以前福山へ旅行したときの記事に、鞆の浦にある鞆の津ミュージアムについて書いたことがある。
鞆の浦史蹟めぐり
その後、このミュージアムのワンコイン館長になったので、次回展示会の宣伝をこのブログでしたのであった。
鞆の津ミュージアム 第12回はじめまし展 「まる さんかく しかく」
さて、鞆の浦を訪問した時の出しものは、 花咲くジイさん であった。 その記事で、
と書いていた。 そして、
つぎの機会に、それら老ゲイジュツカについてもう少し詳しい記事を書いてみたい。
と言いながら、放置してある。今回は、その内の一老ゲイジュツカについての記事を書きたい。
上の展示会パンプは、二つ折りになっていてその内ページがこれである。
順次、老ゲイジュツカを紹介すると、左ページからは、
ドクター・中松
木下将之将軍
長恵
沼博志
軸原一男
堀尾貞治
右ページからは、
蛭子能収
糸井貫二
堀内辰男
城田貞夫
大野博司
小川卓一
となっている。
今回は、糸井貫二 通称ダダカンを紹介したい。 ミュージアムに入って何よりびっくりしたのが、館内に設けられていた映写室で、ここではダダカンの裸儀が映写されていた。はっきり言うと、見たくはない高齢爺さんのヌードパフォーマンスであった。
私は知らなかったが、この方は
生きる伝説・94歳の全裸芸術家ダダカン
として、知る人は知る存在でした。 Wikipediaでの記載はないが、Facebookをしておられる(本人ではないが)。 ダダカン(糸井貫二)糸井貫二(いとい かんじ) 1920年生まれの現在94歳
ダダカンと呼ばれた人物である。ダダは、ダダイズムから来ている。本人は、ダダ貫と言ってる。
その活動や人となりは、
竹熊 健太郎著 『篦棒(ベラボー)な人々』 河出文庫
の中で描かれている。
まづ、ダダカンの裸儀について書くべきであろう。これである。
ちゃんと局部は卵のカラと袋カバーで隠してある。何の意味かは、書いてある記事が見当たらないので、分からない。老人のヌード写真はこれ以上アップしたくない。見たい方は、ダダカン 画像 をどうぞ。
仙台の自宅「鬼放舎」の前での、彼のまともな写真です。実体は、品の良いお爺さんだそうです。
1971年の『少年サンデー』で「へんな芸術」というグラビアで特集された「殺すな」 の写真。
肉体そのものが芸術。戦後最初の国民体育大会に体操選手として出場したほどの運動神経の持ち主という。現在は、年齢と粗食のせいもあってガリガリの骸骨状態です。
1964年
「祝・東京オリンピック」のタスキを掛け、顔を白包帯で多い、赤いフンドシを聖火になぞらえて掲げ、銀座を全裸で走り逮捕。そのまま精神病院に1年間強制入院させられる。
これが、その時の赤いフンドシ。
1969年ごろから、仙台の自宅「鬼放舎」にて独居生活を始める。
これが、 「鬼放舎」。まあ、普通の民家です。
一ヶ月2万弱の年金で食事は一日一食、夏場は庭のタンポポを食べるなど、極端な粗食生活を長年続けている。ガリガリになるわけですが、生物学的にいうとそれが長寿の原因になっている。実験室のラットでも確認されたことです。
その新聞記事。 裸の男飛出す という見出しがある。
半分燃やした札を送られた、水上旬(芸術家)の話によると、
1980年代からは雑誌などをペニス形に切り抜いて、手紙とともに送る「メールアート」に専念する。
ミュージアムに展示してあったのは、これと同封された手紙でした。達筆です。
このような作品です。
幾つか、彼の作品をアップする。
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