八幡宮の額の掛かった石鳥居 奥の階段には提灯がかかっている。
兵庫県神社庁やWikipedia、その他から神社情報を取得した。
熊内八幡神社
文武天皇の御代(701~)、修験道の祖、役の行者が布引の滝で修行し、この地に瀧勝寺を建立した時、山の神として彦火々出見命を鎮守として祀ったのが社の縁起であるという。
天正年間(1573~)、荒木村重が織田信長によって滅ぼされた時、瀧勝寺と共に焼け失せたが、寛永(1624~)の初め、熊内村の大庄屋であった中西家が、源氏の守護神である八幡宮として再興し、村の産土神と仰ぎ今日に至っている。
明治22年(1889)にも火災にあっており一時、二宮神社に合祀されたが、明治35年(1902)に元の地に再建されている。
境内に、末広稲荷神社と一年一願の信仰で知られている太郎稲荷大明神が祀られている。
主祭神: 応神天皇
配祀神: 彦火火出見命(ひこほほでのみこと)
彦火火出見命は、山幸彦のことである。
山幸彦と海幸彦
参道の石階には提灯がかかっている。なにかのお祭りの名残かもしれぬ。
石段はこのようにつづく。
石段を登りきったところにある赤鳥居
由緒舎
境内への入り口 ここにも提灯が掛けられている。夜のお祭りがあったのだろか?
まづ狛犬二基が迎えてくれた。
手水舎
拝殿 このようにしめ縄による結界が張られている。やはり何らかの行事がある模様。
拝殿の様子
常夜灯
社内社の末広稲荷神社の鳥居
その小さいけれども拝殿。 参拝の仕方が図示されている。
太郎稲荷大明神も祀られている。
その社とミニサイズの赤鳥居が二段になって設えられている。
こちらにも御神燈がある。
この神社の経営する熊内幼稚園。 何を隠そう、60年近く前ワイフのすごした幼稚園である。
当時もこの六角形の建物だったそうである。奥の建屋は新築。
この日はお休みで園児はいなかった。普段はこのようだという。
機関車の形をした送迎マイクロバス ワイフのいた頃もこの形だったそうだ。
幕末摂津小町とうたわれた女流歌人、中西為子の歌碑。
明治維新の天誅組の総師として憤死した、松本奎堂を偲ぶ、悲秋碑。
Wikiにも記述あり。Wiki-松本奎堂
境内からの眺め。
神社からずっと下ったところにあった社碑。 以前はこの辺りも参道だったのでしょう。
これでおしまい。
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