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2017年1月23日月曜日

エジプト旅行記 IX

先週は用事が多くてすっかり疲れてしまいブログ書きどころではなかった。今もそんなに余裕はないが、時間を見つけてエジプト旅行記を書かないと全く忘れてしまいそうである。病後のワイフだけでなく私も健忘症が昂進しており、写真を見てもどこの何であったか思い出すのに苦労するのであった。朝の支度や洗濯物乾しなども手際が悪くなり、情けない事ばかりが増えていく昨今である。

と愚痴をこぼしつつエジプト旅行記を再開する。さて今回はカルナック神殿の見学記。

1月2日

エジプト旅行2日目の朝。

アマルコIIの船室から眺めたルクソール西岸 

朝焼けと靄のかかった天空をゆっくりと昇っていく気球。


朝日が昇り、川面に建物の硝子窓に反射した光が輝く。

さて船のレストランでの朝食。ビュッフェ形式で好きなものを選べるようになっている。いつものように私の選んだ料理紹介。

メインディッシュの一皿
野菜中心です。オリーブは緑と茶色の2種類選んだ。ハム、ソーセージは鶏肉もしくは牛肉で、私としては豚肉のハムが食べたかった。


追加の一皿  野菜オムレツと魚(ウナギと言っていた)のソテー。日本人向きにほうれん草のお浸しと焼きナス。


お味噌汁も用意されていた。味付けは薄味で塩分を控えねばならぬワイフや私にとっては適切でした。


パンは食べたかどうか忘れてしまった。とにかく以上すべて完食する。

部屋に戻って再び西岸の景色を楽しむ。刻々風景は変わっていく。



ルクソール神殿跡は船の甲板から見えるほどの近くにある。中央に見える尖塔がオベリスク


8時にロビーに全員集合してバスに乗り込む。このツアーでは時間に遅れる人は皆無でした。

バスの窓から眺めたルクソール東岸の街並み。 官庁街のようです。


10分足らずでカルナック神殿に到着。 カルナック神殿といっても1つの神殿ではなく幾つかの神殿の集合体である。 


カルナック神殿の入場口 平屋であるが、神殿の管理棟になっている。


この建物に入ると、神殿の復元模型が展示されていた。確かに巨大な神殿である。



上模型の左側からの写真

手前がスフィンクス参道で、その奥がアムン大神殿聖なる池になる。我々が見学したのはこの部分のみである。



ここでカルナック神殿について一通りの知識をWikipediaから得ておこう。


カルナック神殿
Karnak-Hypostyle3.jpg
アメン大神殿の大列柱室
遺跡
種類神殿 (Temple) 複合体
所在地エジプトの旗 エジプト、ルクソール県
カルナック(ルクソール近郊)
ノモス上エジプト、第4(州)
ヒエログリフ名
ip
t
Y1Vstststt
O49
主祭神アメン、ムト、モンチュ
アメン大神殿
着工第18王朝時代
増改築ギリシア・ローマ時代
(アレクサンドロス3世まで)

カルナック神殿平面図 (標記: 英語)
* モンチュの神域 - Precinct of Montu
* アメン=ラーの神域 - Precinct of Amen-Re
* ムトの神域 - Precinct of Mut


カルナック神殿(カルナックしんでん)

古代エジプトの神殿複合体であり、カルナク (Karnak〉) とも記される。エジプトの首都カイロからナイル川を南におよそ670キロメートルさかのぼった東岸に位置し、新王国時代(紀元前1550-1069年頃)に繁栄した古代の首都テーベ(古名ワセト、現在のルクソールとその近辺)に建てられた。その巨大都市テーベの一部であるカルナック複合体の名は、近隣にあって一部を取り囲む、ルクソールの北およそ3キロメートルにある現代の村、エル=カルナックより名付けられている。

歴代の王が寄進して増改築を重ね拡張された巨大な複合体であり、中心はアメン神(アモン、アムン、アメン=ラー、アムン=ラー)に捧げられたアメン大神殿(アメン=ラーの神域)となっている。

概要


アメン大神殿複合体(1914年)


カルナック神殿複合体は、荒廃した神殿祠堂塔門(パイロン、Pylon)およびその他の建造物の膨大な構成からなる、1平方キロメートル(100ヘクタール)以上におよぶ広大な古代宗教遺跡である。複合体は泥煉瓦の周壁に囲まれた3つの主要部分からなり、現在のところ、その中で最大のアメン大神殿が唯一、一般に公開されている。ここがほとんどの訪問者が見学する唯一の箇所であるので、カルナック神殿は、アメン大神殿のみにしばしば解される。他の2つの構成要素であるムトの神域モンチュの神域は非公開となっている。

ガイドブックを読んでいて、ムト大神殿モンチュ大神殿は見学していないのが解ったけど、実際に公開されてなかったんですね。小さい神殿がアメン大神殿の中にあるのできちんと記憶していないと何が何やら解らなくなる。

複合体の建造は、中王国時代(紀元前2055-1650年頃)のトトメス1世(紀元前1965-1920年頃)の統治中には始まり、残存する新王国時代からの建造物のほとんどがプトレマイオス朝の時代(紀元前332-32年)まで継続された。カルナック周辺は古代エジプトにおいてイペト=スゥト(Ipet-sut諸々のなかで選り抜きの場所」)であり、アメン神をその頂点とする第18王朝(紀元前1550-1295年頃)のテーベ三柱神崇拝の中心地であった。

そういう事で2000年かけてエジプト最大規模神殿複合体になった訳である。それも2000年以上も前にです。凄いものです。

アメン大神殿の平面図





それではアメン大神殿の写真見学を始めよう。

神殿前の大参道



参道の反対側にはナイル川を挟んで東岸がみえる。



スフィンクス参道 


雄羊の頭をもつスフィンクス
参道の両脇に並んでいる。




スフィンクス像の拡大写真

オベリスク


第一塔門  巨大な塔門です。一部崩れているみたいだが、実は未完成とのこと。

現在のこの塔門の建設は第30王朝に始まるが、すべては完成しなかった。塔門の幅113メートル高さ43メートル厚さ15メートル塔門の内(東)側に積み重ねられた多くの泥煉瓦があり、それらは塔門がどのように構築されたかについての手掛かりを示している。

向かって右側の塔門



左側の塔門


内側には、この様に積み重ねられた多くの泥煉瓦がある。


アメン神殿の掲示板



第一塔門をくぐると大中庭(前庭)が広がっている。

写真中央にあるのが、神殿への供物台。


大中庭の左側には雄羊スフィンクスが一列に並んでおり、その奥に列柱が立ち並ぶ。



スフィンクスの拡大写真



右側にはムート神、アムン神、コンス神をまつる3つの連なった礼拝堂跡がある。



大中庭の中央にはツタンカーメン王の頭をもつスフィンクス像がある。



大中庭には10本の大列柱が2500年前に建てられたとされる。上部が笠のように広がった大列柱で現在はこの1本しか残されていない。柱頭は蓮の花を表すとされる。


その大列柱の土台部分は数基残されている。



まづ大中庭の南側から見ていこう。



この様に雄羊スフィンクスの前には、王の小立像も並んでいる。



その手前になる大中庭の南側にラムセス3世神殿がある。ラムセス3世によって建造された小神殿で、神殿内部の碑文には、アメン=ラーに見られながら、王が捕虜を虐殺するのを示している。

神殿入り口


神殿に入ると左右にラムセス3世の石像が並んでいる。



手前の石像の拡大写真



左側の石像はその殆どの頭部が破壊されている。


神殿奥の至聖所



その列柱と壁面




大中庭の北側には3つの礼拝堂跡が並んでいるが、その中央にあるアムン神礼拝堂


礼拝堂内部の壁に刻まれたアムン神のレリーフ。


残りのムート神コンス神の礼拝堂については写真を撮り忘れたので省略する。
大中庭を進むと第二塔門が現れる。

塔門前には2体の巨像がある。ラムセス2世の立像である。

左側のラムセス2世像。 足元にあるのはやはりネフェルタリ王妃なのでしょう。


塔門のレリーフ



その上部。 塔門は現在修復中である。



右側のラムセス2世像。 側面からの像。


正面からの像。 残念なことに右肩部分が欠けている。



この塔門を抜けると大列柱室になる。



大列柱室

幅102メートル、奥行き53メートルにおよび、5,406平方メートル(0.5ヘクタール余)となる大列柱室の区域には、16列に配置された134本の巨大な円柱がある。これらの円柱のうちの122本は高さ約15メートルの未開花式パピルス柱であり、また中央の12本は開花式パピルスで、高さが21メートルあって、直径は3メートル以上ある。



中央: 前庭、右: 大列柱室(19世紀)


上の図に見るが如く巨大な柱の林立です。柱の装飾は見事なもので、作られた当時は彩色されていて豪華絢爛であった。

解説:

大列柱室セティ1世によって装飾が始められ、ラムセス2世により完成した。列柱室の北側は隆起した浮き彫りで装飾されており、セティ1世の取り組んだものであった。彼は死ぬ直前に列柱室の南側の装飾を始めたが、この部分はほとんど息子であるラムセス2世によって完成した。ラムセスの装飾は当初浮き彫りであったがすぐに沈み彫りへと変更し、その後の列柱室の南側にある彼の浮き彫り装飾は、沈み彫りに切り替わった。

外壁には、北にセティ1世、南にラムセス2世の戦いの場面が描かれている。

その大列柱を見ていこう。下から見上げるとその巨大さがよく分かります。







沈み彫りで描かれたカルトゥーシュ



彩色された跡の残っている天井部分のレリーフ。 かっては天井部分も塞がれていて、採光のための窓穴も作られていた。




列柱室にある頭の欠けた立像


大列柱室出口  第三塔門第四塔門につながる。


大列柱室から正面に進むと2本のオベリスクが見える。


右側がトトメス1世オベリスクであり、高さ19.5メートル、重さは約150トンとされる。左側はハトシェプスト女王の建てたオベリスクであり、高さ29.56メートル、重さは323トンである。共に赤色花崗岩を加工したものである。
後で見せるがハトシェプスト女王のもう1つの折れたオベリスクがある。


ハトシェプスト女王オベリスク


その表面はこのように見事に磨かれ、彫刻がなされている。


象形文字の部分を拡大した。


アムン神の姿をしたツタンカーメンの立像とその王妃、アンク・セン・アメンの立像。

その拡大写真  ツタンカーメン王の表情が意外に優しいですね。


フィリッポス・アリダイオス至聖所

オベリスク横からアムン大神殿を抜け出ることができる。


そこには巨石が地面に置かれていて、


修復作業が行われていた。

再びアムン大神殿に戻り トトメス3世祝祭殿に至る。

トトメス3世祝祭殿王位更新祭ヘブ・セド(セド祭)の儀式を行う為に建立された。その後は年に1度のオペト祭りの一部として使われた。



トトメス3世祝祭殿の天井部分は現在でも残っており、柱や天井などに彩色が残っている。


修復作業をしている女性 彩色復元をしているようである。


祝祭殿は、かってキリスト教徒によって教会として使われていた時代があり、神々の像を十字架の形に削ってしまったものが残されている。石像の顔が削られ手の部分を加えて十字架とした像。


トトメス3世祝祭殿内部の壁画



祝祭殿を出て、神殿修復の様子を見学する。


王の立像を修復中




首の取れたラムセス2世像(?)



アムン神と王を描くレリーフ


こんな国宝級の壁画がそのまま戸外に放置されている。


聖なる池



ハトシェプスト女王のもう1つの折れたオベリスクがこれである。、聖なる池の近くに置かれている。その先端部には腰掛けた神アメンの前に座るハトシェプストの描画がある。

ハトシェプスト女王オベリスク先端部


石台の上のスカラベ像

この地点から、2本のオベリスクが遺跡に邪魔される事なく見える。


スカラベの周りを反時計回りに7周すると願いが叶うそうである。未婚の息子も願をかけて7周しました。さてどんな願いがかなうのでしょうか。(後で聞くと大金持ちになることだそうで、夢がないですな。)


修復中の塔門


アムン神のレリーフ


蛙を発見

トトメス1世オベリスク

塔門の瓦礫


不確かだが、第四塔門と思われる。


これでアムン神殿は一通りだが紹介は終った。

帰路の写真を2枚ほど追加する。1枚は、大列柱室から第一塔門を一直線に見晴らしたもの。



もう一枚は第二塔門左にあるアラバスター製のアメン神ラムセス2世の像。ラムセス2世の頭部は破壊されている。


これでカルナック大神殿の見学記はおしまい。以上写真整理が大変でした。ご覧になった方も無暗に画像が多くて見るのもご苦労さまでした。
我々は朝早くに入場したのでそれ程は込み合っていなかった。10時12分の時点で、こんなに入場者の列が長くなっていた。なんでも早めに行動することが肝要ですね。



今回はこれでおしまい。

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