お見舞い後、奈良のお寺のどこか、候補は西大寺、法隆寺、唐招提寺、薬師寺、に行こうという事だったので、写真を撮っての記事が書けると思ったのも事実である。
これらは、古都奈良の文化財として世界遺産に登録されている有名なお寺ばかりであるが、どこがどうだったかはすっかり忘れてしまっている。しかし、全てのお寺にお詣りした記憶はある。
時間の関係で、結局見学できたのは、唐招提寺と薬師寺の二寺である。
それで今回の記事は、唐招提寺である。 昼ご飯に、讃岐丸亀製麺のダブルカツカレーうどんを食した、などというグルメ情報は省略する。
唐招提寺は、鑑真ゆかりのお寺である。 Wikipedia によると、このように説明されている。
唐招提寺 | |
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金堂 | |
所在地 | 奈良県奈良市五条町13-46 |
位置 | 北緯34度40分32.1秒 東経135度47分5.4秒座標: 北緯34度40分32.1秒 東経135度47分5.4秒 |
山号 | 無し |
宗派 | 律宗 |
寺格 | 総本山 |
本尊 | 廬舎那仏(国宝) |
創建年 | 天平宝字3年(759年) |
開基 | 鑑真 |
中興年 | 寛元2年(1244年) |
中興 | 覚盛 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道第24番 大和北部八十八ヶ所霊場 第26~27番 |
文化財 | 金堂、乾漆鑑真和上坐像ほか(国宝) 礼堂、絹本著色十六羅漢像ほか(重要文化財) 世界遺産 |
公式HP | 唐招提寺 |
唐招提寺(とうしょうだいじ)
奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。
本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
由緒のあるお寺である。拝観料は、つぎのようになっている。他県の者の、高齢者割引はない。残念。
大人・大学生 | 高校生 | 中学生 | 小学生 | |
個 人 | 600円 | 400円 | 400円 | 200円 |
団 体 | 480円 | 320円 | 320円 | 160円 |
そのパンフ。
中国の僧鑑真和上が天平宝字三年(759年)に創建したのが、八月戒律の専修道場で、これが唐招提寺の始まりとされる。
鑑真和上について、パンフの記事より要約するとつぎのようになる。
・鑑真和上は、688年に唐の揚州で誕生。14歳のときに得度し、大雲寺に住む。
・18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入る。翌年、弘景について登壇受具し、律宗・天台宗を学ぶ。
・揚州の大明寺で、広く戒律を講義し、長安、洛陽に並ぶ者のない律匠と称えられる。
・大明寺の住職であった742年に、日本から唐に渡った僧・栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請される。
・渡日を決意するが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となる。
・753年12月、六度目の航海で来日を果たす。
小説の『天平の甍』で描かれているストーリーですね。映画にもなりました。
私も見ました。鑑真和上役は、田村高広でした。
主役は、普照役の中村嘉葎雄です。
35年前の作品で俳優さんは皆若いですね。
・翌754年、和上は東大寺大仏殿に戒壇をきずき、聖武天皇を始め4百余人の僧俗に戒を授けた。
大仏殿
・鑑真和上は東大寺で5年を過ごしたのち、大和上の称号を賜る。あわせて親王の旧宅地を賜る。
この土地に、八月戒律の専修道場を創建した。
これが、有名な国宝 鑑真和上坐像です。
高さ80.1cm。日本最古の肖像彫刻であり、天平時代を代表する彫刻。
2010年に鑑真和上像の揚州里帰り展が、開かれてた。古いが、1980年にも鑑真和上像の帰国巡回展が開かれており、中国の切手にも描かれている。
前置きが長くなりすぎた。これから、唐招提寺の最新写真集である。
このような石碑が立っていた。境内の外にある、旧境内の石碑です。
これが、南大門。
ユネスコ認定の世界文化遺産である、証拠の石碑。最近こんな石碑をそこかしこでみる。
唐招提寺境内の案内図。
真正面に見えるのが金堂。立派である。勿論国宝。
国宝 奈良時代(8世紀後半)
寄棟造・本瓦葺
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。
堂内の中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ。写真禁止だが、画像は探せば見つかることになっている。
盧舎那仏坐像
薬師如来立像
千手観音立像
これが鐘楼。
手前が鼓楼で、奥が講堂。
このように敷地整備中でした。
鼓楼は、境内唯一の重層建築物で、鎌倉時代・仁治元年(1240年)に建築される。鑑真将来の仏舎利を安置するため、舎利殿ともいう。
講堂を正面横から撮った写真。この講堂もまた国宝です。
入母屋造・本瓦葺
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。
という事で、それらの仏像の画像。
本尊弥勒如来坐像
持国天立像
増長天立像
西室跡。
唐招提寺本坊の山門。
開山堂(の裏手と正面)。
鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶致しました。
とあって、上にアップした鑑真和上座像のレプリカが、祀られている。
構内には、このような北原白秋の歌碑がある。
白秋歌碑
「水楢(なら)の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして 花よりもなほや白う匂はむ」
北原白秋が鑑真和上をしのんで詠んだ歌だそうだ。達筆すぎて、とても読めぬ。
読めないのは、私だけでない事の証左。
鑑真和上御影堂にかかっていた。
御影堂の入り口で、現在は中に入れません。
このような建物らしい。
外側は、このようになっている。
鑑真和上御廟に向かう参道の山門。
ここが、鑑真和上開山御廟。鑑真和上の墓所である。
まわりには池があり、マガモが一羽泳いでいた。
これが宝蔵。
昔、日本史で習った校倉造りですね。
最後に松尾芭蕉の句碑。 こんなのは読めませんが、
立札にちゃんと書いてある。これなら読める。 芭蕉の鑑真和上を拝しての句だそうだ。
「若葉して御目(おんめ)の雫(しずく)拭(ぬぐ)はばや」
これで、唐招提寺参拝編はおしまい。
参道の土塀は、いまにも崩れそう。修理する予算がないんだろうね。嘆かわしいことだ。
このような歴史の道の標識を発見。
標識に在るように、つぎは薬師寺である。 今回はこれでおしまい。 次回につづく。
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