と、どうでも良い事をつぶやいてから、過去の国内旅行記にはいる。私が現役バリバリの頃の旅行だが、カメラマンはワイフであり、写した写真は家族用なので、紹介できるものは多くない。それで、エイヤとばかりに極端に省略して、敗戦処理を粛々として行うのである。
老人には、未来がない。ただ出来ることは、過去を振り返ることのみである。
いつものセリフだが、最近は言ったことがなかったね。 敗戦処理の1回目は、4年前の阿蘇旅行記である。
写真データによると、2011年5月のゴールデンウィークに出かけている。詳しい日程は、調べればわかるが略。どこに行ったかというと、阿蘇山と雲巌寺の五百羅漢を見てきたのである。覚えているのはそれだけで、後はさっぱり。全てワイフ任せにしていたので、禄すっぽ何も覚えていないのである。
阿蘇山の西厳殿寺の奥の院でのワイフとのツーショット。
ボカシなどは入れたくない。ない方がはるかに良いが、個人情報の保護のためである。この頃のワイフはお世辞でなく魅力的である。(年齢相応の)美人である。現在はどうかと言うと、怒られるのを承知で言うが、年齢相応の普通のお喋りおばさんである。現在は、お婆さん(孫もち)であるが、当時はそうでなく魅力的な中年女性である。今となっては信じがたい。写りの良い写真は個人的に見て楽しむ事しかないのだ。
またもや余計なことを書いてしまった。
阿蘇神社の境内にて。詳しい説明は省略。
しめ縄の掛かっている神杉。
ふじ棚が美しい。ワイフもまた、ぼかしがなければ充分に〇〇〇。
高砂の松。
縁結びの松だそうな。
どこだったか忘れてしまったが、城下町風の通り。
小さな信楽狸が見えるね。 信楽たぬきの日
息子達にもボカシを入れねばならぬ。
阿蘇の大観峯
はっきり覚えているのは、この近くでヘリコプターに乗って阿蘇山の火口を見に行った事だ。大枚を叩いたのでした。このヘリです。
コックピットに座る次男。
火口の写真は撮らなかったが、迫力満点だった。画像を探してみたのだが、このような風景でしたね。
つぎに訪づれたのは、雲巌寺の五百羅漢。
面倒なので、息子はベタで消してやった。
これが五百羅漢像。同じく息子はベタで消し。
薀蓄話をしたいのだが、敗戦処理事項なのでこれまた略。今日は、朝から長時間パソコンの画面を見て作業をしたので、眼の調子が悪い。大急ぎで処理を終わらせよう。
道すがら、このような羅漢像が立ちならんでいた。
ここには、武蔵瞑想の洞窟というのがある。これではない。
こちらでした。宮本武蔵が五輪書を書いた場所、大きな岩の洞窟。
参道を杖をついて登る爺さん。
どこかのお堂や祠の前で、カッコをつける爺さん。まだ現役なので、イジケてはいないね。
これで敗戦処理の1回目はおわり。
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