Wikipediaには記載がなく、兵庫県神社庁と神社のホームページを元にして由緒等の説明を行う。
由緒:
神社の由緒によると、神功皇后(321年-389年)が新羅へ遠征の時に、武内宿禰が皇后の健勝を祈って当地に植えた若松が、枝葉も繁りまたたく問に大木に育った。
後年、当地を訪れた武内宿禰はこの瑞兆により、応神天皇の偉徳を称え、松の傍に祠を建て神霊を勧請して「正八幡宮」と称し、遠目郷(とおめのさと、東明村・現御影塚町)の鎮守とした。
その後、貞観の代(9世紀後半)に宇佐八幡宮の御神霊を京都男山の石清水八幡宮へお遷しの時、鳳輦(ほうれん、金の鳳凰の飾りを付けた神輿)が当社で休息されたと伝えられており、古来より厄除、息災、願望成就の神として近郷より篤く崇敬されている。
その後、貞観の代(9世紀後半)に宇佐八幡宮の御神霊を京都男山の石清水八幡宮へお遷しの時、鳳輦(ほうれん、金の鳳凰の飾りを付けた神輿)が当社で休息されたと伝えられており、古来より厄除、息災、願望成就の神として近郷より篤く崇敬されている。
神社の由緒はこうなっている。
ご祭神:
応神天皇と武内宿禰大臣
今回は人形で応神天皇を抱いた武内宿禰
それでは境内の参拝である。
大鳥居 金属製で、金ぴかの鳥居である。
神額
常夜燈
御神木の楠。市民の木の表示がある。
厄除祭再興記念の石碑
拝殿
由緒板
拝殿前常夜燈
狛犬二基
武内松石碑
看板に曰く:
千七百年の昔、武内宿禰大臣が植えられた松は江戸時代には幹周りが五メートル以上もある巨木となり、武内松と呼ばれる摂津の名所として知られておりました。
古歌「立ち寄りていざ言問わむこの里の社に松の古き昔を」(大中臣為村)尚、この松は明治の代に枯れましたので、その一部を祀に保存しております。
昔の1円札の肖像にあります。
武内宿禰大臣の植えた松(武内松)をまつる祀。
この社の中には、明治時代に枯れたという松の一部が祀られている。
手水鉢
神額 単に 浅香社 とある。
拝殿内にはさらに小鳥居と小拝殿がある。
社殿前の狛狐二基
高良宮(こうらぐう)
近年、八幡神社の全てが厄神様のごとく思われておりますが、本来は高良宮のある八幡神
社のみが「厄除の御神徳」があると云われております。
子安地蔵尊の石の祠
境内でいたずらをする子供もしくは不心得な大人がいるんだろうね、こんな短冊が木に掛かっていた。
これでおしまい。
追記:2017年8月13日 記事:神戸の小神社を改変整理する。
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