本松寺の守護神として妙見尊が安置されているが、その妙見尊を祀る神社が妙見社なのである。
本松寺
元禄4年に明石藩家老斉藤甚左衛門が中心となって、船上にあった本正寺をこの地に移してきたと言われています。貞享3年の明石城主松平直明の黒印状には「本松寺」とあるため、この頃名前も変わったと考えられます。
また、このお寺には、宮本武蔵が作庭したと言われる枯山水の庭があります。本松寺の庭は、大小の築山、大滝・小滝、瓢箪型の池、亀島などを配置し、見る角度によって印象が変わるように工夫されたまとまりのよい庭園になっています。
日蓮宗 本松寺 の山門
経文を刻んだ石碑
聖僧樹
本堂
お堂ではあるが、何を祀っているか不明。番神堂もしくは納骨堂(もと鐘楼堂)と思えるが、判別不能。
説明板
現在、庭園は閉鎖されており拝観できない。申し込みが必要なのかもしれないね。
庭園様式 枯池式枯山水庭園
作庭時代 江戸時代前期(伝宮本武蔵作庭)
見れなかったが、こんなお庭らしい。
庭園研究家 西桂氏の解説:
庭園は本堂を背に庫裏書院に面した枯池式枯山水庭園である。
もと離れ座敷が西方にあり、庭は書院や離れ座敷を視点にした作庭である。
浅い枯池を穿ち、軽い築山を東西二箇所に築いている。そして谷を渓谷にして枯流れとし、切石橋が架かる。また二つの築山には、それぞれ大小の二つの枯滝を大滝・小滝として組み、大滝には水分石を池中に据えている。池泉は瓢箪型で、降雨の時のみ水が溜まるという枯池である。手前に出島があるが、亀出島である。護岸は池が浅いために一段の護岸石組を組んでいる。石橋は自然石が架かるがもとは櫟の橋であった。 全体的に見て、石組は小振りであるが、平面構成を重視し、視点による変化をもたせたまとまりの良い作庭といえる。
仏塔
動物供養塔 真新しい、飼っていた動物の供養塔。犬、猫、鳥の石像が置かれている。
歴代聖人の宝塔
阪神淡路大震災で倒壊したので、平成19年に旧碑を統合し一塔として再建した。
境内奥の丘の部分はお墓になっており、その崖のところに無縁仏となった墓石が積み重ねられている。大震災で崩れた墓を集めたものだと思われる。
このお墓の横にあるのが妙見社である。
妙見社
本松寺が船上から移転されてきたときに、石田三成の家臣の島左近の守本尊であった妙見大菩薩玄武像が寄進されたのが妙見社の始まりとされています。拝殿から階段を上ると本宮があります。
またこの宮には「ぼたん狐」の民話が残されています。江戸時代の中頃、ぼたん模様の着物を着た美女に化けた狐が人に悪さをするようになりました。明石藩にいた剣術の達人・片山徳左衛門も見事にたぶらかされたと言われています。
歌碑
六甲の空を舞ひ終え鳥帰る 濱田漁子
石庭
手水舎
句碑
どの鯛も明石で獲れた貌をする 助六
お堂
常夜灯
拝殿につづく石段
狛犬二基
拝殿 妙見宮、妙見大菩薩の提灯が多数掛かっている。
境内にある社
社内社の小さな鳥居 福寿明王を祀っている。
その社
足元にはお狐様が二匹。いつもの様に玉と巻物を咥えている。
その横に大震災で壊れずに残ったお狐様がひっそりと佇んでいる。こいつがぼたん狐に違いない。
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