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2015年8月4日火曜日

平賀源内の「風流志道軒伝」

前回の記事では、奇才平賀源内の素晴らしい所しか書けなかった。
平賀源内記念館 I   

しかし、光ある所には闇がある。今回は、真偽に?は付くが、概ね妥当と思わる篠田達明先生による平賀源内の批評である。

篠田達明著 「モナ・リザは高脂血症だった」 新潮社 2003年

より引用するが、源内にかなり嫌味な病気診断をされている。


まづこの源内の風体だが、これは当時流行した野郎買いの風体である。つまり、男色を買いにでかけるファッションに身を包んだ源内像なのである。

髪の毛を鼠の尻尾くらい細く釣りあげた本田髷に結い、長脇差に藍色の粋な蝙蝠羽織を着て、大きな赤い紙入れをすところにはさむ。
朱塗りの長い銀ギセルを華奢な右手につかみ、上体をこころもち左にひねり、鼻筋の通った長い顔をぐいと右にむけて役者さながらに見得を切る。
大きく見開いた両目は、なにか狂気さえ感じさせる。

ここまでは、的確な描写である。

調べてみると、源内は野郎買いだけでなく女郎買いも好きで、両刀つかいであった。しかし、当時の江戸の遊び人にとってはこれは普通のことで、特段不道徳な行いではなかったそうである。
町人がしているような事を、侍がやっているというのがむしろタブーを破ることになっている。

源内が、ニコチン中毒であると診断している。 その理由だが、

源内の戯作「風流志道軒伝」の中に、ガリバー旅行記そっくりの大人国・小人国を漫遊するくだりがある。そこには源内をおもわせる志道軒が、小人国を見下ろしながら、愛用のキセルですぱすぱとタバコをふかす場面がでてくる。



つづけて

ヘビースモーカーの源内は、いつどこへ行ってもキセルを手放さなかったようだ。

と書いている。残された絵だけで判断しているみたいだね。でも私は正しいと思う。

源内のするどい感性も長年の喫煙ですっかり麻痺したようだ。晩年の源内は愛弟子の中良と悶着を引き起こした。源内の書いた浄瑠璃が評判が良くなかったのに、同じころ発表された中良の浄瑠璃が大当たりしたのでやっかんだのだ。これをきっかけに源内の胸にわだかまっていた憤懣が狂気に変じる。まもなく源内は親しい町人二人を発作的に切りつけ殺傷した。

としている。この部分が私には受け入れがたい。中良をやっかんだのは事実かもしれんが、長年の喫煙で頭がおかしくなったというのは信じがたい。狂気になり、発作的に殺傷事件を起こしたというのも前回の記事とは反する。まあ、どちらが本当かはわからないがね。 平賀源内記念館 I

篠田先生は、さらに肺癌の苦しさを述べた後に、

源内もするりとあの世に行けてさいわいだった。さらに長生きすれば、きっと肺癌になってもがき苦しんだにちがいないから。

と書いている。 すごい嫌味です。先生は、きっと源内が嫌いなんだね。

それで、「風流志道軒伝」を調べて見た。勿論読んだことはない。以下調べたことを書く。

これは当時浅草寺境内で軍記講釈をして人気を得ていた実在の人物である、深井志道軒の青年期の物語という設定になっている。
勿論虚構の物語で、志道軒こと青年浅之進大人国、小人国、手長足長の国、女ばかりの国等々の異国巡りをする話である。源内が、スウィフトの『ガリバー旅行記』に着想を得て書いた物語である。

Wikipedia には、深井志道軒についての記述がある。

深井 志道軒(ふかい しどうけん) 延宝8年(1680年)? - 明和2年3月7日1765年4月26日

江戸時代中期の講釈師。通称は新蔵。名は栄山、号を一無堂とも名乗る。

略歴:

京都に生まれる。12歳で真言宗寺院である知足院に入門。
若くして大僧正隆光の侍僧となるが、隆光の没落により寺籍を外れ、一時は願人坊主にまで身を落とす。
その後、霊全辻講釈を学ぶ。享保初年ごろから弁舌による生計を立てる。
浅草寺観音堂脇に葭簀張りの高床を設け、陰茎を型取った棒を手に、大仰な身振りでの辻講釈を行った。
ネタは「源氏物語」、「徒然草」、軍書まで幅広く、破礼講釈、狂講などとといわれて大いに人気を博した。
宝暦年間には歌舞伎の大立者2代目市川團十郎と人気を二分するほどになった。
僧侶から講釈師になったために、知識の幅が広く、厳粛にあるいはユーモラスに、時に痛烈に風刺を効かせたりと、その話術の巧みさで観客を抱腹絶倒させた。




愉快な人物像ですね。実際は源内が師と仰いだらしいが、物語では源内が師となる。
 
つまり、浅之進が悟りを得る旅の導き手として、鳳来仙人(源内の戯号が鳳来山人)が現われ、さまざまな伝授をするのである。その掛け合いが面白いんだろうね。ファウスト博士を導く、悪魔メフィストフェレスみたいなもんです。

手長足長の国の住人



その仙人のお言葉をリストアップする。

 「すみやかに世を逃るべし。ただ山林に隠るばかりを隠るとはいふべからず。
大隠は市中にあり」

よく聞く言葉ですね。源内が書いているとは知らなんだ。私は、一応実践しています。

 「何事もなづめば害あり」

何事にも、のめり込んでしまえば、むしろ害悪がある。確かにブログ書きは、私の健康に害悪をあたえている。家庭や財産を失うほどではないが。

 「誠の道を以てするとも、却て俗人近寄ざれば、後には世を捨るか、世に捨らるる
 外には出ざるべければ」


 「真実の生き方を目指し、真面目に精進したところで、世間の人間は却ってその人を敬遠するから、結局はその世間を捨て去るか、その世間の人から捨てられるかのどっちかだ」

源内が誠の道を行っていたとは思えぬが、この言葉は一面の真実を突いている。誠の道を行っていても、結局は世間から認められぬのだ。既に世間の人に捨てられた私にとっては、それがどうしたです。少し長いスパンで見れば、その世間も消滅するのだ。

斬新かつ独創的であるが、拗ねた眼で世間をみる思想の持ち主であったのだ。

こういう暗黒面があってこそ、天才・奇才源内は輝くのであった。

陳腐な表現でした。すみません。

今回はこれでおしまい。

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