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2015年8月12日水曜日

柳原天神社と満福寺

神戸神社仏閣巡りシリーズ兵庫区編のつづき。4回目の今回は、柳原天神社満福寺の紹介。 柳原恵比寿神社 兵庫柳原 福海寺 兵庫大仏  

前回述べたように、兵庫七福神というのがある。つぎの寺院・神社である。

兵庫七福神の寺院・神社

大黒天
福海寺
大黒天
神戸市兵庫区西柳原町10-10
蛭子
柳原蛭子神社
蛭子
神戸市兵庫区西柳原町5-20
布袋尊
柳原天神社
布袋尊
神戸市兵庫区東柳原町1-12
毘沙門天
能福寺
毘沙門天
神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
福禄寿
真光寺
福禄寿
神戸市兵庫区松原通1-1-62
寿老人
薬仙寺
寿老人
神戸市兵庫区今出在家町4-1-14
弁財天
和田神社
弁財天
神戸市兵庫区和田宮通3-2-45


えべっさん(柳原蛭子神社)、だいこくさん(福海寺)、びしゃもんてん(能福寺)、に続いて、ほていさまである。

布袋様を代表するのは、柳原天神社である。

時宗 満福寺に隣接している。というより、元々は満福寺の一部であったと考えるほうが良いかもしれぬ。明治初年の神仏判然令により独立し、神道祭祀となり柳原天神社を名乗る。
境内は小さい。区画整備か何かで、削り取られて現在の敷地面積になった模様。都会の神社仏閣はどこもそうみたいだ。



Wikipediaにより、基礎情報を与える。

柳原天神社
Yanagihara 01.jpg
所在地兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-12
位置北緯34度40分3.6秒
東経135度10分9.7秒
主祭神菅原道真
社格旧村社
例祭初天神:1月25日
夏祭:7月25日
秋祭:10月25日
 
 
柳原天神社(やなぎはらてんじんしゃ)は
 
兵庫県神戸市兵庫区東柳原町に鎮座する神社。天満宮の1つである。
 
御祭神: 菅原道真公天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、野見宿禰命
 
天之菩卑能命
 
野見宿禰命
 
 
兵庫の天神さんで、やはり祀り神の一柱は菅原道真
 
菅原道真大宰府へ左遷される途次、大和田泊に上陸し、真野ケ原一帯の梅花を賞で、
 
風さむみ 雪にまかへて 吠く花の 柚にそうつれ 匂ふ梅が香
 
と詠んだ。
 
由緒・歴史の主だったものを列挙する。
  • 延喜5年(905年)6月 - 里人が道真の遺徳を偲び、梅林を拓いて小祠が建立される。
  • 仁安2年(1167年) - 太宰府安楽寺菅公廟より分霊を迎える。
  • 鎌倉時代(1185年 - 1333年) - 時宗の2世である他阿が満福寺を建立する。以後、明治維新まで僧侶が奉仕した。
  • 明治初年(1868年) - 神仏判然令により独立し、神道祭祀となる。
  • 明治6年(1873年)8月 - 村社に列される。
  • 昭和20年(1945年)3月 - 神戸大空襲により全焼する。
  • 昭和33年(1958年) - 再建される。


現在の建物は、 昭和33年に再建されたものでまだ50年と少ししか経っていない。阪神淡路大震災では、生き残ったようである。

神社の様子を見ていこう。

鳥居



柳原天神社の石碑
 
拝殿

狛犬 左右2体


拝殿の額 天満宮
 

御神使の牛  天満宮にはつき物ですね。御祭神が菅原道真ゆえです。
説明したかどうか忘れてしまったので、菅原道真と牛の係わりをここに記す。
御影の天神様 網敷天満宮  服部天神  を参照。

       下記のような言い伝えがあり、これらの伝承から、「」が神使とされた。
1)道真公誕生日・承和12年6月25日(845年)や、死去日・延喜3年2月25日(903年)が
  丑の日だった。


2)道真公が大宰府に落ちてゆく途中で命を狙われた時、白牛に助けられた。


3)「車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、牛の止まった所に葬ってくれ」との道真公
     の遺言に従って墓所(大宰府天満宮)は定められた。



 
社内社で、右が愛宕神社三宝神社、左が白龍稲荷神社


七福神の石像 布袋様は右から3番目。

百度石常夜灯

 
天光稲荷神社
 
すっかり社内社とばかり思っていた。調べてみると別の神社であった。
 
元は現在地より北方500mに鎮座していたが、1945年3月の大空襲により全焼し、
柳原天神社に隣接して遷座した。

天光稲荷神社の鳥居
 

天光さんと呼ばれている。

御祭神: 宇賀魂命(うかのみたま)

宇賀魂命


雨よけの屋根。しめ縄が張られている。これが境内になる訳だろうね。


お狐様



こちらは、また別の稲荷社かもしれぬ。よくわからない。



この柳原天神社に接してあるのが、満福寺である。

 
 
Wikipediaには、こう記載されている。
 
満福寺
Manpuku-ji.jpg
所在地兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-13
北緯34度40分4.4秒
東経135度10分10.4秒
山号梅松山
宗派時宗
本尊阿弥陀如来
創建年延慶元年(1308年)
開山他阿真教
正式名梅松山 天寿院 満福寺
札所等福原西国観音霊場 第25番札所
 
 
満福寺(まんぷくじ)
 
兵庫県神戸市兵庫区東柳原町にある時宗の仏教寺院。
 
歴史
 
延慶元年(1308年))時宗第2祖他阿真教上人の開基。他阿真教上人は一遍上人(証誠大師)に指尊を仰ぎ、学を究め諸国を遊行して念仏行化につとめ、遊行上人と称される。当寺は真光寺の隠居寺とも呼ばれる。 寺記によれは一遍上人入寂の後、他阿真教上人が法灯を継ぎ、宗祖入寂の地に寺塔を建立しようと、伏見天皇に奉上して勅許により真光寺道場が建立さる。
別名満福寺、長楽寺てある。 当時の本尊は、菅原道真公自作の十一面観世音菩薩像で、戦前まて広く信仰されていた。 また阿弥陀如来、聖観音、勢至菩薩の3像も、鎌倉前期の仏師運慶作と伝えられ、境内一町四方にわたり片桐市正によって黒印を下附されていた。
 
という事なのだが、この現代的な造りの本堂を見てお参りする気は失せた。
 
 
これでおしまい。

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