山田風太郎は、昔から好きな作家で、高校時代に「忍法帖シリーズ」で甲賀忍法帳とかおぼろ忍法帳、くのいち忍法帳を読んで以来のファンである。 当時はこれらの小説は一種の禁書で、特にくのいち忍法帳などは、隠れて読んでおりました。
実際ここに書くのは憚れるような、くのいちの奇想天外の忍法が使われていて、コーフンしたりするのである。今となっては、若き日のアホらしい思い出である。
その後に映画化されたりして、1作か2作は見た記憶がある。実際は山田風太郎の原作とは、殆ど関係がない作りものの映画です。でも、面白かったんだろうね。
就職してからは、殆ど読まなかったが、20年くらい前からまた良く読むようになった。明治物や戦中派不戦日記などを読んでからだと思う。初期の推理小説も古本屋で見つければ必ず買って読んでいた。毎日新聞に連載されていた、『あと千回の晩飯』は読むのを毎週楽しみにしていました。
その連載で、パーキンソン病にかかっていることや、全く無自覚に糖尿病になっていた事などを知る。大酒豪でグルメなのを知ったのもこの連載による。
それと、やはり 人間臨終図鑑 ですね。 再読しました。 つい自分の年齢で亡くなった十返舎一九の項を読み直してしまった。やじさん、きたさんの「東海道中膝栗毛」の著者ですね。
のんき者だが、まじめ人間で、旅中でも黙々として終止メモばかりとっているような人柄であった。もっとも大酒のみで、晩年手足が不自由になったのも酒毒のせいだという。
辞世の句
此世(このよ)をば どりやおいとまに
線香とともに ついには灰左様なら
私と似たタイプかもしれぬ・・・。 またもや脱線した。今回の主題は、 山田風太郎記念館 のことでした。開設は、2003年です。
記念館の展示物等の詳しい内容が、上のホームページに記載されている。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう) 1922年1月4日 - 2001年7月28日)
日本の小説家。本名は山田 誠也(せいや)。伝奇小説、推理小説、時代小説の三方で名を馳せた、戦後日本を代表する娯楽小説家の一人である。
僕は、小説を書くために
生まれてきたようなものだ。
山田風太郎の述懐だが、その通りの人生だと思う。奇想天外で面白い小説を沢山読ませて頂いた。
それでは、いつものように撮ってきた写真を基にして、与太解説を始める。
記念館の横には、このような棗の木が植えられてあった。
これは、風太郎の生家についてのエッセイに現れる棗の木を、それに因んで当地在住の南下里次氏の寄贈により移植したものである。
記念館の入り口。
入館料等のデータはこれ。大人200円なので、格安である。値段の割に充実している。
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パンフ
その裏面が素晴らしい!
人生最大事たる死は、
大半突然やってくる。
60年以上生きてくると、何となく頷けるようになる言葉である。
館内は、このような構造になっている。
館の宣伝と紹介をしたいと思って、この記事を書きはじめたのが、館のホームページには彼の経歴や人となり、膨大な作品群や故郷の関宮村との関連が詳しく説明されている。
館内に置かれていた、風太郎と但馬と関わり合いを説明したパンフ。山田家家系図もあったが略。
関宮巡りのパンフもあった。これを見て、次回は関宮を散策したいと思ったのであった。
館の入場券と山田風太郎の会の入会案内。入館券は絵葉書になっている。
当館を管理・運営する「山田風太郎の会」は、作家・山田風太郎を顕彰し、その作品世界の魅力を探求・紹介する活動を展開しています。 また年に数回、親睦会や楽しい研修旅行も行っています。会員は年会費2千円で当記念館の入館料が免除となるほか、情報提供やイベント参加費などで様々な特典があります。ぜひご入会下さい。 入会手続きなど詳しいお問い合わせは当記念館まで。 |
ホームページには、イベント情報と、山田風太郎の生涯、館内展示品の3つコーナーがある。イベント情報では、風太郎祭のお知らせなどが載せられている。
風太郎祭は、年1回開催されるらしく、山田風太郎賞の受賞者が講演されるようである。
調べてみると、歴代の受賞者はこのようになっている。
第1回(2010年)
- 貴志祐介 『悪の教典』(文藝春秋)
- 高野和明 『ジェノサイド』(角川書店)
- 冲方丁 『光圀伝』(角川書店)
- 窪美澄 『晴天の迷いクジラ』(新潮社)
第4回(2013年)
- 伊東潤 『巨鯨の海』(光文社)
第5回(2014年)
- 荻原浩 『二千七百の夏と冬』(双葉社)
交流室に展示されているのは、写真可という事でしたので、写させて頂いた。この交流室には、著名作家の色紙が飾られていた。歴代の山田風太郎賞の受賞者の他に、森村誠一や有栖川有栖
の色紙もある。
風太郎の生涯のコーナーでは、写真とともに経歴が記されている。 60歳以降の部分だけ抜き書きする。
1986年(昭和61年・64歳) | 異色のノンフィクション「人間臨終図巻」を刊行。話題となる。 64歳のときなのですね。この時には、もう死を透徹した見方が出来ていた訳ですね。凄いものです。 |
1989年(平成元年・67歳) | 「室町少年倶楽部」「室町の大予言」を発表。またもや「室町もの」と言われる新境地を拓いた。 まだまだ元気であった。 |
1991年(平成3年・69歳) | 新聞に「柳生十兵衛死す」を連載。これが最後の小説となった。小説を書かなくなった江戸川乱歩よりは、ずっと遅い。 |
1997年(平成9年・75歳) | 第45回菊池寛賞を受賞。エッセイ集「あと千回の晩飯」を刊行。名著です。 |
2001年(平成12年・78歳) | 第4回日本ミステリー文学大賞を受賞 |
2001年(平成13年・79歳) | 7月28日死去。自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。「風の墓」とのみ刻まれた墓碑が八王子市の川上霊園墓地に建つ。 |
2002年(平成14年) | 世田谷文学館で大規模な追悼展開催される。 |
2003年(平成15年) | 郷里の旧関宮小学校跡に「山田風太郎記念館」がオープン |
館内展示品のコーナーでは、色んな風太郎に因む記念品が陳列されている。撮影禁止なので、それらは ここ で見てください。ランドセル、剣道具、書斎の机とか、初版本、若き日の写真などがある。
著作権に違反するかもしれぬが、これだけはアップしたい。書斎の机と風太郎の自画像である。
私のパソコン机とほぼ同じサイズである。ものを書くにはこの程度の広さでいい訳だ。資料庫たる書庫のサイズは全然違うが。
この自画像は、風太郎らしさが如実に現れていて実にいいですね。
交流室には、新聞の切り抜き記事も展示されていた。
交流室には、このようなポスターが展示されていた。
なんと、魔界転生がさらに漫画に生まれ変わったていた。魔界転生とは、かって読んだおぼろ忍法帳の題目変更された小説ですね。後で知りました。
窪塚洋介、佐藤浩市主演で、再映画化されている。こちらは見ていない。
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