たぶん過労に伴う強度な副作用で、今はもう生きていないでしょう。現場に居続けて早くに戦死すべきだったのか、引退して2,3年生きながらえるチョイスを決断したことが本当によかったのか。
この意味のない葛藤はずっと続くのでしょう。
これは、本音だと思います。でも、生きながらえたお蔭で、ブログを書くことができ、学生のための「科学入門」や、医療関係の方々にもインスピレーションを与え、環境や災害に対しての有益な提言をし、あまつさえ私のような退職者にも感動を与えたのである。ですから、結果論であるが、退職して治療に専念したのがベストなのである。仕事を続けていれば、名誉の戦死で、本人以外は誰も喜ばない。それでもブログを書き始めてから1年間持たなかったのだ。
私は定年退職者であるが、似たような葛藤はある。外国への再就職だが、現在の体調や能力を考えると、とてもその任に耐えられない。それは分かり切ったことだが、未練が断ちきれなかったのだ。 ただ、この文章を読んで、私は無芸退職者であってかまわない、と少し思えるようになった。
人生(2008年2月10日) 期限を切られた人生の中で何を糧に生きればよいのか
われわれは日常の生活を送る際、自分の人生に限りがある、などということを考えることはめったにありません。稀にですが、布団の中に入って眠りに着く前、突如、
・自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない、
ということに気づき、慄然とすることがあります。
その通りで、反論できない。 自我のある自分にとっては残念だが、それで良いのだと思う。
諸行無常でそれが世の習いなのだ。
・・・残りの短い人生をいかに充実して生きるか考えよ、とアドバイスを受けることがあります。このような難しいことは考えても意味のないことだ、という諦めの境地に達しました。私のような凡人は、人生が終わるという恐ろしさを考えないように、気を紛らわして時間を送っていくことしかできません。
さらに一層凡人である私は、それしか他に手はないように思える。人生は結局暇つぶしであると割り切れない、中途半端に賢い人(私含む)が悩んでしまう。
死までの時間を過ごさなければなりません。どんな方法があるのでしょうか。
・現役なら、仕事が気を紛らわす手段になる。
・引退したら、何でもいいから、気を紛らわすことを見つけて時間をつぶすことだ。
・死が近づいたとき、むしろ苦痛にさいなまれて(短期間で勘弁してほしい)、もう早く死が来てほしいという状態になったほうが、むしろ楽だ。見取るほうは大変だろうが。
・自殺は考えない。簡単に負けるのもいやだ。
こんなことを書いていますが、結果的に言えば、著者は実に充実した人生を送ったと推測されます。願望通り「恥ずかしい死に方をしたくない」どころか、立派な死に方をされたと思います。見事な人生ではないでしょうか。
死の恐れを克服する、いってみれば諦めの境地はないのだろうか。そのような境地を無論見つけてはいませんが、上の理由を超克する諦めの考えが一つ二つ思い浮かぶことはあります。
として、3つの考えをあげている。原文を少し省略する。
・親からもらった遺伝子の一部を次の世代に引き継ぐことが出来た。
・早い死といっても、健常者と比べて10年から20年の違いではないか。みなと一緒だ、恐れるほどのことはない。
・宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、消滅・死を迎える。いずれは万物も死に絶えるのだから、恐れることはない。
2番目と3番目は、科学者らしい発想だ。最初の考えは、慰めにはなるが、死の恐れを克服するには、程遠い。 私には、3つとも全部諦めるための処方になり得ない。 著者は宗教にもその救いを信じてはいない。これも私と同じで、結局そのような境地には達しえないということである。それは、仕方ないことである。
結局、私には、
気を紛らわすことを見つけて時間をつぶすこと
しかできないのだ。そのためには、夢中になって頭を使うことが、私には必要なのだ。
人生(2008年2月11日~19日)
佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その1~5
佐々木閑の著書「犀の角たち」をめぐる著者の考察が述べられています。物理学者らしい面白い考察を含んでいます。大乗仏教の理論に無数の平行宇宙を考える概念がある(そうだ)。
それが、宇宙のインフレーションモデルから生じる多宇宙論 と似たアイデアだと著者は驚嘆している。パラレルワールドとか泡宇宙というのは、聞いたことがあるが、この相似は始めて聞きました。
この部分を引用します。
多宇宙論では、たとえ一般相対性理論や素粒子理論の基本法則が同じであっても(多宇宙論自体が一般相対性理論と素粒子理論を使って導出された)、その中にある基本的パラメータは自由な値をとることが出来ます。そのため、ほとんどの宇宙はビッグバン後直ちにつぶれてしまうでしょう。我々の宇宙の特殊性は何なのか、というのが議論されてきました。「人間原理、Anthropic Principle」に逃げ込むというのが現在の考えです。つまり、我々が生存できるちょうど適当なパラメータを持った宇宙が我々の宇宙である、ということです。
私を含めて多くの科学者はこのアイディアを好みません。人間原理は、科学をもうやる必要はないという、敗北主義につながるおそれがあるからです。
私も人間原理 は、好きでないし、なにより胡散くさい。しかし、この原理は、現在大きな妥当性を持っている。 インフレーション期には、量子ゆらぎのため、宇宙のある領域ではインフレーションがさらに続き、また終わったとしてもやはり量子ゆらぎにより、領域内の小領域でインフレーションが起こる。そして、この事がどこまでも続くカオス的インフレーションが泡宇宙のモデルである。
つまり、インフレーションの終わった領域が切り離された多数の宇宙になる。そこでは、量子論の立場からいうと、様々な物理定数が宇宙ごとに変わっていて差し支えない、どころか変わっていて当たり前になる。このことが、人間原理と親和性をもつ。
インフレーションの終わった宇宙が沢山あるならば、我々の住む宇宙も無数にある宇宙の1つにすぎない。そして、その宇宙は、無数の銀河団や、その中の銀河、星、惑星そして地球やその中の生命体である人間を宿すことができたので、選ばれた宇宙だろうという事だ。
実際に物理定数を少しいじると、宇宙は存在できないと計算で確かめられるのだ。
それで、例えば陽子が電子より2000倍も質量が大きい理由は、分かっていないが、この疑問に対して人間原理では、たまたまそうなっている宇宙に我々がすんでいるのです、が答になる。 これは、敗北主義だと著者は言ってるのだ。
抗がん剤治療の記事は、1から21まであります。 ガンの進行の経過や治療法、それらに対する著者の考えが述べられている。全く冷静な記事である。 そのうちの1記事をあげる。
大腸ガン治療経過(2008年4月5日)
抗がん剤治療その16: 初めての脳の病気、奇妙な恐るべき経験
この年になるまで、幸い脳に重要な障害を起こすことはありませんでした。
3月23日に生れてはじめて意識を失いました(手術の麻酔時を除いて)。もちろん何が起こっていたのか全く記憶にありません。
・・・
MRI診断で、頭脳に2個の腫瘍と周りのむくみ発見。
そして、意識の全くない行動を起こす。
ガンマ線治療の先生によれば、いずれにせよ、せん妄と意識障害は必ず来る。今のうちに家族や友人たちと充実した対話を楽しむようにと、アドバイスされました。
アルバイトも、何とか人様に迷惑をかけない範囲で、できるまで頑張りたい!
ステロイド点滴のため、食欲が増して、夜眠くない。そこでブログを今投稿しています。
何て立派な人だろうと思う。そして翌日の記事の一部。 頭がうまく働かなくなってきている。
昨晩、試しにということで、葉っぱの入門書:鷲谷いづみ著「葉っぱの不思議な力」(山と渓谷社)を手に持って読み始めました。うれしい!!本の記述やきれいな写真が、まるで水が乾いた砂にしみ込むように頭に入って行くじゃありませんか。新ためて、植物の多様性に感動しました。
よかったですね、と思わず言いたくなるような良い文章です。
そして、このような葉っぱのお化けが目にちらつくようになる。
それでも彼は、科学者はオプティミストであるべしという信念をすてない。
人生(2008年4月8日) 久しぶりに東京へ、植物もいいが「ヒト」もすばらしい
(アカシデ若葉の成長力を見よ。4月15日撮影。)
・・・
もともと人付き合いが苦手なので科学を職業にしました。管理職なぞやらされると否応なく対人相手が最も重要な仕事となり気苦労の多い日が続きました。
致死の病にかかると考えも変わりますね。ヒトを相手することは、素粒子という無機体やものを言わない植物を相手するのと同じくらい楽しく興味深くなりました。・・・・
今日は、2つ会議に出ます。久しぶりに皆さんと会えることが楽しみです。
彼の研究者らしさが表れている。彼は、ビッグサイエンスの人なので、偉くなると当然装置やお金の事を考えねばならず、そのためには人との適切な応対が必要になる。 私には、最後まで出来なかったことだが、著者は気苦労が多いといいながら、その責務を成し遂げたわけです。それだけでなく、病気になってヒトを相手することは、楽しく興味深くなりました と書いている。 もともと優れた人格の持ち主であるが、病により一層その人格が磨かれたということだろう。とても、真似はできない。
それだけでは、ない。つづいて、朝日新聞の評論家柄谷行人と生物学者の福岡伸一との対談記事を読んでつぎのような感想を残している。
柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - ) 柄の悪い尼崎市出身ですが、裕福な出です。
福岡 伸一(ふくおか しんいち、1959年9月29日 - )
・・・
このトークは、当たり前のことが多く自明ですが、ペシミスティックなところが気になります。科学は常にオプティミスティックでなければなりません。私見ですが、ペシミスティックな態度は、理解できていない科学を対話や報告で無理して使おうとするときに起きるようです。自信のなさの表れですね。
これは、鋭い指摘です。ペシミスティックな態度というのは、往々にしてその事柄を良く分かっていない、中途半端な理解しかないときに、私も自然にとってしまう。福岡伸一も優れた研究者であり、文筆家であるが、先端の科学は、専門分野に近い所でも、充分には分かっていないという不全感があるのだろうか。 そして、著者の偉いところは、この個所だけでなく、科学者としては常にオプティミスティックな態度をとるべきだと、諭している点である。これはその通りである。ペシミスティックな態度からは、何も生まれない。 生き続けたいという意志を、オプティミスティックな考えから鼓舞していたのかもしれぬ。
ヒトの頭脳は、進化し続ける科学を理解できなくなりつつある、いや、ほとんどの人たちはすでにそうなっているかもしれない、というニュアンスが臭ってきます。このことは後日もう少し考えて書いてみたいと思います。
このつづきの記事を読みたかったのだが、もう無理になってしまった。私は、底の浅い悲観主義者である。ヒトの頭脳は、進化し続ける科学を理解できなくなりつつある と聞くと、さもありなんと思ってしまう。しかし、それはやはり1種の敗北主義なのだろう。人間として尊いのは、被害を最小限におさえるように行動することでなく、出来得る限り果敢に挑戦の姿勢を崩さないことだろう。そして、それには日常をその姿勢で懸命に過ごすことなのだ。
著者は、ブログの様々な記事で最後まで次の若い世代を考えて提言している。 著者の人間に対する信頼がその言動を支えている。 なかなか出来ないことである。
そして、最後のステージにはいる。
人生(2008年5月3日) The Fourth Three-Monthsに突入! 第4期は厳しいぞ!!
(ヒメウツギ。4月30日撮影。)
日常を過ごしていく態度は平静です。
・・・
よく人はしたり顔に、「残り少ない人生、日一日を充実して過ごすように」と、すぐできるようなことを言います。私のような平凡な人間にこのアドバイスを実行することは不可能です。「恐れ」の考えを避けるため、できる限りスムーズに時間が過ぎるよう普通の生活を送る努力をするくらいでしょうか。
「努力」とつい書いてしまいました。ここにある私の「努力」は、見る、読む、聞く、書くに今までよりももう少し注意を注ぐ、見るときはちょっと凝視する、読むときは少し遅く読む、聞くときはもう少し注意を向ける、書くときはよい文章になるように、と言う意味です。これで案外時間がつぶれ、「恐れ」を排除することができます。この習慣ができると、時間を過ごすことにかなり充実感を覚えることができます。
ブログを書くということが、「恐れ」を排除する有効な手段になると言っている。ブログを書くことは、病気のことを考えるとプレッシャーではあるが、「恐れ」を忘れて時間を過ごすことになる。
著者は書いていないが、闘病記を書くことにより、そして同病の人に読んで貰って、彼らに少しは役に立つ情報かもしれぬと思い、充実感を覚えることができたのだろう。 このブログを読んで、私は感動しているし、病気でない人にも静かな感動と勇気を与えるものだと思う。
人生(2008年5月19日) ステージ4大腸癌患者さんへの通信―2、正岡子規のコトバ
(我が家のクレマチス。5月9日撮影。)
サイト「よこはま若者サポートステーションへようこそ」からの孫引きの文章である。
さてさて、今日は正岡子規の言葉を紹介しようと思い、ブログを書きました。
正岡子規、ご存知ですか?
明治時代の文学者ですが、病気がちなこともあり、書いている文章も多くが病との闘いを通したものが多いのですが、心に残った文章がありましたのでご紹介させていただきます。
とても有名な言葉のようですが、私は知りませんでした。彼の『病牀六尺』 からの一節です。
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悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。
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更なるコメントは必要ないと思います。
著者の思いと完全に重なっている文章なのだろう。 ここにも勇者がいたのである。
そして、最後の記事。
(2008年7月15日) ある大腸ガンの報告 -- 終--
few more monthsの家族のものです。
皆さんすでにご存じのとおり、父は7/10に亡くなりました。
最後まで見守った家族としては、その壮絶な経過を記したいところですが、
本人はきっと嫌がるでしょう。
ただ、がんと正面から向き合い最後まで戦い抜いたということは言って良いと思います。
07年8月から始まったこのブログは、結局forth-three monthsで閉じることとなりました。
これまで皆さんに読んでいただき(時として更新することがプレッシャーともなっていたようですが・・・)、少しでも皆さんのお役に立てたのであれば、本人も喜んでいるものと思います。
これまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
本人に代わりここで御礼申し上げます。
思わず泣きそうになってしまった。 偉大な勇者の死である。 心から悼みたい。
合掌
そして、著者の好きだった花の画像でこの記事を終わりたい。
「アストランティアマヨール」
「キンセンカ」
「オキザリス」
「ブルーサルビア」
「アブチロン」
「プリムラ・ポリアンサ」
「リナリア」
「スイート・アリッサム」
「サクラソウ」
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「バラ」
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