日々運動をする習慣をつけていれば、別なのだろうけど、そうではない生活を送っていた私としては、退職して一層運動不足気味になり2.5㎏も肥えてしまった。 思えば、5,6年前は毎週1,2度フィットネスクラブで泳いでいたのだから、運動量は激減している。一方食べるほうは、変わりないのだから、肥えるのは決まっている。
それで、時間を見つけて(退職して遊んでいるのだから閑でしょうがないだろう、とお思いだろうがそうではない)、運動不足解消を心がけたのである。 それで、先日平坦コースではあるが、長距離散歩シリーズの1つとして、 六甲山ー摩耶山散歩 を企てた。 今回はその報告。 地元神戸の紹介の積りでもある。
朝の母親との食事を済ませてから、リュックにペットボトルやタオル、カメラを放りこんで9時45分ころに自宅を出発。 具体的なルートは決めていなかった。 前回は、神戸ゴルフクラブから六甲ガーデンパレスを経て石切道をおりるコースであった。 それで、漠然と摩耶山のほうに行こうと思っていただけであった。
山の散歩コース III 前回の記事からもう5か月も経っていたのだ。
10分ほど、歩くと六甲ケーブル駅に着く。 なにやらいつもと違っている。
乗車口にこのような立て看板があった。 ROKKO MEETS ART と 六ヶ所巡り である。
この立看板が、 六ヶ所巡り の一甲の写真スポットであった。
この記事を書いていて気が付いた。悟りの鈍いことである。何によらずだが。
それで、面白そうだなと思ったのが、六甲山名物 六ヶ所巡り である。 六甲に住んで長いが、六ヶ所巡り なんて知らなかったのである。 もっとも、私の場合知らないことのほうが多すぎる。
このよう案内板がある。
これによると、六甲山信仰の入り口として位置づけられた、「六ヶ所巡り」 をモチーフとして、それぞれのスポットにて記念写真を撮るためのツアー作品を制作した とある。
一カ所 一甲 (六甲ケーブル下駅)
二カ所 二甲 (ケーブル車内)
三カ所 三甲 (六甲ケーブル山頂駅)
四カ所 四甲
五カ所 五甲
六カ所 六甲
とある。 これは、見ておかねばならぬという訳です。
一甲 (六甲ケーブル下駅)
六甲ケーブル下駅が、一甲となっており、ここが写真を撮るスポットになっている。
案内板には、
一カ所・一甲
ここから始まる「六ケ所巡り」の各名所は、「一甲、二甲~」と呼ばれ、六甲の地名の由来になったという説もあるようですが、定かではありません。・・・・・ この「六ケ所巡り」は江戸時代中期に最も盛んに人が訪れたそうです。・・・・・
とあり、何やら信頼のおけない表現で「六ケ所巡り」の説明をしている。 Wikipedia の一部の記事のようである。信じやすいたちの私は、へ~ そうか と思ったのである。
下駅では、このような六ヶ所巡りのビデオが放映されている。
二カ所・二甲
二か所目は、ケーブルカーの車中である。 モニターの上のほうに 二カ所・二甲 の案内板がある。
それには、
山門をくぐり、山に入ります。ちょうど参道であったルートを下敷きに 現在のケーブルカーが作られたといわれていますが、確かな文献は残っていません。 ・・・・ 険しい山道だったそうです。
いい加減な解説である。
ケーブルカーに乗り込んだ。
二カ所・二甲 の写真を撮ることにした。 今回は、平日ということもあり空いていた。
車内の写真。
窓から堰堤を写す。
眼下には、このように六甲川の水が流れている。
下りのケーブルカーと交差する時の写真。
そして、このような急勾配を登って、
山頂駅に着く。 二カ所・二甲 の写真は、たっぷり撮ったのである。
三カ所 三甲 (六甲ケーブル山頂駅)
この山頂駅は、三ケ所目になるとしている。 案内板には、
三カ所・三甲
山の中腹に位置するこの開けた平地には、古くから茶屋があったそうです。 ここで一休みして、さらなる旅路に向かったそうです。
憶測だらけの説明ですな。しかも不正確。
ここでの記念撮影スポットというのが、これです。集合写真と書いてあるが、この時は誰もいない。
四カ所・四甲 の掲示板はこれ。
読んで頂ければわかるが、訳のわからん説明文である。
・・・石段に腰かけた老人が旅の者に六甲山の昔話を旅の者に聞かせてくれたといいます。・・・
なんで老人が六甲山の昔話を説明せんとあかんのだ? とにかく、六ヶ所巡り の説明をすると書いてある。
五カ所・五甲 の掲示板です。
絵馬に似た風習で三角形の木札に願いを書いたそうです。明治時代には縁結びの名所といわれ、六甲山を訪れる多くの恋人たちが2人のよきご縁を願ったといわれています。
ますます嘘くさい説明ですな。 ここの写真スポットに展示してあった作品です。
日曜品で制作しているわけで、製作費はあまりかかっていないように思える。
解体後は、再び使用可能である。
六カ所・六甲 の掲示板。
六甲とよばれたこの場所は、とくに社(やしろ)があるわけでもない、なんてことのない場所でした。雨をしのぐ屋根のようなものがあり、晴れた日には景色のよく見える小高い丘でした。それが、あるのかないのか、はっきりしないような、そんな場所です。
ここに至って、何じゃこれは ですね。 事実と異なる。 神社はある。 松浪大明神 である。 それに山頂は、小高い丘ではない。険しい崖の上です。 どうでも良いことだが。
そして、この掲示板を読んで、騙されていたことに気付くのである。
という訳で、ここでの記念写真スポットを紹介する。
コラージュ風の藝術作品です。
旧ジンギスカンレストラン跡に、展示されていた作品です。
今日は晴れてますか?
TVモニターによる説明がある。
六ヶ所巡り では、六甲かぞえうた というのを紹介していた。
こんな数え歌が実在するかどうか不明であるが、 メロディーは調子が良い。
モニターでは、この方が歌っていた。
♫ 六甲かぞえうた
一甲 最高 冷やっこ
二甲 べっこう もう結構
三甲 女子高 男子校
四甲 孝行 親不孝
五甲 日光 太陽光
六甲 カッコウ 背格好
こんな歌、ほんまにあるんかい? と疑問。インターネットで検索すると、ない。
しかし、民間伝承ではあるのかもしれん。私は知らん。
「六甲六ヶ所巡り」なる 架空の霊場巡り を設定した お遊びでした。
天覧台は、こんな風でした。 天気がよく、遠くまで見渡せた。
私のとったコースは、地図の赤線の道筋です。 六甲山ガイドハウス、六甲山ホテルを経て、六甲山牧場に至る。ここから自然の家に向かい、穂高湖を巡ってから、摩耶山天上寺を経て、摩耶ロープウエーの山上駅につく。そこから虹の駅までくだり、摩耶ケーブルにのってケーブル下駅までおりるというコースだ。
これは、距離はあるものの、楽ちんお気楽コースである。ハードな場所はどこにもない。
大昔になるが、子供を連れてハイキングしたものである。小学生なら充分に歩ける。
山上駅から、六甲山ガイドハウスに向かい歩き出す。 バス道であるが、この日は
平日なので、車は多くない。 道路ぎわの杉並木を見通すと、なにやら古そうな家屋が見える。
面白そうなので、近くまで来てみると、正しく廃屋であった。 六甲山には、このような廃屋が散在している。六甲山もかっての大金持ちの避暑地としての栄光はない。
20分程歩くと、六甲山ガイドハウスに着く。
建物の所在は知っていたが、入館したことはない。 急ぐ旅ではないので、中を覗いてみた。
入館料は無料で、管理のおじさんが1人いただけでした。
最初に目についたのが、この写真です。 六甲山開山の祖である、英国人グルーム氏である。
日本最初のゴルフ場建設者です。
Wikipedia による説明。
アーサー・ヘスケス・グルーム
幕末から明治にかけて日本で活躍したイギリス出身の実業家。六甲山の開発と景観保護に力を注ぎ、「六甲山開祖」と呼ばれた。
私も地元民として、彼を知っていました。ちなみに彼の奥様は日本人で、旧姓宮崎直。 大阪玉造の士族の娘である。 子供は、15人!
グルームは植林や桟道の整備開発に私財を投じ、六甲山が避暑地・リゾート地として繁栄する礎を築いた。
というような事ですね。これとて、いい加減な知識でしかない。 Wiki で知ったのだが、彼の晩年は幸福であったとは言い難い。
1897年、神戸外国人居留地内にあったオリエンタルホテルをエドワード・ハズレット・ハンターらと共同で買収し、社長に就任した。1908年には居留地6番地に同ホテルの新館を建設。この新館は「東洋一の洋館ホテル」と呼ばれ、高級ホテルとして繁盛した。しかし同時期に起こった恐慌のあおりを受けてオリエンタルホテルの経営状態は悪化し、1916年に経営権を日本人実業家の浅野総一郎に売却した。
1917年末、神戸外国倶楽部で開かれたクリスマスパーティーに出席したグルームは泥酔して玄関の石段で転倒し、脳震盪を起こした。翌1918年1月2日、同じ神戸倶楽部で開かれた新年会に出席したグルームはまたもや泥酔した挙句玄関の石段で転倒し、頭部を強打。傷口から破傷風に感染したことが原因で9日に死亡した。
70歳を過ぎて、悲運に見舞われたわけである。 人間、栄耀栄華のまま人生を全うする、ことは至難の技である。 爺さんになって酒を飲みすぎるのは、どんな事情があれ良くないのだ。
館内には、六甲山の自然(花の写真等)や、観光スポット(みどころ)の写真が掲示されていた。
六甲山にこれだけ沢山の種類の山花が咲くとは驚きである。
見どころといっても、大した場所はない。ゴルフ場とか有馬ロープウェーとかですね。
ガイドハウス横の階段を登っていくと、石垣の上が記念碑台になっている。
ここが、休憩所で
このように景色は良い。これは、見どころあり。お弁当を食べるのにも好適。
この広場には、六甲山開山の恩人であるブルーム氏の碑がある。
この広場の上にあるのが、六甲山自然保護センターである。
この施設も無料なので、入ってみた。 出迎えてくれたのが、このイノシシ君である。こいつは、ゆるキャラではない。 Mt. Rokko くんとしても出てこない。 猪のマスコット人形にすぎない。
館内の展示品です。 私の趣味に合う面白そうな展示物がある。
まずは、化石である。 神戸層群の葉っぱの化石は、植物進化の研究にも役立っている。 3500万年から1500万年前の化石だそうだ。
以下葉っぱ 🍂 の化石
珪化木の化石。 樹木の化石だが、中身が珪酸と置き換わったもの。
見たことはないが、ゾウやサイの化石も見つかるそうである。
それから、六甲山に出没する動物。 アナグマ、ウサギ、ヤマド、イノシシ、これらには皆出食わしている。 テンやイタチには、六甲山では出会ったことはない。
アナグマ。 出くわしたときタヌキかと思ったが、実はアナグマだったのである。
裏六甲を登山していた時だと思う。 草薮からバサーと飛び出たので吃驚した。とても鮮やかな色をしていたように記憶している。
六甲山周辺ではどこでも、夕方になれば、いやでも出くわすイノシシである。
六甲山自然保護センターの見学を終え、コースに戻る。
六甲山ホテルを通過。 昔と変わらない佇まいである。
ホテル直営のジンギスカンテラスというのがあって、テラスで100万ドルの夜景を見ながら、焼肉料理を食べることができる。 私もいつだったか忘れたが、大昔に行ったことがある。 全ては忘却の彼方である。
さて、 六甲山の恩人グルームにはいくつかの逸話が残されている。 その一つ。
白髭神社の狐
ある日、グルームは猟師に追われ別荘の敷地へ逃げ込んできた狐を匿った。狐は付近に住みつくようになり、グルームの膝の上で眠るほどに懐くようになった。狐はグルーム以外にはまったく懐かず、グルームが死ぬと姿を見せなくなった。1919年、グルームに匿われた狐が乗り移ったという男が中山手通に住んでいた家族のもとを訪れた。この出来事をきっかけに家族は六甲山に祠を作って狐を祀ることにした。グルームが匿った狐の尾が白かったことから祠は白髭神社と名付けられた。この祠は現在六甲山ホテルの西にある。この神社です。
六甲山牧場へ向かう途中、おもちゃのようなミニカーに出くわす。
この1台と黄色いボディカラーの車です。なんと電気自動車であった。
私は免許を持ってないが、こんな車なら運転したいものである。でも値段は高いんだろうね。
(注1:トヨタ車体制作の1人乗りの小型電気自動車 「コムス」は60万円前後)
(注2:この車は、六甲山牧場で使われているもので、乳牛のしま模様がデザイン)
ここが、 EV充電ステーションでした。洒落た店で、軽食もできるようになっている。
六甲山牧場の牧草地が見えてきた。
牧場の金塀横には、ススキ。 秋になってきたのだ。
六甲山牧場の入り口。 こんな立派な石碑があったのだ。
大人:500円
小・中学生:200円 幼児(未就学児):無料 です。
Wikipedia による説明は、
神戸市立六甲山牧場(こうべしりつろっこうさんぼくじょう)
兵庫県神戸市灘区の六甲山上にある牧場である。
という余りにそっけない記述。 概要は、
スイスの山岳牧場を範にした高原牧場で、面積126ヘクタールの内23ヘクタールを一般に開放している。
入り口にいて、高々とトーチをかかげる牛の聖火ランナー。
牧場は、広大で色んな施設がある。 場内マップです。
乳牛舎、ポニー舎、めん羊舎、レストハウス、まきば夢工場、Q・B・Bチーズ館、その他。
公式ホームページ にはその内容説明がある。
色々な動物が飼われている。もしくは、放し飼いにされている。
ポニー
これが、まきばの吊橋。
ここからゴールデンポイントを望む景色です。
六甲山牧場の駐車場からの眺め。奥は、売店など。木々が邪魔してますね。
再び、山歩きコースに戻る。
途中こんな看板に出くわす。成徳小学校といえば、灘区にある地元の小学校である。
立派な主旨であったが、立派な森にならず、今や雑草の森である。
いささか、記事が長くなりすぎたので、残りは次回の II に回す。 今回は、これでおしまい。
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