これが山門である。中々立派である。市の指定文化財になっている。
山門を横手から写した写真。二重屋根や額、仁王像が威厳を与えている。
山門前の石碑と仁王像。浄土宗二十五霊場である。
ピンボケで済まぬが、左右の仁王像。
もう一つの山門。
ここで、Wikipediaにより、十輪寺の基礎知識を取得する。
十輪寺 | |
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所在地 | 兵庫県高砂市高砂町横町1074 |
位置 | 北緯34度44分50.3秒 東経134度47分59.0秒座標: 北緯34度44分50.3秒 東経134度47分59.0秒 |
山号 | 宝瓶山 |
宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 弘仁6年(815年) |
開基 | 空海、中興 法然(開山) |
正式名 | 宝瓶山十輪寺 |
札所等 | 法然上人二十五霊跡 第三番 |
兵庫県高砂市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は宝瓶山。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊跡第三番。
御詠歌
歴史:
寺伝によれば、この寺はもともと唐より帰朝した空海によって、815年(弘仁6年)「地蔵十輪経」に基づき、勅を奉じて、鎮護国家の祈祷書として、地蔵山十輪寺と号した真言宗の寺院であったが、1207年(建永2年)法然が地元の漁師に説法したことから、法然の弟子の信寂房が、法然を中興開山に迎えて、再興して西山派の流れをくむ浄土宗の寺院になったという。
法然上人、四国流罪の際
大永7年(1527年)大坂境の僧十万が讃岐の生福寺に詣で、法然自画自賛の「宝瓶の御影」を得て当寺に寄贈、以来宝瓶山と山号を改める。江戸時代初期には京都所司代を務めた板倉勝重の帰依を得、寺領を寄進されている。
昔から宗旨替えなどとよく言うが、その具体例だったわけである。真言宗→浄土宗
このお寺は、広い境内をもつ立派な寺院です。
それでは写真紹介を始める。
本堂
詳しい説明は省略するが、お寺は県指定文化財で、空海の創設と伝えられており、建物は17世紀初頭の風格をもつものとされている。
本堂の額
本堂を横手から写したもの。
手水舎 水は蛇口から調達する。現代的というか、趣に欠ける。
焼香堂 水子の霊をお祀りするお堂と思われる。
鐘つき堂
高砂市の保存樹木である黒松。
地蔵堂
御影堂
大玄関と小玄関
庫裡
真民さんの石碑 念ずれば 花ひらく
砥部の坂村真民
地蔵尊
観音様
空海上人像
高麗仏と呼ばれる宝篋印塔
これは1592年に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、徴発された高砂の水主100人のうち96人が死亡し、その供養のために建てられたものである。
写真ばかりであんまり面白くなかったが、これで紹介はおわる。
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