ウイーン幻想派との一人として、以前の記事で 画家 エルンスト・フックス を紹介した。
今回は、この幻想派グループのリーダーともいえるルドルフ・ハウズナーの紹介をしたい。
1972年に兵庫県立美術館で開催された「ウィーン幻想絵画展」の目録を、私は持っているのだが、それには、1970年までのルドルフ・ハウズナーの略歴しか書かれていない。
Wikipedia では、日本語のページはない。 ドイツ語と英語はあるが、英語版は不十分な記事である。顔写真も見つからない。 ドイツ語版は、翻訳が大変ということで、上記の目録に沿って、説明をしたい。
Rudolf Hausner (December 4, 1914 – February 25, 1995)
Rudolf Hausner was an Austrian painter, draughtsman, printmaker and sculptor. Hausner has been described as a "psychic realist" and "the first psychoanalytical painter".
(訳)ルドルフ・ハウズナーはオーストリアの画家、版画製作者および彫刻家。
ハウズナーは、「精神の現実主義者」とか「最初の精神分析の画家」と評されました。
彼の肖像です。目録からスキャンした。
主たる経歴をピックアップする。 1970年までです。
1914
12月4日、オーストリアのウィーンに生まれる。
1931~36
美術アカデミーで学ぶ。イギリス、フランス、イタリア、スイス、 ギリシャ、トルコ、エジプト、 パレスチナを旅行する。
1938
ナチ時代、その作品が堕落していると宣言され、展示を禁じられる。
1941
ドイツ軍に召集される。
1945
戦後、オーストリア・アート・クラブの創設者のひとりとなる。
1956
6年をかけて「オデッセーの箱」を完成。”アダム”を始めて描く。
オデッセーの箱 1948-51, 1953-56
1960
ローマに滞在。
1965
ウィーン幻想派グループの一人として国際的に認められる。
1966
アメリカに滞在。
1967
ミュンヘンでの絵画の最高賞ブルダ賞を受ける。
1968
ハンブルグ美術学校の教授、およびウィーン美術学校の教授になる。
1970
絵画に対し、オーストリア国家賞を受ける。
彼の絵画に特徴的なのは、自分自身と思しき ”アダム” が繰り返し、繰り返し絵のモチーフとして現れることである。 また絵画に現れるマリア像のモデルは彼の妻とされている。
まづは、彼の本領である幻想的な絵画を紹介する。 以下絵画のタイトルは省略する。
道化師の帽子シリーズ
”アダム像” の現れる絵画
かくして、幻想的絵画表現から、具象的な表現に変わっていく訳だが、彼はこう語っている。
シュルレアリストたちの無意識に対する極端な関心のもちようについて、私は彼らと袂を分かった。私にしてみれば理性と論理は無意識同様に魅力的であって、このふたつのシステムが共時的に存在することが、最も大きな関心の的だったのである。
ウイーン幻想派展 読売新聞社,1992 の記事より。
私としては、彼のこんな楽し気な少しエロッチクな絵画が好きなのである。
彼は、1995年に亡くなった。 彼のウィーンにあるお墓です。 やはり”アダム像”である。
オーストリア郵政では、現代美術シリーズの切手として、彼の作品を採用している。
ロシア語のページから、彼の 美術館 を見つけた。 是非ご覧ください。
そのページに掲載されていた、彼のアトリエにおける、制作風景である。
日本では、あまり人気のない画家だが、オーストリアやドイツでは評価の高い画家である。 日本人好みではないのだろう。残念である。
これで ルドルフ・ハウズナーの紹介はおしまい。 ごきげんよう。
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