この本を読めばわかる事をしたって何の意味もないのである。それでも、狛犬や石灯籠の写真を撮るのは面白いし、写真は最新のものであるということで、再び時間をかけて挑戦することに決めたのだ。唯の物好きでしかないのだが、たとえ詰まらなくとも目標を持つのは私にとっては意味があるのだ。
と、馬鹿な決意を表明してから記事に入る。相変わらず我ながら能書きが多いですね。
今回はJR摩耶駅の近くに位置する稗田水神社(ひえだすいじんじゃ)である。境内の大きな楠が目印になる。
石塀に囲まれた1区画という感じの神社である。
御祭神: 罔象女神(みずはのめのかみ)
日本神話における水の神である。『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとされる。
倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
稲穂を持っている如く、穀物の神である。また狐に乗っていることから分かるように、お稲荷さんの守護神でもある。
由緒:
この地区は、昔から水害が多く、稗しか作る事ができないということから「稗田」と呼ばれていた。そんな稗田の地で、村人たちが農作物の無事を祈念するために水の神様である罔象女神を祀る神社を設けたのは、17世紀半ば頃の承応年間(1171~1175年)の事だといわれている。
鳥居 筋交いを渡したような一風変わった形をしている。傘木は金属だしモダンですね。
由緒を記した石碑
水の神 罔象女神を祀っている社殿。
先にのべた参考書 神戸の神社 兵庫県神社庁神戸市支部著 神戸新聞出版センター
によるとつぎのような説明がなされている。
豊臣秀吉公によって行われた太閤検地でも、村域の大小はありますが旧都賀荘の村の中では八幡村が360石、都賀村が330石の石高があるのに対し、稗田村はわずかに81石と、やはり稲作にとって厳しい土地であったようです。そのような土地であるが故に一層厚い崇敬を集めていた稗田水神社は、地域の厄災守護の神社として長く継承され、1873(明治6)年8月には村社に指定されました。その後、1909(明治42)年2月には稲荷神社が合祀されました。
それで稲荷神社も祀られているのだ。この特定の名称のない稲荷神社の祀り神が倉稲魂神である。
ご神木である楠。 しめ縄は張っておりませんが、間違いなくご神木です。
特に特徴らしいものはありませんでした。それでも付近の住民にとっては憩の場所ではあります。これでおしまい。
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