剽窃騒動ですっかり味噌をつけてしまい、新刊が全く現れなくなった 佐野眞一 の著書に
新忘れられた日本人 毎日新聞社 2009年7月刊
がある。 本書は『サンデー毎日』の2008年6月8日号から2009年5月31日号まで1年50回にわたって連載したものを纏めたものです。 週刊誌の記事ばかりなので、軽く読める。 タイトルは、大袈裟だが、著名人物にからんだ脇役の人生のスケッチといったところですね。
因みに、私は彼の新刊が出るたびに買っていた。この本も新刊で購入した。
私は、佐野眞一のことを、今でも実に優れたノンフィクションライターだと思っている。剽窃は許されないことだが、過去に出版した書籍が全て無価値になるわけではない。読者からすれば、出典をいちいち確かめる訳ではないので、内容が面白ければそれで十分の価値がある。その意味で、彼の殆どの本には十二分の価値がある。実際読み応えがあるのだ。数々の面白いテーマを追求し取材を重ね、例の佐野節といわれる、文学的な香りをもつ泣かせる文章で膨大な記事をこなす、そして多岐に至るテーマの単行本を次々出版する。売れる作家ですよね。 ノンフィクション界の巨人と言われるのは尤もであると思っていた。
ただ、橋下市長に限らずだが、有名人を出自等でこき下ろす文章や自慢話の類は多くあったので、良い感じの受けない部分は確かにありましたが・・・。
でも悪評が立ってしまったので、もう新刊本は当分でないだろうね。 残念なことだ。 私は今もファンであり、何とか復活してほしいと願っている。
話が逸れたが、その中でダイエーの中内㓛のかっての盟友であった、畜肉業者上田照雄が忘れられた日本人の1人として紹介されている。手元にある、佐野の著書 カリスマ でも彼の風体が描かれている。 この本は、一大企業家の凄さが描かれてあり、読み応えがあります。面白かったですよ。
上田照雄
枝肉商・上照商会の社長。三宮店開店時、直売方式による牛肉の安売りを計画したダイエーの中内㓛に枝肉商たちが反発する中、ただ一人枝肉を提供 したことから生涯を通しての盟友となる。沖縄に「ナハ・ミート・プロセス」を設立する際にも協力している。
ということだが、この方の写真は見つからない。同姓同名の方の写真はあったのだが、身長180cm以上、体重100㎏という人なので、こんな方だと思う。
彼は、通称 ウエテルと呼ばれ、中内は彼と組むことによって牛肉の安売りを可能にし、初期のダイエーが飛躍する礎を作った。 破天荒な人間であった、そのウエテルのエピソードが語られている。 本から引用する。
彼の話は抱腹絶倒の連続だった。私はその粗削りな語り口の魅力に、たちまちひきこまれた。
「車はいつも100キロ以上でとばすことにしとるんや。赤信号? そんなもんかまへん。ありゃ、注意の合図や。
女? そりゃようけいるで。わしはスッチャデスがごっつう好きでな。飛行機はいつも一番前の座席に座ることにしとんのや。むろん口説くためや。ひい、ふう、みい……っと、そやな、もう7人は口説いた。
愛人で囲う? そんなもったいないことせえへん。みんな、うちの肉工場で働いとる。大きな牛刀もって肉を器用にさばきよる。みんなよう働きまっせ。愛人兼工場長や、ワッハハハハ……」
私が子供のころ、氷屋の大将にこんな猥談の大好きな、大声で喋るおっちゃんがいましたが、その人とそっくりですね。 今時、このタイプのおっちゃんは、ヤクザ以外にはいそうもないですね。
市販もされていない、佐野眞一が書いたウエテルの評伝(らしい?)
というのがあって、つぎのような文章がコピペされていた。 (真偽不明)
明治冷凍に行くと、数人の枝肉商が縁台将棋を指していて、ステテコに毛糸
の腹巻すがたの若い男が声をかけてきた。
「おい、にいちゃん、なにしにきたんや」 ぞんざいな口調である。
「枝牛、買いにきたんや」 と応えると、「おまえ、だれや?」
「ダイエーの中内や」「なんやてぇ、おまえか、ダイエーの社長いうのは。
ダイエーにはどこも牛なんか、売れへん」
「そんなことはわかっとる。そやさかい買いにきたんやないか」
それを聞くと、縁台将棋をさしていた枝肉商たちはそっぽを向き、そそく
さとその場をはなれていく。ただひとり、ステテコに腹巻すがたの男だけは、
じっと私をねめつけたあと、うなるように言った。「おう。よっしゃ、ええ
根性しとる。オレが売ったるわ」 ひょんなことから話がまとまり、二人し
て冷凍倉庫の中に入る。吊りさげられている枝肉を見てまわる。 冷凍倉庫
の中の温度はマイナス二十度。六月ごろだったと記憶するが、私は、倉庫に
入ることをあらかじめ予想し、メリヤスの下着の上に毛糸のセーターを着込
んでいた。
対するその男は、ステテコに腹巻。倉庫の中で値切っているうち、寒さの
あまりふるえだしている。「もっとまけとけや」
「これ以上まかるもんか」 ねばっているうち、男のほうがとうとう音をあ
げた。「もうええ、もってけー」 この若くてきっぷのいい枝肉商が、好漢
ウエテルこと上田照雄さん(故人)である。ダイエーについて書かれた本の
中にしばしば登場するので知る人もすくなくないが、私とウエテルとの交流はこうして
始まった。
商談がまとまって数日後、ウエテルが言う。
「ダイエーに肉売ったから、神戸で枝肉商ができんようになってしもた」
「わかった。うちの牛肉の仕入れはおまえやれ」
ダイエーと取引したために八軒の得意先を失ってしまったウエテルは、
こうしてダイエー専属の牛肉仕入れ業者となり、その後のダイエーの発展
に計り知れない貢献をしてくれることになる。
ヤクザの間の友情みたいですね。 ウエテルは、昭和55年8月53歳で死去。中内㓛から佐野眞一
に電話がかかってきて、中内は涙声で佐野にウエテルの評伝を書いてくれと依頼したという。
その中内㓛も 平成17年死去。
ウエテルの事務所に50㎝ほどの流木が転がっている。
佐野は、このように書く。
その流木には、事業半ばにて早世した無念の思いを叩きつけるように、 「何糞」
という力まかせの二文字があばれたように刻まれていた。 それは、
「恥はかいても字はかかん」 と言っていたウエテルが生涯ただ一度だけ筆をとった文字だった。
こんな風に思い入れたっぷりに書くのが、佐野節 と呼ばれるわけですが、真偽は別にしてカッコイイセリフですよね。
ウエテルには、もっと面白いエピソードはないのだろうかと探してみたが、ついに見つからなかった。
ウエテル自体は、今も神戸市花隈にあるようだ。本では、息子の代で倒産したとなっているが、
(株)ウエテル (これ以外の関連サイトは見つけられない。)
が存在している。この会社のWebサイトはないので、社長が息子の上田輝章かどうかはわからない。 上田輝章の記事も全く見つからない。
(株)ウエテル 代表者 福本 ** 食品販売
がインターネット上で見つけた唯一のデータである。 調べれば面白い事実やエピソードが見つかるかと思ったがそうではなかった。 佐野の本の中にある話だけである。 今回は時間のかかった割に、スカのような記事になってしまった。
やはり、ウエテルは忘れ去られた人なのであろうか?
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