大和神社から山の辺の道に入り、20分程歩いて桜井方面に下ったところにある。
長岳寺大門 大門といっても小さな門です。
大門をくぐると、このような細い道が広い境内の中を拝堂へとつづいている。
案内板 長岳寺は花と文化財の寺である。 これがお寺のキャッチコピー。
今は紅葉の時期には、早いが、このお寺は「全国紅葉百選」に選ばれているようである。また貴重な文化財が沢山ある。なかなか見ごたえのあるお寺でした。
拝観料は、このようになっている。京都のお寺に比較すると格安である。
大人 | 大学生・高校生 | 中学生 | 小学生 | 小学生未満 |
350円 | 300円 | 250円 | 200円 | 無料 |
パンフ
それでは、Wikipedia による解説記事を引用する。
長岳寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 奈良県天理市柳本町508 |
位置 | 北緯34度33分39.5秒 東経135度51分7.2秒座標: 北緯34度33分39.5秒 東経135度51分7.2秒 |
山号 | 釜の口山(かまのくちさん) |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝・天長元年(824年) |
開基 | 伝・空海、淳和天皇(勅願) |
別称 | 釜口大師 |
札所等 | 関西花の寺二十五霊場19番 大和十三仏霊場4番 大和北部八十八ヶ所霊場 第80番 |
文化財 | 楼門・五智堂・木造阿弥陀如来両脇侍像ほか(国の重要文化財) |
奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。
それでは、お寺の伽藍を見学していこう。幸い、貴重な仏像の写真を幾つか写すことができたので、それらも紹介したい。
旧地蔵院庫裏の山門
その門の桟の上に佇む一匹の黒猫。私のように世間から切り離され、茫然としている様に思える。
旧地蔵院庭園
その右奥にある延命殿
そのご本尊の千手観音
この庫裏は、かつて48もあった塔頭のなかで唯一残った旧地蔵院の遺構で、1630年~1631年建築であるが室町時代の書院造の様式を伝えているとされる。
専門的なことはわからないが、その各部屋の様式を見ていこう。掛け軸や襖絵が
掛け軸や襖絵のある部屋
住職さんの遺影の掛かっている部屋
玄関口の小部屋
賄い場 お茶を飲めるようになっている。なぜか大きなボンボリが2基、天井からぶら下がっていた。単なる照明ですね。
楼門 国指定の 重要文化財(国指定)である。
かつては上層に鐘楼が吊られていたために鐘楼門と呼ばれる。日本最古の鐘門だそうである。
釜口山長岳寺の由緒板 鉄板だけど、文字が雨で消え始めている。
その内容を端折って記すとこうなる。
長岳寺は天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により弘法大師によって開基されたと伝えられている。創建に際し当時は大和神社の神宮寺としての目的があったらしい。鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺になっていたようである。
中世には広大な寺領を所有していたが、応仁の乱や文亀3年(1502年)の兵乱などに遭遇、仏閣は炎上し衰退したという。その後、慶長7年(1602年)に徳川家康の庇護により復興することが出来、往時は本堂、不動堂など20坊以上を数えたようである。時代は下り、この寺も維新の変革で廃絶に及ばんとしたが、民衆に深く根ざしていた大師信仰によって寺は存続することが出来た。
現在、寺には平安時代の建造物や仏像も残されており、歴史を経た文化財を今も多く所蔵している。
当寺は別称で釜の口大師と呼ばれることがあるが、これは当寺が釜口山上にあることに由来している。
この門をくぐると本堂、放生池にでる。
本堂
放生池
本堂横の着膨れしたお地蔵さま
増長天立像
阿弥陀如来
多聞天立像
狩野山楽の肖像画
その描くところの地獄極楽図の一部
不動明王と思えるが不確か。 Wikiには、記載がない。
境内のあった石像。やはり不動明王と思える。
大師堂 奈良県の文化財に指定されている。
その拝所舎
堂内には当寺の開基である弘法大師像と藤原時代の不動明王が祀られている。
常夜灯
大石棺佛 高さ2mで石棺に彫られれている。
境内にある、小さな祠や石仏。
弘法大師像
暮れなずむ境内の様子
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