爺のしまなみ海道サイクリング完走記である。
念願であった、
しまなみ海道サイクリングを実行することができた。 9月17日と18日の2日がかりであったが、忘備録を兼ねてその報告をしたい。
もう15年も前になるであろうか、家族で
松山・尾道に旅行したとき、息子達はしまなみ海道を自転車で今治から尾道のルートを走破した。 私とワイフは、バスで今治から尾道まで行くという楽ちんコースをとり、尾道で待ち合わせたのだ。息子達から、しんどかったがとても良いコースだと聞いていたので、私も1度は走ってみたいと思っていた。
今治 → 大島 → 伯方島 → 大三島 → 生口島 → 因島 → 向島 → 尾道
という島めぐりのコースである。
今回自動車旅行で、四国の
別子銅山や
とべ動物園を観光することになったので、この機会に念願を叶えることにした。 私の年齢、体力からすれば、最後の機会やもしれぬ。
西瀬戸自動車道は、このようになっていて、
今治ICと
西瀬戸尾道ICを結んでいる。
自転車走行コースは、細い灰色の実線で描かれている。 道に迷ったらどうしようかと思っていたが(実際間違ったコースをごく一部選んでしまった)、注意深く走行すれば問題はない。 原則自転車走行コースは、道路上で水色のラインが引かれている。途切れるときもあるが、その周辺を落ち着いて探せば、見つからないことはない。という訳で、どんくさい私のような高齢者を除けば、道を間違えることはまづないので、若い方々は是非挑戦してほしい。
上の地図ではわかりづらいが、6つの橋(来島海峡3大橋を1つと数えて)を渡るとき以外は大体島々の海岸線を走ることになる。 全長約70㎞である。
松山のホテルで朝食を済ませてから、車でサイクリングターミナル「
サンライズ糸山」へ連れていってもらった。 ナビが、
西瀬戸自動車道上の地点を指示したため、橋の下にある、
サンライズ糸山に到着したのは、予定時間より2時間遅れの午前10時であった。
中にはいると、すぐ横手がレンタサイクルの受付場所である。
ここで、レンタサイクルの使用許可書というのを書き、料金を支払う。 このような許可書かつ領収書である。 使用料500円、保証料1000円だが、乗り捨て加算料1000円というのがあって、1日で
今治→尾道 を走破すれは、尾道返却で1500円になる。 一日走って楽しめると考えれば、驚異的に安い値段設定だ。 私の場合は、翌日10時30分返却だったので、追加使用料500円のプラスであった。 連絡先として、ケータイもしくは、iPhone (または iPad) は絶対必要です。
受付でこのような、サイクリングマップのパンフを頂いた。 これに、地図や詳しい行程などが掛かれている。
私の走破したのは、下の地図にある
赤線の行程である。
島を渡るには、大橋を渡らなければならないのだが、そのため
自転車歩行者道が設けられている。有難いことに、期間限定ではあるがこの日は
無料(この時点では知らなかった)であった。 曇りがちではあるが、暑くはなく絶好のサイクリング日和である。 これらの幸運は、私の日頃の行いが良いせいであろう。
平成26年7月19日(土)~平成27年3月31日(火)の期間限定で無料
それで、ママチャリ(他の自転車は荷物台がなく無理)を借り出し、ヘルメットを被りこのような出で立ちと相成ったのである。リュックはカゴに入れ、財布、カメラ、眼鏡等の貴重品はポシェットに放り込み、タオルを首にまいて出発したのである。爺さんライダーの雄姿である。
後で解ったことだが、海上からの風は結構強いので、帽子とかタオルは身に着けない方がよい。
これから、自転車旅行記を始める。
受付で頂いたパンプの裏面がサイクリングマップになっている。 赤線のコースを走破した。
大橋の登り降りはとても大変だった。その高低表。
今治 → 大島
コースを大きな地図で見る。 左端の
緑のラインである。
自転車は3段変速になっていて、最も緩いギヤで、サイクリングターミナル真上にある
来島海峡大橋 にむかう。 これが、来島海峡大橋自転車歩行者道 である。
下図のようにループしながら登る。 この最初の時点では、途中休むことなくスイスイと大橋の出入り口に着いてしまったのである。自転車歩行道入口から標高差約20mである。
ここが、
自転車歩行者道 の入り口である。
自歩道を登りきると、橋の入り口である。 さあ、これからが本番。
来島海峡第三大橋(1,570m) の遠景である。 来島海峡大橋は、3つの大橋から構成されており、世界初の三連吊り橋として知られているそうだ。 3橋つなげると、4105mになる。 明石大橋(3911m)以上の長さだ。 かなりの迫力ある長大橋である。
平日ということもあり、自転車ライダーは比較的少なかった。しかし、このようなカッコイイライダーの方は、スイスイと私を追い抜いて行った。
(当日の写真でない)
橋の上をシャカシャカ走っていると、心地よい海風が頬をくすぐる。 橋からの眺めです。
島の灯台が見える。 釣り船や漁船、タンカーなどが、結構頻繁に行き来している。
ここが、橋桁のかかる
馬島の真上になる。
ここには、エレーベータが設置されており、
馬島に下りることができる。利用する釣り客も多いそうだ。 私は、一休みだけで勿論降りない。
ここには、このような料金投入箱があったが、無料のためいちいち財布の中を探さずにすむ。
実を言うと、無料なのをこの時点では知らず(橋の入り口では料金箱に気付かず)、50円硬貨を探すのに手間取り、さらには50円玉を箱の中に入れてしまったのだ。そのあとで、掲示板(紙だが)をみて無料と知ったのだ。50円損をしたが、その後料金箱は全て無視できたので幸運だったといえる。
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旅行前に参照したサイト しまなみ海道観光マップ には、
78m下の海面には、日本三大急潮の来島海峡がつくり出す渦潮が見えます
とあったが、何も見えずである。 潮満がよければ、このような渦が見えるそうである。
(上サイトより)
鳴門観潮よりは、小ぶりのようだ。
快調に走る。 来島海峡第二大橋(1515m)の標識だが、私は気がつかずに通り過ぎてしまった。
ひとつの橋の続きという感じです。 チャリをこぎながら、橋からの素晴らしい景色を満喫したのであった。
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そして、来島海峡第一大橋(960m)。 この橋を渡れば大島である。
橋からの大島の眺望。
第一大橋を渡り切った後につづく、自転車歩行者道(自歩道)です。 この道を降るのが、実に気持ちが良い。クルクル回転しながら、坂道を下るのだが、途中の景色が素晴らしい。
自歩道から、
第一大橋を見上げた写真。
下りの道すがらに小さな公園があった。 そこあった自転車道の掲示板。
公園からの、瀬戸内海の景色。 遠くに島々が霞んで見える。 風が気持ち良い。
公園には、小坊主の像が2体あり、楽しそうなので思わず写真を撮ってしまった。
そして、
大島に着。 迎えたのは、
下田水港である。
ここから、自歩道を眺めたのがこの写真。 505mとあるから、かなりの長さである。
下田水港から望む
来島海峡大橋である。 絵になる景色だ。
栗島海峡大橋を降りて500mほど走ると、
道の駅・よしうみいきいき館にでる。
ここら一帯は、
下田水港の港湾になっている。 その構内にこのような石碑が立っている。
大島は、
お大師さんのおる島 というキャッチフレーズで知られている。 先程の小坊主もお大師さんに因むものですね。
ここだけでなく、大島の
村上水軍博物館付近にも、このような石碑がある。
お
大師さんの
島で、
大島と掛けている訳ですな。
弘法大師の石像と
坂村真民(さかむら しんみん)の詩碑です。
念ずれば花ひらく
(自筆)
坂村真民(さかむら しんみん 1909年1月6日 - 2006年12月11日)
日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。
Wikipedia より引用。
念ずれば花ひらく
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
こころを癒すような、また勇気づけるような詩ですね。
これが、道の駅・よしうみいきいき館である。 サイクリングターミナルも併設されている。
館内に入る。
いけすには、赤ブダイ、フグ、タイなどが泳いでいる。
ここでは、新鮮な魚貝類を炭火七輪でバーベキューできる。その食材です。
フグ、タコ、ブリやカレイの切り身、ホタテ、イカ、イイダコ、ハマグリ、・・・
こちらは活けの魚貝で、ヒオウギ貝、サザエ、アワビ等々。
見てるだけで楽しい。
このように調理して、巨大魚の石像の前に並べられているベンチで食するわけだ。
実に美味そうだが、まだまだ昼には早すぎる。
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付近には、
亀老山展望公園がある。
しまなみ海道随一のすばらしい眺望だそうだが、自転車では超難関とあるのでパス。 サイト
しまなみ海道観光マップ よりの写真です。
このような眺望
しばらく休みを取ったのち、道の駅・よしうみいきいき館 を出発。
大島 → 伯方島
道の駅から伯方・大島大橋へは、10.7㎞である。
所々に、このような民家のみえる国道317号線を走る。 向かい側の外国人ライダーとすれ違うことが結構ある。感じだが、1~2割のサイクリストは外国人のような気がする。
しまなみ海道もインターナショナルになったものである。
宮窪町に入ると、石屋が何軒も見受けられる。
面白い石像が沢山道路沿いに陳列されていたので、それらを撮ってみた。
ゆるキャラやポストマンの石像もあるのだ。ここらでは、
大島石と呼ばれる良質の石が産出する故である。
国道からほんの少し外れたところに宮窪石文化運動公園がある。
このような石像が並んでいる。魚の石像というのは、大島らしいね。
石の町だけあって、お墓の石も立派です。
道路沿いに、青山石工房の
石・今昔ギャラリー というのがあった。
そこでの作品の一部です。
宮窪町は、
能島水軍発祥の地でもある。
動乱の戦国時代、瀬戸内海を制圧した村上水軍のふるさとが宮窪瀬戸である。
時間の関係で行けなかったが、村上水軍博物館前を出発し、
能島城跡→船折瀬戸→見近島→伯方・大島大橋 をめぐるクルージングがある。
船折瀬戸の潮流とクルージングの船内やそこからの景色です。
村上水軍博物館 は、是非行って見たかっただけに返す返すも残念である。
画像だけ貼り付けておく。
ここで、道路を右にそれると村上水軍博物館 に至るのであるが、左の伯方・大島大橋方面へ向かう。
この海峡は、水流が早い。古来この海域は、瀬戸内海を往来する船にとって最大の難所であったそうな。 クルージングの宣伝文には、
なかでも、能島の周囲は最大10ノット(時速約18km)にもなる潮流が渦巻き、時には船を呑み込んでしまうほどです。
とある。
このような、遊覧船のような船が2艘、潮流に抗うように浮かんでいた。
目の前に見えるのが、伯方・大島大橋である。 全長1165m
自転車道は、緑線のコースをとる。
橋の下からの眺めである。シルエットが実に優雅で美しい。
ここから、伯方・大島大橋自歩道に入る。 長さ822mで、登りは実にきつい。 ダンシング走法をやろうが何をしようが、爺ライダーにとっては途中で休まないととても登れない。
ようやく、伯方・大島大橋自歩道の入口に到達。 青息吐息。
登ってしまえば、後はひたすらペダルを踏むのみである。 景色は余り目に入らなくなってきている。 これは、橋から見た島の風景。
もうすぐ、伯方島への出口だ。 ここからは、下り。
登りは地獄だが、下りは天国である。 加速が加わり、ハイスピードで坂をくだるのは、快感である。 もっとも、途中で怖くなったので、ブレーキをかけつつ下ったが、それにしても風を全身に浴び実に気持ちが良い。565mの距離を、ものの数分で降りてしまう。
伯方ビーチの遠景である。手前には、道の駅・伯方S・Cパークが見え、その奥には造船所が見えている。
伯方ビーチからの風景。 南国風に椰子の木が植えられており、のんびり心安らぐ景色である。
ここが、 マリンオアシスはかた である。伯方といえば塩である。子供のころから、伯方の塩はおいしいということで珍しく知っていたのだ。
すでに12時40分になっていたので、ここで一休み兼昼飯を取ることにした。
中に入ると、壁にこの様な 伯方・大島大橋 のタイル絵があった。なかなか良い。
お腹よりも水分欠乏気味だったので、500ml入りのお茶2本と、缶ミルクコーヒーと、
伯方の塩を使った名産品である伯方塩ソフトクリームを購入したのである。
これが、名物 伯方塩ソフトクリームである。 少し塩味がきついだけで、甘いソフトでした。 私のお昼ご飯になりました。
伯方島 → 大三島
20分ほどの休憩を取って、13時にマリンオアシスはかたを出発。
国道317号線沿いにある、造船所のクレーンです。
25分ほど街中を走ると大三島橋の入り口に着く。
ここが、大三島橋自歩道の入り口でここから頭上の橋入り口まで190mの距離だが、登りはやはりきつい。
ようやく大三島橋の入り口に到達。 道路の路幅は広い。しかし、ガードレールに潮錆びが浮いていて古びている感じだ。アーチ橋だし、今までの橋に比べて旧式という感じが否めない。 調べてみると、1979年本州四国連絡橋の橋の中で最初に開通した橋梁という事で、古い訳である。
その大三島橋 からの眺め。周辺の景色は素晴らしい。 橋からの下りの自転車道も気持ち良く走れる。 風が心地よい。
鼻栗瀬戸展望台からの大三島橋の眺望は、名所として讃えられているそうだ。
大三島 → 生口島
大三島橋を降り、海岸線を多々羅大橋まで4.9㎞、ひた走る。 予定よりかなり遅れている。
すでに 3時間半は走っており、足が疲れやすくなってきている。それで、ここ瀬戸崎駐在所前で、20分ほどの休憩を取る。
多々羅大橋目指して再びピッチをあげ、チャリコを漕ぐのであった。
ようやく、多々羅大橋自歩道入り口に到着。
この一帯は、多々羅しまなみ公園 になっている。風光明媚な観光スポットになっている。
ここが、レストラン多々羅夢岬である。
公園からの多々羅大橋の眺望です。 橋と山という構図で、これまた絵になる景色だ。
公園内の写真。 海岸線としあわせの鐘。
ここで、村上三島記念館 を覗いてみたかったのだが、時間の関係で無理。 それで、Wikipedia で概略を調べてみた。
村上三島記念館(むらかみさんとうきねんかん)
書家村上三島の故郷である愛媛県今治市上浦町に立地している書道美術館である。
98年文化勲章を受章した書家村上三島の記念館で氏の膨大な作品が展示されている。
展示室は、このようになっている。 見事な楷書ですね。
ところで、多々羅大橋自歩道の長さは1473mもある。 入り口をなかなか見つけられなかったが、ようやく発見。 公園の山側奥にあった。
自転車で登り始めるが、途中まづ右足の腿の筋肉がつってしまい、動けない。ついで、自転車から降りるときに。左足の腿までつってしまう。
この坂道の途中である。 仕方がないので、筋肉をもみほぐし、足を動かせるようになってから、歩いて自歩道を登ることにした。 橋まで30分近くかかってしまった。 大幅な時間ロスだが、歩けるだけまだましだし、ゆっくりならばチャリコも漕げるのである。
やっぱりねと、自分の年齢を考えたのである。65歳の爺さんに無理は禁物。
ここで、足がつった。 歩いて橋の下までなんとか到達する。まだまだ先は長い。
歩いているお蔭で、色んな写真を撮る事ができた。 海上自衛隊ヘリの写真や
民家風の展望所である。
曲がりくねった 自歩道の写真も写せたのだ。
ようやく全長1480mの多々羅大橋の入り口につく。 これ以降は、チンタラ走法に切り替える。足が疲れたら、また500m位走ったら一休みの繰り返し。
なんとか多々羅大橋 を渡りきり、下りは天国状態を再々度経験し、生口島に入る。
生口島 → 因島
生口島にはいると、海岸線にそって道路を走る。 平地なので、休み休みであるが走行できる。
道路の山側は、ミカンの畑になっている。まだ青いが小ぶりの実が枝にたわわに実っている。レモンの木も植えられているそうだ。
足が疲れたので、垂水港で休憩。
港からの、瀬戸内海の眺め。
瀬戸田サンセットビーチはこのように砂浜が広がり、椰子の木が植えられている。
ちょっとした南国情緒だ。
(この日の写真ではない)
休憩後、再び海岸線を走る。 整備されていて、美しい海岸線の景色がつづく。
このような、海上のモビールがある。
向かいに見える島が高根島である。
そして、ようやく生口島の名刹である耕三寺に着く。 もう3時半になっている。
自転車返却場所の、尾道駅前港湾駐車場に午後6時までに着くのは、この時点でもう無理。
まだ5分の2位の走行距離が残っている。
この日のうちに尾道に着きたかったので、 耕三寺見学 もパス。 しかし、お寺の前で、写真だけを撮らせて頂いた。
金ぴかの山門(潮声山)です。
耕三寺(こうさんじ)
広島県尾道市(生口島)に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。山号は潮声山(潮聲山)。1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」とも呼ばれる。このうち、山門・本堂をはじめ15の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。
国宝向上寺三重の塔
という事なので、耕三寺 も是非見学したかったのである。
耕三寺の近くには、平山郁夫美術館 がある。 彼は、生口島の出身であり、「しまなみ海道五十三次」と題した水彩画を残している。
しまなみ海道の各地に設置されている陶版のオブジェの一つです。
ここもパス。
目的が、今治→尾道 完全走破とはいえ、今回は残念なことが多すぎる。 丸々2日はかけないと、満足のいく見学サイクリングはできないと、痛感する。
生口島の北門川を渡り、さらに15分ほどゆっくりチャリコを漕いで、生口橋自歩道入り口に到着。 ここで、生口橋 を見ながら一休み。 休んでばかりだが、足の状況を考えると仕方がない。 無理は禁物(こればっかり)。
生口橋は、全長790mの美しいシルエットの橋である。
生口島 → 因島
よれよれに近い状態で、995mの生口橋自歩道 を登りきる。
生口橋の入り口。
橋から眺望できる、島々ののどかな風景。
1225mの生口橋自歩道下りもまた実に気持ちが良い。 ペダルを踏まずとも、勝手に走ってくれるのである。 まさしく、登りは地獄下りは天国 である。
かくして、橋を下りる。 その生口橋遠景。
しばらくは、海岸線を走るが途中で道路は因島の内陸部に入っていく。
このような平地の道路だ。 ここで、道を間違えてしまい水色のラインを見失う。
道路脇にあった工場の叔父さんに聞いて、ようやく正しい自転車道にもどる。 ロスタイムは、約30分。 最後の因島大橋を目指し、なんとか走りつづけねばならぬ。
因島 → 向島
因島は囲碁の島と呼ばれており、本因坊秀策囲碁記念館 がある。
館内にある、秀策生家を復元したもの。
勿論パスだが、記録のため。
碁盤形案内板(因島重井町)があった。ここらは、囲碁の里 と呼ばれているそうな。
因島には、因島水軍城 とか 県立因島フラワーセンター もあるが、全てパス。
道路沿いで見つけたモアイ像である。 この時点で午後5時半である。 6時に尾道着は無理だが、この日のうちには着ける。
因島大橋に向かう途中、このような恐竜発見。 因島アメニティ公園の展示物であった。
ここから、15分程走ると因島大橋自歩道入り口にでる。 ここからの登り道739mも、疲れきった爺さんにはハードであった。
ようやく、登りきった。 やれやれ。
因島大橋(1270m)は、二階建ての構造になっている。 自転車道は、トンネルのようになっており、バイクも通れるようになっている。 左側が、歩行者専用道であるが一人として通っていなかった。 私はよれよれだったので、後方から来るバイクを避けるためにも、歩行者専用道をゆっくりと走った。 考えてみると、交通違反を犯していたやもしれぬ。
毎度ですまぬが、下り1380mは天国紀行である。 向島着。
向島 ⇔ 尾道
最期のコースに入る。 向島からの因島大橋の眺めである。 この時点で6時過ぎ。 ここからまた曲がりくねった道路を走る。
30分程走るうちに、日は沈み辺りは真っ暗になる。 街灯のみが、光っている。 6時半を過ぎてしまった。 自転車の尾道駐輪場返却は不可能になったので、対処法を中央レンタサイクルターミナルに相談しようと思った。しかし、電話しようとするも、携帯がワイフのものなので電話番号の入力方法がわからない。それで、ワイフに携帯で連絡して通話の仕方を教えてもらおうとしたが、その説明では画面上の使用法がわからぬ。 それに暗くて眼が見えぬ。 全く情けない爺である。 一考を案じ、レンタサイクルターミナルの電話番号を教えて、ワイフのほうからターミナルに処理法を聞いてもらった。 子供並みである。 折り返し、電話が返ってきて、翌日の返却すればよいということであった。 これで一安心である。
疲れた足で夜道を走ったのであるが、海岸線には夜釣りをしている人を沢山見受けた。
7時10分を過ぎて、ようやく向島の賑やかな道路に入ることができた。 左側にみえるのが八幡神社である。 ここを17日の最終到達地点とする。
そして、15分ほどチャリを漕いで、サイクリングターミナルのある渡船場に至る。
運賃は110円である。 渡船は、こんな感じ。
昼間ならば尾道大橋がはっきり見えるらしいが、夜なので無理であった。
(昼の写真)
予約した尾道第一ホテルを見つけ出し、自転車を専用駐輪場に駐輪し、ホテルの部屋に入れたのは、午後8時であった。 こんな部屋でした。
尾道駅の近くにあった、ラーメン屋に入り、地元グルメの尾道ラーメン+小唐揚げを注文。
勿論ビール付です。 味のほうは、まあまあでした。
夕食を済ませてホテルに帰り、お風呂で足を充分にマッサージする。 疲労感と筋肉痛は治まったようである。 ベッドに横になったとたん、疲れがでて爆睡。 TVは全く見ず。 | | |
明日18日は、尾道商店街観光をすませてから、
尾道から
向島の
八幡神社まで再挑戦である。
さて、翌朝9時20分に
尾道渡船で
向島に渡る。 船からは、このような渡船が見えた。
2分位で対岸に着く。 この看板は、
向島を中心とした
尾道鳥瞰図である。
渡船はひっきりなしで、
向島はむしろ
尾道と地つづきという印象である。
向かい側が、本土側のビル群。
この橋が、
新尾道大橋である。
さて、向島には古代ミステリーゾーン
岩屋巨石 というのが存在する。
この巨石である。
岩屋山に聳えており、 「
岩屋寺」の石碑も残っているそうだ。
そして、なんだ普通の自動車道ではないか、昨夜の道を逆に走り、
八幡神社に着いたのである。
お賽銭をあげ、ちゃんと家内安全をお祈りしたのである。
これで、
今治→尾道 の完全走行を成し遂げたのである。
帰りは
福本渡船(70円)を利用し、
尾道に帰還。
スケッチに興じる老若男女が対岸にいた。
尾道には、絵心を持つ人が多いのだ。
ここ駅前港湾駐車場で自転車を返却。10時半であった。
これが、
しまなみ海道サイクリング完走認定書である。 私にとっては、2日がかりの快挙であった。 これでおしまい。 ごきげんよう。
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